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まんやま独歩

熊本・川内町の津波供養碑

脊梁の山は諫早から遠いので、移動日が必要になります。

移動日のルート
諫早 - 多比良港 ~ (フェリー) ~ 長州港 - 熊本 - 佐俣の湯(入浴) - 清和文楽邑(車中泊)

移動だけでは時間が余るので、途中にある熊本市西区河内町船津を訪ねました。
ここには、約200年前に起きた眉山崩壊の津波供養碑が残っているからです。


有明海沿いの町で、海の向こうには雲仙の山が見えています。



津波発生の原因となった眉山(当時は「前山」と表記して「まんやま」)も小さく見えていました。

塩屋漁港


漁港からすぐの塩屋バス停


このバス停の前のお宅に供養塔があります。


石の面に文字が彫ってあり



「子 寛政四年…」と災害が発生した年が刻んであります。

ここは個人のお宅にでしたので、挨拶をした折にお話しも伺うことができました。
災害があった4月には自治会の人が集まって毎年供養祭をされているとのことでした。
また隣の集落の墓地にも供養塔が建っていることを教えてもらったので、そちらにも行ってみることにしました。



近津地区の墓地に建つ供養塔





「南無阿弥陀佛」


蓮光寺


門の左手に供養碑が建っています。



4つの村で765人が亡くなったことが記してあります。

側面(正面?)


「南無阿彌陀佛」その下に「溺死墓」

境内には大きな銀杏の木


後で知ったのですが、200年前の大津波に耐えた銀杏の木だそうです。



本堂は津波で流されたそうですが、この銀杏の木は残り現在も葉を茂らせていま。


200年前の災害は「島原大変肥後迷惑」という言葉で今も残っていますが、これからも歴史に残って欲しい言葉だと思っています。
2016年の熊本地震の折に津波注意報が出されましたが、船津地区の人は深夜にもかかわらず高台に避難したそうです。
津波の恐ろしさを代々伝える言葉「島原大変肥後迷惑」と、津波供養碑が残っていることが、迅速な避難につながったのではないかと思いました。
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