あしたは今日よりもっとすばらしい!

明日のあなたが今日よりもっと輝けるヒントをお伝えします。

すべては最終回

2025-01-26 18:24:00 | 日記
少し前から「冷え取り」をしています。

一番大切なのは「半身浴」ということで、今日は時間が取れたので半身浴しながら、書いています。

絹、木綿、ウールなどの天然素材の靴下の重ね履きもあるのですが、できる範囲で、一番下にシルクの薄いソックスを履いてみました。

肌に触れるものはシルクが一番ということで、いろいろシルク素材のものを試しています。

少し前まで、シルクには全く興味がなかったので、本当に不思議です。

身につけようとも思わなかったし、何となくコットン100%の方が気持ちが良さそうに感じていたのですが、身につけてみると、さすがシルクでした。

今は楽天やAmazonでも品数も豊富で値段もお手頃のシルク製品がたくさん出ているのでありがたいですね。

これもネットが普及したおかげです。
世界が広がったし、良いものを選べる時代になりました。

夜眠る時も、足を冷やさず、暖かい状態で素足で布団に入り、電気アンカも寝るまでつけていたので、暖かいと思っていました。

それが絹と綿の2枚重ねの靴下を履いて寝たら、朝起きた時、身体がポカポカだったことと、夜中にトイレに起きなくなりました。

自分では暖かいつもりでしたが、冷えていたんだと思います。

若い時はストッキングにパンプスでした。冷えも感じなかったし、その方が格好良かったので、いつもそのスタイルでした。

つい先日までそうでした。

息子に外反母趾を指摘され、「何でスニーカー履かないの?厚底スニーカーだってあるじゃん、そんなになるまで我慢してるってどういうこと?」

本当にその通りです。

息子のイチオシのNIKEのエアマックス270を履いたら本当に気持ちよくて、もう2足目です。

Amazonで、相当値上がりしていましたが、これが一番と買い替えました。

それでも毎日履いて2〜3年持ちました。だから高い買い物でもありません。

外反母趾は治りませんが、他の指は伸びました。
これから転びやすくなる年齢になってくるので、しっかり大地を踏みしめられる足でありたいと思います。

ゆびのばソックスという5本指の靴下もお気に入りで使っています。

足だけでなく、歯や目や自分が元々持っているものを粗末にし過ぎました。

心の痛みは身体の5,000倍身体を傷つけるそうです。それが自分の身体の弱いところに蓄積し、疲労やストレス、加齢で弱くなった時、病気として目に見える形で出て来ます。

