あしたは今日よりもっとすばらしい!

明日のあなたが今日よりもっと輝けるヒントをお伝えします。

セルフエスティーム

2025-02-19 10:18:00 | 日記
 皆さん、こんにちは。

また寒波が来ているようで、日本全国寒さも厳しく、日本海側の大雪で雪かきなど大変な思いをされている方も多いことと存じます。

1月、息子が新潟のかぐらみつまたスキー場に行き、2メートル50センチの積雪で、両脇の雪の山に突っ込んだら出てこられないくらい雪が積もっていたと話しておりました。

最上級者コースで、スノボーをしていた若い女性が雪の中から出られず亡くなる事故もあったようです。

雪の少なかった昨年と同じ気持ちで、同じコースを滑ったのかもしれません。

想像を超えるくらいの大雪が降っているようです。無理をしないで慎重に、お身体気をつけて雪に対処していただけたらと思います。

私も若い時は感じなかった寒さを最近は感じています。

年末年始フィリピンでダイビングをしている時は、身体のどこかが痛い、ということもなかったので、寒いだけで、身体は固くなるし、血流も滞り、不調が現れてくることを実感しました。

タイトルの「セルフエスティーム」とは自分自身を価値あるものとして尊重する感覚です。

そして人は自分のセルフエスティームに見合ったものとしか出会えないということです。

自分は世界をありのままに見ている、とほとんどの人は思っていると思いますが、私は若い時と今とで、セルフエスティームが地の底から空高く上昇するくらい変化したので、それに伴い現実が変化していくことを身をもって体験しました。

自分はダメな人間だと思っていると、ダメ人間にふさわしい現実が現れてきます。

そして「やっぱり自分はダメな人間なんだ」と認識しますが、それは宇宙が自分の思っていることは正しいという証拠を見せてくれているのに過ぎないんですよね。

でもだからといって、昨日までダメ人間だと思っていたのに、今日から「自分は素晴らしい」と口に出して言ったとしても、それは嘘だと見抜かれてしまうので、口先だけでどんなにアファメーションしても無駄です。

一番大切なのは行動することです。

私は若い時もダイビングをしたかったのに、やりませんでした。

やれるだけのエネルギーがなかったことが一番の原因だとは思うのですが、できない理由が先に来るんですよね。そして自分を正当化して、できなくて仕方がない、と自分に言い聞かせて納得してやりませんでした。

でも一つやったらそれに伴う未来が違ってくるんです。

やりたいことをやった先の未来とやらなかった先の未来。

その次は一つ階段を昇るか降りるかだけかもしれませんが、その次もやるかやらないかでまた階段は離れていきます。

それを何年も何十年も続けていったら、それはもう別人といっていいくらいの人生の差になってしまいますよね。

若い時は時間の大切さがわかりませんでした。

言い訳を言って弱い自分を守ることの方が大事でした。

でも時の砂時計は確実に落ちて、今はできないことがはっきり見えてくる年になりました。

息子は先日、石垣島でインストラクターの資格を取得しました。

死ぬほど大変で2度とやりたくない、と話していました。

一緒にダイビングを始めましたが、大きく差をつけられました。

しかし息子がインストラクターを取ったので、私にプロの入り口であるダイブマスターの講義をして取らせることはできるから「頑張れ」と言っていました。

日程の都合がついたらチャレンジするつもりです。

去年の今頃は沖縄でホエールスイムをしていました。

間近でクジラの子どもと対面した時の感動は一生忘れません。

その頃、まだマスクに水が入ると言っていたのに、6月に八丈島に一人でダイビングに行って、認識が変わったそうです。

インストラクターまで取ると言って本当に取りました。

そもそも八丈島に行こうと思ったのは、ドルフィンスイムで、御蔵島を訪れた際、天候不良で八丈島経由の便に乗るよう言われて、八丈島に行っても降りられず、再び御蔵島に寄港した際、他の人たちはその時そこから乗っていて、「俺たちだけ、何だよ」と思ったことから始まったようです。

