なんくるないさ~いい加減の7割と別解で~

「お菓子のようなおいしい人に」(西村滋)。夢やロマンは想像力から。これからどんな人生が…そんな思いをつれづれに

「無駄・遊び」と「効率」は教育・人生にとって

2014-04-15 00:08:14 | 日記
僕が尊敬する研究者にK先生がいらっしゃいます。本来は,直接ご指導いただいていないので,勝手に「先生」と呼ぶことは控えなければならないところですが……。
K先生の埼玉大学のゼミ出身のTさん(この方も大学の研究者として活躍されています)という方が僕が在学していた大学の大学院へ入学されてきたことがことの始まりです。
K生の書かれた『私の中の囚人』(高文研)は,すごいのです。
K先生は,生活綴方の研究者でもあるのですが,自らが生活綴方を実践されていると僕は思っています。自らの生育史,ありようを見つめるリアリズム。衝撃を受けたのです。
そのK先生がブログの中で,

 少々疲れたなと思うと、療法士が「何か飲みますか?」と声をかけてくれる。ぼくは暖かい緑茶が好きなので「暖かいグリーンティを」  と注文する。すると療法士があつらえてくれる。それはどこでもあるサービスだろう。だが、「Kさんは、暖かい、という表現と、グ  リーンティという表現を必ずしますね。どうして、暖かい+緑茶、じゃないの?」という<遊びのコミュニケーション>が為される。こ の<遊び>こそがリハビリの空間を和ませ、楽しませ、やる気をいっそうおこさせてくれたのだ。これは、ぼくなどが日本の教育界から つかみとらされていた<無駄の徹底排除>(たとえば、掃除における黙働)という「教育的正義」の対極にあるものだ。

と書かれています。
K先生のご病気の状態はもちろん心配ですが,自らのリハビリ生活さえ,研究,思考,いや自らの成長・発達の力に生かされていることです。「生きて働く力こそ教育の力」なのでしょう。
長くなったにもかかわらず,表題の中身にたどり着きません。
また稿をあらためて。

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