冷え取りをすると好転反応が出ることも多いそうです。何年も前の痛みや冷えがやっと出てくるようなこともあるようです。

最近は自分の内面と目に映る世界のリフレクションがとても速く起こるのでわかりやすくなってきました。

それだけにいつも自分を大切にして、自分の心と身体の声を聴いて、労わりながら、生きとし生けるものの幸福を願って日々を過ごすことの大切さを実感しております。

自分の波動を上げて行くことはとても重要です。
この世界に存在しているのに、自分がその位置まで到達していないために出会えないものがたくさんあります。

本当にパラレルワールドです。

タイトルの「すべては最終回」は今日、YouTube で「Jet Stream」の番組を聴いていた時のある方のコメントにありました。

ナレーターの城達也さんの最終回でしたが、「思えばすべて、最終回なんですよね」と。

今はやりたいことにチャレンジできる自分になりましたが、やらずに言い訳を言ってやらなかった若い時でした。

私を変えてくれた一番の人は息子だといつも書いていますが、この人生は息子に会って、本当の人生を生きられるよう変えてくれる人生だったのでしょう。

心の醜い私はチャレンジしても叶わなかっただろうし、それをまた何かや誰かのせいにしたことでしょう。

親やその親、もっと先祖から受け継いできた悲しみ、カルマをここで反転できたと思います。

人は必ず幸せになれる、でもそれには苦しみを伴うこともあるし、絶望の淵に突き落とされることもある。でも今全てが喜びに変わりました。

これだけリフレクションが速い時代にまだ、ネガティブな想いを持ち続けていたら、本当に大病を病んで命を落としていたかもしれません。

何の気づきもないまま、この世を去ってもまた0からの出発となります。
全速力で走ることになっても、ここでゴールテープを切るつもりです。

どうぞ皆さんも、自分に正直に、自分を大切に、今日が最後の日であるように、すべてのことが最終回であるように、大切に人生を生きてください。

今年も良い年でした。

2024-12-31 18:22:00 | 日記
皆様、いつもながらご無沙汰しております。

今年もあと数時間となりました。どのような思いで大晦日の日を迎えておられることでしょう。

私は盛りだくさんで走り続けた一年でした。

その度、書こうと思うのですが、時間がなく、書き留めていられませんでした。

今フィリピンのセブ島に来ています。3月に来て以来2度目です。

今日も4ダイブして今やっと時間ができて書いています。

息子と始めたダイビングですが、息子はプロの入り口であるダイブマスターをここ、セブ島で9月に取得し、私よりだいぶ上達しました。

その時ハリケーンが来ていてボートが大破し、今回ビーチを歩いてエントリーかもしれないと心配していたのですが、ボートはレンタルされていて問題なく潜れています。

フィリピンでは機材のセッティングも洗いも全てスタッフがしてくれるので、本当に楽で楽しく天国ダイビングです。

どこに潜ってもたくさんの魚に出会えます。

こうしてダイビングができるのもたくさんの人や機会に恵まれた結果です。

特に息子には感謝しかありません。1人だったら、どんなにやってみたくてもダイビングを始められたかわかりません。

私はよくボーッとしているとか、天然だと言われますが、これは生まれつきで一種の発達障害なんだとわかりました。

障害という言葉が適切かはわかりませんが、普通の人より、実際の社会生活を送るのは大変だったのかもしれません。

60間近にしてやっとそれがわかり、今までよく頑張って来た自分と、いつも助けてくれたたくさんの皆様に心から感謝しています。

親が子どもの特質を見抜くのは容易なことではありませんが、母は私に他の人と同じように勉強ができて社会的に成功することを望み、それに応えようと必死に頑張りどんどん空回りして、本当の自分を見失い、本当の私の良さを全否定して生きて来た結果、若い頃は間違いと苦しみの連続でした。

大人になっても結婚して子どもが生まれても私はその呪縛の中で嘘の自分を生きてきました。

だからいつも苦しかったんです。

息子によく「2MB」と言われます。容量が少ないという意味です。

頭が悪い、とかバカ、とかいう言葉を使わずに私を表現した言葉ですが、的を得ています。

すぐ忘れてしまうし、数字は頭に入ってこないし、とにかくいろいろ普通の人とはずれています。

普通というのもこれからは無くなっていくとは思います。
「みんな違ってみんないい」そんな世界に移行していくでしょうね。

そのタイムラインを生きる人と今まで通りのタイムラインで生きて行く人に別れていくのかもしれません。

いずれにしても、私の人生は息子のおかげでリセットされ、今はありのままの自分を受け入れ、自分として精一杯生きています。

心に何のわだかまりもなく、幸せと感謝の心でいつも今ここにいられるようになりました。

花を育てる時の気持ちも息子に教えてもらいました。

人間は自分の都合で植物を植え、いらなくなったら片付けようとするけれど、みんな生きている。
花が咲かなくなっても、必要でなくなっても、その植物が生きている限り、めんどうを見なければいけないんだ。