リベンジに八丈島行ってくる、と気楽に出かけていきましたが、海の美しさと八丈島のダイビングでスイッチが入ったようです。

そして石垣島から帰ってきて3日後の昨日、スリランカにダイビングに行きました。

私の方はサイマティクスのCDもそろそろ飽きてきたので、またクリスタルボウルのCDを聴いてみたところ、身体中の振動がすごくてびっくりでした。

クリスタルボウルはヘッドフォンで聴くように指示があったのですが、サイマティクスの方は全身で音と周波数を浴びるのでヘッドフォンをしないように指示がありました。

スピーカーをどうしようか考えていたら「抱っこスピーカー」というものを発見し、このスピーカーを抱いていると身体中で音を感じることができ、感動でした。

そしてもう一度抱っこスピーカーからクリスタルボウルの音を出してみたら、ヘッドフォンとは比べられないくらい身体中で音を感じ、骨の中も血液の中も振動で震えていました。

そしてサイマティクスでは、寝入るまで時間がかかっていたのですが、気がつくと眠っていて夢を見ていました。

脳の覚醒にも影響を与えていると再認識し、今これが必要だということなのでしょう。

最近は、5次元意識とよく言われます。
縄文の頃の人々は5次元意識でした。

争いのない時が1万年とも1万5千年続いたとも言われています。

なぜ人々は争うことなく平和に暮らせたのでしょう。

それは人と自分という境界線がなかったからです。

私はあなた、ということが自然にわかっていました。

目の前の誰かを傷つけるということは自分を傷つけることです。

誰かにしたことはいつか必ず自分に帰ってきます。

それならいいこと、喜んでもらえること、それをいつもしていけばいいだけです。

そんなふうに思えるためにもセルフエスティームは大事です。

自分を大事にできる人は人も大事にできるし、その反対もそうです。

自分の心の声を大切に拾い上げて、本当の自分の希望を聴いてあげることから始めればいいかもしれません。

そして行動することです。

めんどうでも大変でも計画をたててやってみる。

やらなければ出会うことのなかったたくさんのものに出会っていきます。

その積み重ねが人生となり、自分だけの唯一無二のオリジナルの道が出来上がっていきます。

たくさんの思い出と体験はこの世界にいるからこそ、できることです。

人生の成長法則は「行ったことがないところにいって、会ったことがない人に会って、やったことがないことをやり、やり切る」

そう生きていたら、必ずそれに見合った必要なものがどこかからやってきて助けてくれます。

日本人は謙遜が素晴らしいと幼少期から刷り込まれて、自分を過小評価し、それに見合ったものしか人生から受け取っていません。

私たち一人ひとりが、その罠から抜け出し、本当の自分の人生を生きていったら、自分の人生が良くなるだけでなく、世界を、地球を、宇宙を素晴らしいものに変えていきます。

私たちは見たいものを見られる時に生きています。
  
可能性はいつでも目の前にあって、私たちが飛び込んでいくのを手を広げて待っていてくれます。





すべては最終回

2025-01-26 18:24:00 | 日記
少し前から「冷え取り」をしています。

一番大切なのは「半身浴」ということで、今日は時間が取れたので半身浴しながら、書いています。

絹、木綿、ウールなどの天然素材の靴下の重ね履きもあるのですが、できる範囲で、一番下にシルクの薄いソックスを履いてみました。

肌に触れるものはシルクが一番ということで、いろいろシルク素材のものを試しています。

少し前まで、シルクには全く興味がなかったので、本当に不思議です。

身につけようとも思わなかったし、何となくコットン100%の方が気持ちが良さそうに感じていたのですが、身につけてみると、さすがシルクでした。

今は楽天やAmazonでも品数も豊富で値段もお手頃のシルク製品がたくさん出ているのでありがたいですね。

これもネットが普及したおかげです。
世界が広がったし、良いものを選べる時代になりました。

夜眠る時も、足を冷やさず、暖かい状態で素足で布団に入り、電気アンカも寝るまでつけていたので、暖かいと思っていました。

それが絹と綿の2枚重ねの靴下を履いて寝たら、朝起きた時、身体がポカポカだったことと、夜中にトイレに起きなくなりました。

自分では暖かいつもりでしたが、冷えていたんだと思います。

若い時はストッキングにパンプスでした。冷えも感じなかったし、その方が格好良かったので、いつもそのスタイルでした。

つい先日までそうでした。

息子に外反母趾を指摘され、「何でスニーカー履かないの?厚底スニーカーだってあるじゃん、そんなになるまで我慢してるってどういうこと?」

本当にその通りです。

息子のイチオシのNIKEのエアマックス270を履いたら本当に気持ちよくて、もう2足目です。

Amazonで、相当値上がりしていましたが、これが一番と買い替えました。

それでも毎日履いて2〜3年持ちました。だから高い買い物でもありません。

外反母趾は治りませんが、他の指は伸びました。
これから転びやすくなる年齢になってくるので、しっかり大地を踏みしめられる足でありたいと思います。

ゆびのばソックスという5本指の靴下もお気に入りで使っています。

足だけでなく、歯や目や自分が元々持っているものを粗末にし過ぎました。

心の痛みは身体の5,000倍身体を傷つけるそうです。それが自分の身体の弱いところに蓄積し、疲労やストレス、加齢で弱くなった時、病気として目に見える形で出て来ます。

