なんくるないさ~いい加減の7割と別解で~

「お菓子のようなおいしい人に」(西村滋)。夢やロマンは想像力から。これからどんな人生が…そんな思いをつれづれに

「怒る」と「叱る」

2014-04-04 06:04:59 | 日記
僕がいる業界?では、新人は「叱る」ことができない、「叱る」ことができるようになって一人前とさえ言われることがある。
子どもたちは、「叱られた」ことを「怒られた」と表現することがある。
では、「叱る」と「怒(おこ)る」は、同じ意味なのだろうか。「怒り」に任せて「叱る」という言い方もする。
ここでは、辞書的な解釈でなく、いま、僕なりに考えていることを書き綴ってみる。

 「怒る」とは、自らの感情(ある種、自分の嫌悪感)の怒(いか)りに任せて、相手に「恐怖」「恐れ」を与えること
 
 であり、

 「叱る」とは、理性(あるいは、道理。相手のこれからのことを考えて)をもって、叱られた相手が納得し、改善に向かっていくことが展望 されること

といったことになろうか。
 とすれば、時には「怒り」に任せて「怒る」ことも必要ではあると思うが、僕がいる業界では、特に「叱る」ということを大事にしなければならないのではないか。
 文章を閉じようとしたとき、「怒り」がなければ、成長も進歩もないような気もしてきた。「怒り」は、「起爆剤」・「エネルギー」でもあり、何かの「バロメーター」というような気もしてきた。
 昨夏、西郷竹彦氏が立ち上げた「文芸学」を学ぶ、継承・発展させている文芸研の研究大会に、初めて参加した。「あさの あつこ」さんのお話も面白かった(ご高齢にもかかわらず熱さが伝わってきました。西郷氏だけでなく、これまで大村はま氏・青木幹勇氏に直接お目にかかれていること幸運です。わがお師匠のおかげです。)が、TBSの報道特集」の金平茂紀さんのお話もよかった。その金平氏が書かれた「沖縄ワジワジー通信」(七つ森書房)を購入し、サインとともに握手をしていただいたことが思い出された。
 「ワジワジー」とは、金平氏が沖縄の人たちに「金平さんは、いつもワジワジーしているね。」と言われているのだそうだ。
 いつかまた稿を改め考えてみたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