星の王子さまの言葉のようです。

あの薔薇に責任がある。だから僕はあの星に帰らなければならないんだ。

夏の間素晴らしく咲いてくれたサンパチェンスと日々草。ずっと一年草だと思っていたけれど、多年草でした。

大きくなったその株を掘り起こし、家の中の陽当たりの良い部屋に連れてきました。

何十株もあったので、腰が折れるかと思うくらいの重労働でした。

でも何とか助けたい、そう思って頑張りました。

このまま越冬して次のシーズンまた花壇で美しく咲いてくれたら、そう思います

その後、不思議な出来事が起こり、私はサンパチェンスと日々草の恩返しだと思いました。

言葉を話さない植物たちが一生懸命考えてくれた贈り物だと思っています。

心を込めてお世話をし、心からの愛を送っていたら、必ずそれは伝わること、そしてそれがどんなに嬉しくて幸せなことか、教えてもらいました。

来年も、丁寧に生きていこうと思います。
何があっても人生は素晴らしい。
素晴らしいことが待っています。

自分の心が現実生活を作っています。
目の前の出来事は自分の心の反映です。

自分を大切に、自分に感謝して、すべてに愛を持って生きていたら良いことしか起こりません。

2025年も皆様にとって素晴らしい一年となりますよう、心からお祈りしています。


私たちは創造主の光の煌めき

2024-09-11 07:52:00 | 日記
 昨日土手下の道路を走っていた時のこと。

まだ真夏のような太陽が照りつけ、土手の草がキラキラ光ってとてもきれいでした。

よく見ると空も光っていて、目に映るもの全てが光っていました。

私たちも自分のことは自分では見えないけれど、きっと外側から見たら、こんなふうに光り輝いているんじゃないかなと思いました。

創造主がそのようにお造りになりました。

夏が終わり秋が来て冬になれば枯れてしまう草でさえ、こんなにきれいなのだから、何十年も生きることを許された私たちは、どんなに美しく尊い存在なのだろうと思いました。

生きている、それだけで本当に素晴らしいことです。

気づくこと。

意識一つで、この世界は既に天国であり、地獄なのだと思います。

その気づきが訪れますように。
全ての人が自分の尊い価値に気づいて自分らしく命を輝かせて生きてくださいますように。

写真は沖縄の平和祈念公園から見た景色です。
約80年前、ここは激しい地上戦が繰り広げられ、多くの命が奪われた場所でした。

私たちは生きたくても生きられなかった人たちの想いも背負って生きている。

その方たちの犠牲の上に今の平和があります。

尊い御魂への感謝と鎮魂と共に、自分の命に感謝し、命を輝かせて生きることが、その方たちへの何よりのご供養だと思っています。

沖縄ダイビング、レスキュー講習を終えて

2024-08-16 19:24:00 | 日記
 皆さん、大変ご無沙汰しております。
8月10日から15日まで、沖縄に行っておりました。ダイビングのレスキュー講習が一番の目的です。

昨年の夏、沖縄でオープンウォーターとアドバンスのライセンスを取ってから、とりあえずアマチュア最高峰のマスターダイバーの資格をとろうと思ってきました。

そのためには、レスキューダイバーの資格をとること、50本以上のダイブ経験、スペシャルティという専門コース5つ以上、取ることが基準となります。

今回、レスキューをとって、ドリフトのスペシャルティもとったので、あと1つのスペシャルティと残り7本ほど潜れば申請できます。

今回は辺戸岬という沖縄本島の北の端の鍾乳洞に潜ったのですが、とても楽しかったです。

またYouTube にアップする予定なので、良かったらご覧ください。

今回はダイビング以外にも時間がたくさんあったので、息子がまだ行っていなかったひめゆりの塔や平和祈念公園も訪れました。

20才の時に沖縄を訪れた際、ひめゆりの塔も行きました。当時、古手川祐子さん主演の映画が公開されており、感慨深いものがありましたが、資料館はありませんでした。

今回りっぱな資料館を訪れ、ひめゆり学徒隊の証言もお聞きし、あらためて、戦争について考える機会となりました。

平和祈念公園には平和の礎(イシジ)という石碑が建てられてあります。そこには太平洋戦争で亡くなった方のお名前が刻まれています。

県別に分けられておりましたので、私は母に聞いていた戦争で亡くなった伯父の名前を探しました。

すぐに見つかりました。伯父は20才くらいで亡くなったそうで、会ったことはありません。

傷病兵で亡くなったらしいのですが、生前とても優しい人だったと聞きました。

会ってみたかった、そう思います。

ひめゆりの女学生さんが、奉仕活動をした壕の中はさながら地獄の有様で、衛生用品もなく、食べ物もなく、苦しみ亡くなって行く兵隊さんにほとんど何もできず、学校の行事の一環だと思っていたのに、食べるものもなく、眠ることもできず、爆撃を受け亡くなっていった方がたくさんいました。

沖縄はアメリカに占領されましたから、生き残った方々の暮らしも大変なものでした。

1972年、本土復帰、私が7才の時でした。

今こうして、沖縄の美しい海に潜ることができているのも、戦争でお亡くなりになった皆さん、苦しい生活を耐えて生き抜いてきてくださった皆さんのおかげと心から感謝いたします。