冷え取りをすると好転反応が出ることも多いそうです。何年も前の痛みや冷えがやっと出てくるようなこともあるようです。

最近は自分の内面と目に映る世界のリフレクションがとても速く起こるのでわかりやすくなってきました。

それだけにいつも自分を大切にして、自分の心と身体の声を聴いて、労わりながら、生きとし生けるものの幸福を願って日々を過ごすことの大切さを実感しております。

自分の波動を上げて行くことはとても重要です。
この世界に存在しているのに、自分がその位置まで到達していないために出会えないものがたくさんあります。

本当にパラレルワールドです。

タイトルの「すべては最終回」は今日、YouTube で「Jet Stream」の番組を聴いていた時のある方のコメントにありました。

ナレーターの城達也さんの最終回でしたが、「思えばすべて、最終回なんですよね」と。

今はやりたいことにチャレンジできる自分になりましたが、やらずに言い訳を言ってやらなかった若い時でした。

私を変えてくれた一番の人は息子だといつも書いていますが、この人生は息子に会って、本当の人生を生きられるよう変えてくれる人生だったのでしょう。

心の醜い私はチャレンジしても叶わなかっただろうし、それをまた何かや誰かのせいにしたことでしょう。

親やその親、もっと先祖から受け継いできた悲しみ、カルマをここで反転できたと思います。

人は必ず幸せになれる、でもそれには苦しみを伴うこともあるし、絶望の淵に突き落とされることもある。でも今全てが喜びに変わりました。

これだけリフレクションが速い時代にまだ、ネガティブな想いを持ち続けていたら、本当に大病を病んで命を落としていたかもしれません。

何の気づきもないまま、この世を去ってもまた0からの出発となります。
全速力で走ることになっても、ここでゴールテープを切るつもりです。

どうぞ皆さんも、自分に正直に、自分を大切に、今日が最後の日であるように、すべてのことが最終回であるように、大切に人生を生きてください。

今年も良い年でした。

2024-12-31 18:22:00 | 日記
皆様、いつもながらご無沙汰しております。

今年もあと数時間となりました。どのような思いで大晦日の日を迎えておられることでしょう。

私は盛りだくさんで走り続けた一年でした。

その度、書こうと思うのですが、時間がなく、書き留めていられませんでした。

今フィリピンのセブ島に来ています。3月に来て以来2度目です。

今日も4ダイブして今やっと時間ができて書いています。

息子と始めたダイビングですが、息子はプロの入り口であるダイブマスターをここ、セブ島で9月に取得し、私よりだいぶ上達しました。

その時ハリケーンが来ていてボートが大破し、今回ビーチを歩いてエントリーかもしれないと心配していたのですが、ボートはレンタルされていて問題なく潜れています。

フィリピンでは機材のセッティングも洗いも全てスタッフがしてくれるので、本当に楽で楽しく天国ダイビングです。

どこに潜ってもたくさんの魚に出会えます。

こうしてダイビングができるのもたくさんの人や機会に恵まれた結果です。

特に息子には感謝しかありません。1人だったら、どんなにやってみたくてもダイビングを始められたかわかりません。

私はよくボーッとしているとか、天然だと言われますが、これは生まれつきで一種の発達障害なんだとわかりました。

障害という言葉が適切かはわかりませんが、普通の人より、実際の社会生活を送るのは大変だったのかもしれません。

60間近にしてやっとそれがわかり、今までよく頑張って来た自分と、いつも助けてくれたたくさんの皆様に心から感謝しています。

親が子どもの特質を見抜くのは容易なことではありませんが、母は私に他の人と同じように勉強ができて社会的に成功することを望み、それに応えようと必死に頑張りどんどん空回りして、本当の自分を見失い、本当の私の良さを全否定して生きて来た結果、若い頃は間違いと苦しみの連続でした。

大人になっても結婚して子どもが生まれても私はその呪縛の中で嘘の自分を生きてきました。

だからいつも苦しかったんです。

息子によく「2MB」と言われます。容量が少ないという意味です。

頭が悪い、とかバカ、とかいう言葉を使わずに私を表現した言葉ですが、的を得ています。

すぐ忘れてしまうし、数字は頭に入ってこないし、とにかくいろいろ普通の人とはずれています。

普通というのもこれからは無くなっていくとは思います。
「みんな違ってみんないい」そんな世界に移行していくでしょうね。

そのタイムラインを生きる人と今まで通りのタイムラインで生きて行く人に別れていくのかもしれません。

いずれにしても、私の人生は息子のおかげでリセットされ、今はありのままの自分を受け入れ、自分として精一杯生きています。

心に何のわだかまりもなく、幸せと感謝の心でいつも今ここにいられるようになりました。

花を育てる時の気持ちも息子に教えてもらいました。

人間は自分の都合で植物を植え、いらなくなったら片付けようとするけれど、みんな生きている。
花が咲かなくなっても、必要でなくなっても、その植物が生きている限り、めんどうを見なければいけないんだ。

