北関東、歴史的な建物の場所の不思議

古墳や神社などの建造物の場所について、火山の場所や太陽の日の出・日の入り方向等と関連づけ、何故そこなのか等を分析します。

こち亀から読み取れる昭和51年と現在(平成28年)

2016年09月27日 23時08分18秒 | 生活

私は40歳代なのですが、先週、週刊少年ジャンプ(280円)を買いました。こち亀が最後になるので、見納めにするためです。

これには、連載が始まった昭和51年第29号のこち亀が載っていて、当時の様子が読み取れました。

以下、当時の様子について、気に留まったことを箇条書きします。

〇電話機は、ダイヤル式が主流でした。プッシュポンはまだ見られない昭和44年から市販されていたそうですが広がっていないようです。派出所の電話は黒色で、商店の軒先の公衆電話は赤色でした。

〇両津さんの勤務日の昼食が、出前の天丼でした。こういうのは、現代のサラリーマンとあまり変わらないようです。

〇タクシーの初乗料金は280円でした。昭和51年の物価は、大卒初任給:90,575 円、 たばこ(ゴールデンバット)40 円、はがき20円、米10kg2,740円、国鉄初乗60円、週刊少年ジャンプ170円だったそうです。当時(昭和51年)と現在(平成28年)の物価と比べると、タバコだけが10倍以上に突出して高くなっていますね。他のものは2~3倍程度なのですが・・・。

〇牛乳は、ビン詰め(200ml)が主流で、紙パック詰めはマイナーでした。漫画では、ビンに「小岩井」と書かれています。世間では、連載開始とほぼ同じ頃、昭和51年6月に小岩井乳業株式会社が設立されています。

〇建設現場の作業員さんは、保護帽(ヘルメット)を着用しています。ヘルメットの着用は、すでに昭和47年に労働安全衛生法で義務化されていました。漫画にも時代の流れが取り入れられていたのでしょう。

〇職場では、事務机にも宿直室にも灰皿がありました。勤務中に普通にタバコを吸えたようです。

○室内のゲームと言えば、花札やトランプが主流でした。上右の挿し絵では、両津と中川が座布団の上で花札をやっています。昭和51年時点では、まだ家庭向けテレビゲーム(カラーテレビゲーム15やファミリーコンピュータなど)はまだ世に出てきていませんでした。

 

〇携帯電話(民生用)やパソコンはありませんでした。

他にも、時代の違いが見つかると思います。よければ、コメント欄に記載ください。

 

追記2016.11.06 画像を挿入し、一部字句を修正しました。

 追記2016.11.20  ビン詰め牛乳のあたりの部分を、修正しました。

 追記2016.11.29  テレビゲーム関連などを追記しました。タイトルを修正しました。

 


埼玉古墳群と大国魂神社は経度が同じ

2016年09月22日 16時49分02秒 | 歴史

【追記2017.10.3   標記のことについて、2012年にPawpawさんという方が、発表されていました。ですので、私の発見ではありません。】

 

当ブログのテーマにある「北関東」から外れますが、

今回は、東京都府中市にある大国魂神社に注目します。

府中市は、旧武蔵国の国府があった歴史のある街であり、大国魂神社も旧武蔵国の総社であり、いずれも奥が深くて私の言葉では言い表せないです。読者の皆さんには、リンクのホームページを読んでいければと思います。

では、GoogleEarthで地図上に線を引き、標記のこと今回の発見について説明します。

まず、大国魂神社から真北(機首方位0.00度)に向け、下図のように直線(赤い太線)を引きます。

 

そして、下図のように、この線を真北に向けて埼玉古墳群の辺りまで伸ばします。距離にして、約50Kmです。

 

そうすると、埼玉古墳群(行田市)の中にある丸墓山古墳に機首方位359.95度でぶつかります。

この誤差は、角度で0.05度、距離では古墳の半径程度で約50mと、小さいです。

丸墓山古墳は、日本国内の円墳としては最も大きいといわれています。

大国魂神社と埼玉古墳群との間に、何らかのつながりがあるような予感がします。

継続して調べます。