この平和が尊い命の犠牲の上にあることだけは忘れないで、その方達の分も命を大切に、命を輝かせて生きようと思いました。

母が「明兄さん」と呼んでいましたから、私には「明おじさん」です。

明おじさん、ありがとう。
おじさんは私の元を訪れてくださったんですね。
おじさんの分も命尽きるまで精一杯生きます。
安らかにお休みくださることを心よりお祈りいたします。
本当にありがとう。





書くのが追いつかない

2024-01-27 23:10:00 | 日記
皆さま、大変ご無沙汰しております。
見直してみたら、昨年の8月から書けていなかったのですね。

本当に書いている時間がまったくなかった半年でした。

あまりにもたくさんのことがあって、日々それをこなしていくのが精一杯。

書いている時間にやらなければ、更に睡眠時間を削ることになるので、年齢的にそれはできないと悟りました。

今日は、今日のことを書きます。

ずっと答え合わせが来ていました。自分の人生の答え合わせです。

人生がこんなにハードモードになってしまった苦しみ、悲しみのルーツがどこから始まっていたのかもはっきりわかりました。

一番の原因は
私が私に嘘をついたことです。

人を傷つけないために、自分を傷つけ、それは、重症、いや重体となるほど、自分を痛めつけることとなりました。

そしてその種が今目の前で花をつけています。

苦しみと悲しみと痛みの花です。
血と涙を流しながら咲いています。

私はその血と涙を拭いながら、その花の話を一生懸命聴いています。

「痛かったね」「辛かったね」「苦しかったね」

これもすべてカルマから来るものでしょう。

人間関係も自分の弱さも。
だからどんなことがあってもそれらから目を逸らすことなく、見つめ続け、乗り越えて、終わりにしなければなりません。

周りがどうあれ、人がどうあれ、結果的にその選択をしたのは自分なのです。

あまりにも苦しく、吐き気がして、もう死ぬかもしれない、と思っていたら、「そうだ、私にはやっこうりんがあった」と思い出しました。

やっこうりんは思ったとおり、全く上に舞い上がりませんでした。

でも10項目書き終わった時、「人生、何とかならないことはないんだよな」と思っていて、吐き気もおさまり、気持ちが明るくなっていました。

やっこうりんに巡り会えてから、私も子どもたちも、ずっと開運し、良くなってきています。

やっこうりんに会えたのだから、どんなことも乗り越えられるし、乗り越えなければならないのだと思います。

数十分前まで、死ぬかも、と思っていたのに。

感謝しかありません。

私の選択が間違えていたとしても、親や夫の毒いっぱいの言葉、行動はいつか自分に帰っていくでしょう。

全部自分に帰ってくるのです。

だからこそ、愛ある言葉、愛ある行動、自分が愛だったら、どうするだろう、そういう視点で物事をとらえ、生きていくことが大切なのです。

今日も読んでくださってありがとうございます。

2月は沖縄にホエールスイムに行ってきます。
3月はフィリピンのセブ島でダイビング。

7月はやっと前を向けるようになってきた娘とモンゴルに行く予定です。

もちろん、反対を押し切ってのことですが、もう自分の直感を信じてやるしかありません。

今年に入ってから、日月神示の大峠がいよいよ始まったと感じています。

波に乗るのか、波に翻弄されるのか、波に呑まれてしまうのか。

どうせなら、勇気を出して、自分から波に乗っていこうと思っています。

答えは後からやってくる。
でも答えが出てからでは遅いのです。

答えが出なくても信じて進むことが求められている。

私は若い時、それをしなかったから、今こんなにハードモードになっています。

本当に価値のあることは、人にはわからない。
賛成など、もっとしてもらえない。

それでも進むのかと問われている。

進むものだけが行ける世界が、この大峠の向こうに待っている。

それを見るためにここに来たのだ。

同じ志を持ち、お互いに認め合い、励まし合える人たちと新しい世界を作るために、きっと今も私は鍛えられているのだろう。

そう考えれば納得できるし、また前を向いて進んでいく勇気が湧いてきました。