星の王子さまの言葉のようです。

あの薔薇に責任がある。だから僕はあの星に帰らなければならないんだ。

夏の間素晴らしく咲いてくれたサンパチェンスと日々草。ずっと一年草だと思っていたけれど、多年草でした。

大きくなったその株を掘り起こし、家の中の陽当たりの良い部屋に連れてきました。

何十株もあったので、腰が折れるかと思うくらいの重労働でした。

でも何とか助けたい、そう思って頑張りました。

このまま越冬して次のシーズンまた花壇で美しく咲いてくれたら、そう思います

その後、不思議な出来事が起こり、私はサンパチェンスと日々草の恩返しだと思いました。

言葉を話さない植物たちが一生懸命考えてくれた贈り物だと思っています。

心を込めてお世話をし、心からの愛を送っていたら、必ずそれは伝わること、そしてそれがどんなに嬉しくて幸せなことか、教えてもらいました。

来年も、丁寧に生きていこうと思います。
何があっても人生は素晴らしい。
素晴らしいことが待っています。

自分の心が現実生活を作っています。
目の前の出来事は自分の心の反映です。

自分を大切に、自分に感謝して、すべてに愛を持って生きていたら良いことしか起こりません。

2025年も皆様にとって素晴らしい一年となりますよう、心からお祈りしています。


私たちは創造主の光の煌めき

2024-09-11 07:52:00 | 日記
 昨日土手下の道路を走っていた時のこと。

まだ真夏のような太陽が照りつけ、土手の草がキラキラ光ってとてもきれいでした。

よく見ると空も光っていて、目に映るもの全てが光っていました。

私たちも自分のことは自分では見えないけれど、きっと外側から見たら、こんなふうに光り輝いているんじゃないかなと思いました。

創造主がそのようにお造りになりました。

夏が終わり秋が来て冬になれば枯れてしまう草でさえ、こんなにきれいなのだから、何十年も生きることを許された私たちは、どんなに美しく尊い存在なのだろうと思いました。

生きている、それだけで本当に素晴らしいことです。

気づくこと。

意識一つで、この世界は既に天国であり、地獄なのだと思います。

その気づきが訪れますように。
全ての人が自分の尊い価値に気づいて自分らしく命を輝かせて生きてくださいますように。

写真は沖縄の平和祈念公園から見た景色です。
約80年前、ここは激しい地上戦が繰り広げられ、多くの命が奪われた場所でした。

私たちは生きたくても生きられなかった人たちの想いも背負って生きている。

その方たちの犠牲の上に今の平和があります。

尊い御魂への感謝と鎮魂と共に、自分の命に感謝し、命を輝かせて生きることが、その方たちへの何よりのご供養だと思っています。

沖縄ダイビング、レスキュー講習を終えて

2024-08-16 19:24:00 | 日記
 皆さん、大変ご無沙汰しております。
