最近は具現化のスピードが、ものすごく速くて、答えもすぐ来るようになりました。
前回『バガヴァッドギーター』の中で、戦いたくないアルジュナにクリシュナが、戦うことが今生の使命である、と説いた話を書きました。
この戦争は家族、親族、師と弟子などが敵味方になって戦う話です。
誰でも自分の家族、師を倒してまで勝ちたくはないですよね。
『バガヴァッドギーター』は、悟りのための話をクリシュナが説いています。
戦いの最中に悟りの話をしているのは、実はこの戦いが心の中の戦いであること、そして単なる悟りの書よりも、『マハーバーラタ』という壮大な叙事詩の物語の中に組み込まれていることによって、長い年月生き続けてきて、現代に生きる私たちも、その教えに触れることができました。
人間は幼少期より親や先生などから、たくさんのことを教えてもらい大人になっていきます。
役に立つこともたくさんありますが、不幸になる教えも結構ありますよね。
「一番でなければならない」とか、「人に負けてはならない」とか、「頑張ることが何より尊い」とか。
「負けてはならない」という幼少期学んだ知識があるばかりに、人に優しくできないとか、そのままの自分を好きになれなくて自己嫌悪になるとか、よくある話です。
人に負けるかどうかより、人に優しくできる人になりたい、という意識を尊重する場合、「人に負けてはならない」という刷り込まれた観念と闘う必要がでてきます。
それを教えてくれた親や先生と闘って勝たなければ、人に優しい人になる、という自分の思いは果たされないわけです。
自分の意志を通そうとすると、親や先生の顔が浮かんできて、心が萎え、負けてしまうのです。
一度刷り込まれた観念を払拭するのは簡単なことではありません。
だから、クリシュナは何度も何度も「立ち上がれ、闘え」と言ったわけです。
しかし、この親や先生も、実際今生きているその人ではなくて、自分の頭の中に存在する幻にすぎません。
それでも私たちはその幻にさえ勝つことが容易ではないのです。
そして、その戦いに勝利することなく、本当の自分の人生を、生きることはできないのです。
そういうことを踏まえて、『バガヴァッドギーター』を読んでみようと思います。
また気付いたこと、お伝えしたいことがでてきたら、書きますね。