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クリシュナが「闘え」と言った本当の意味

2022-08-31 16:41:00 | 日記
 最近は具現化のスピードが、ものすごく速くて、答えもすぐ来るようになりました。

前回『バガヴァッドギーター』の中で、戦いたくないアルジュナにクリシュナが、戦うことが今生の使命である、と説いた話を書きました。

この戦争は家族、親族、師と弟子などが敵味方になって戦う話です。

誰でも自分の家族、師を倒してまで勝ちたくはないですよね。

『バガヴァッドギーター』は、悟りのための話をクリシュナが説いています。

戦いの最中に悟りの話をしているのは、実はこの戦いが心の中の戦いであること、そして単なる悟りの書よりも、『マハーバーラタ』という壮大な叙事詩の物語の中に組み込まれていることによって、長い年月生き続けてきて、現代に生きる私たちも、その教えに触れることができました。

人間は幼少期より親や先生などから、たくさんのことを教えてもらい大人になっていきます。

役に立つこともたくさんありますが、不幸になる教えも結構ありますよね。

「一番でなければならない」とか、「人に負けてはならない」とか、「頑張ることが何より尊い」とか。

「負けてはならない」という幼少期学んだ知識があるばかりに、人に優しくできないとか、そのままの自分を好きになれなくて自己嫌悪になるとか、よくある話です。

人に負けるかどうかより、人に優しくできる人になりたい、という意識を尊重する場合、「人に負けてはならない」という刷り込まれた観念と闘う必要がでてきます。

それを教えてくれた親や先生と闘って勝たなければ、人に優しい人になる、という自分の思いは果たされないわけです。

自分の意志を通そうとすると、親や先生の顔が浮かんできて、心が萎え、負けてしまうのです。

一度刷り込まれた観念を払拭するのは簡単なことではありません。

だから、クリシュナは何度も何度も「立ち上がれ、闘え」と言ったわけです。

しかし、この親や先生も、実際今生きているその人ではなくて、自分の頭の中に存在する幻にすぎません。

それでも私たちはその幻にさえ勝つことが容易ではないのです。

そして、その戦いに勝利することなく、本当の自分の人生を、生きることはできないのです。

そういうことを踏まえて、『バガヴァッドギーター』を読んでみようと思います。

また気付いたこと、お伝えしたいことがでてきたら、書きますね。

クリシュナ

2022-08-25 09:33:00 | 日記
 第二イニシエーションで、クリシュナのマントラをいただきました。ヒンドゥ教の神様です。

クリシュナを選んだのは、クリシュナが愛の化身である、という先生の説明があったからです。

クリシュナのマントラを選んだ4人で、先生からマントラ伝授をしていただきました。

その時、マントラとマントラの説明を受けたのですが、意味が、クリシュナは牛飼いの女性たちに囲まれてモテモテだった、といったような内容で、そういう愛だとは思わなかった、とおっしゃった方がいました。

先生も説明に困っておられましたが、先日、アムリタチャンネルさんが、クリシュナのことを取り上げてくれていて、よく分かりました。

クリシュナを愛する、ということは神を愛するということで、自分の全てを見返りを求めることなく、神に捧げるというバクティヨーガの基本でした。

アムリタチャンネルさんの再生リストに「リトルクリシュナ」があって、こちらもとても面白かったです。

とても愛らしく、誰もが愛さずにいられない存在だったんだと思います。

子供のクリシュナが悪魔と戦って倒すお話なのですが、この悪魔とは、外にいるものではなく、人間全てが潜在意識下に持つカルマや邪悪な思い、感情を表現したものだろうと思いました。

それらを浮かび上がらせ、クリシュナが浄化し清めていく過程を表現しているんだと感じました。

『バガヴァッドギーター』はクリヤーヨーガをはじめた時に、先生に、「是非読んでください」と言われ、一度読んだのですが、聖典なので、もっとしっかり読まなければ、自分のものにはならないと感じていました。

『精解 神の詩 聖典バガヴァッド・ギーター 3 』を注文しました。ゆっくり読んでみようと思います。


内容は戦争の話なんですよね。クリシュナがアルジュナという大将の方について、アルジュナに話す内容が書かれています。

一つ覚えているのは、アルジュナが、「もう戦いたくない」と言った時、クリシュナが「戦うのは今世のあなたの使命だ。怖気抱いて戦いを放棄したら、情けない大将として、あなたは永遠に語り継がれることになる。」と言ったんですよね。

戦争=悪のように思っていたのですが、そもそもこの戦争は神が地上の波動を上げるために仕掛けたものでした。

戦争後、ほとんどの武将が亡くなり争いが消えたということです。

すべては神の遊戯(リーラー)ということです。

遊戯というとふざけているように聞こえますが、要するに、神の御心は人智を超えているということです。

ですから願うことは、「神の御心が叶いますように」ということに尽きるのです。

その中で、全ての人が配役をもらい自分の役割を果たしています。

自分に嫌なことをする人がいたとしても、その人がいてくれたおかげで、自分の気づきが進み成長させてもらえるのです。

殺人を犯すような人もその役割を果たしているのであり、その人のことを100%知ることのない人が、その人を責めることは出来ず、またカルマによって過去世から続く怨念が噴き出ている可能性もあり、まったくもって、人間の脳が良い悪いと判断できることなど、この世に一つもありません。

つまり絶対悪のことや絶対悪の人は存在しないということです。

それでは、そういう悲しみや苦しみのある世界を少しでも明るく幸せな温かい世界にするのは無理かといったら違います。

お分かりの方も多いと思います。

自分の中を整える、ということです。

自分と世界が繋がっていて、自分も全体の一部なら、自分の内面と外の世界は繋がっているということです。

それが目に見えるまでには時間もかかるでしょう。でも見なければというのもエゴなのです。

信じて自分を整え、美しくしていく。
これがバクティヨーガなんだと思います。

自分の中が整って行くと、周りの全てが整っていくので、「幸せしかない」という毎日になります。

楽しいことも苦しいこともすべて喜びであり、淡々と自分の役割を果たす。そうすることで、神の御心を叶えている。

クリシュナのマントラは1日108回唱えるように教えていただいて、車の運転をしている時などに唱えています。

そうしたらクリシュナと深い繋がりができてきました。

不思議ですが、そのように世界は理にかなっているんだと思います。

愛溢れる世界を望むなら、自分が愛溢れる人になること。

明るくて楽しい世界が好きなら、自分が明るくて楽しい人になること。

ただこれだけのことです。
自分を満たしてあげてください。満たされた自分から溢れる愛が世界を愛で満たしていくのです。