8月10日から15日まで、沖縄に行っておりました。ダイビングのレスキュー講習が一番の目的です。

昨年の夏、沖縄でオープンウォーターとアドバンスのライセンスを取ってから、とりあえずアマチュア最高峰のマスターダイバーの資格をとろうと思ってきました。

そのためには、レスキューダイバーの資格をとること、50本以上のダイブ経験、スペシャルティという専門コース5つ以上、取ることが基準となります。

今回、レスキューをとって、ドリフトのスペシャルティもとったので、あと1つのスペシャルティと残り7本ほど潜れば申請できます。

今回は辺戸岬という沖縄本島の北の端の鍾乳洞に潜ったのですが、とても楽しかったです。

またYouTube にアップする予定なので、良かったらご覧ください。

今回はダイビング以外にも時間がたくさんあったので、息子がまだ行っていなかったひめゆりの塔や平和祈念公園も訪れました。

20才の時に沖縄を訪れた際、ひめゆりの塔も行きました。当時、古手川祐子さん主演の映画が公開されており、感慨深いものがありましたが、資料館はありませんでした。

今回りっぱな資料館を訪れ、ひめゆり学徒隊の証言もお聞きし、あらためて、戦争について考える機会となりました。

平和祈念公園には平和の礎(イシジ)という石碑が建てられてあります。そこには太平洋戦争で亡くなった方のお名前が刻まれています。

県別に分けられておりましたので、私は母に聞いていた戦争で亡くなった伯父の名前を探しました。

すぐに見つかりました。伯父は20才くらいで亡くなったそうで、会ったことはありません。

傷病兵で亡くなったらしいのですが、生前とても優しい人だったと聞きました。

会ってみたかった、そう思います。

ひめゆりの女学生さんが、奉仕活動をした壕の中はさながら地獄の有様で、衛生用品もなく、食べ物もなく、苦しみ亡くなって行く兵隊さんにほとんど何もできず、学校の行事の一環だと思っていたのに、食べるものもなく、眠ることもできず、爆撃を受け亡くなっていった方がたくさんいました。

沖縄はアメリカに占領されましたから、生き残った方々の暮らしも大変なものでした。

1972年、本土復帰、私が7才の時でした。

今こうして、沖縄の美しい海に潜ることができているのも、戦争でお亡くなりになった皆さん、苦しい生活を耐えて生き抜いてきてくださった皆さんのおかげと心から感謝いたします。

この平和が尊い命の犠牲の上にあることだけは忘れないで、その方達の分も命を大切に、命を輝かせて生きようと思いました。

母が「明兄さん」と呼んでいましたから、私には「明おじさん」です。

明おじさん、ありがとう。
おじさんは私の元を訪れてくださったんですね。
おじさんの分も命尽きるまで精一杯生きます。
安らかにお休みくださることを心よりお祈りいたします。
本当にありがとう。