元祖toto’s blog

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暴風雨対策

2009年10月06日 21時47分11秒 | 生きる
Weathernews より

接近中の台風18号、とても心配です。

数年前にこのブログでも書いた一つの対処方法。

雨が吹き込むドア、戸、シャッターに有効な方法。
外からガムテープを「L字型に」貼り付ける事。
特に浸水の場合
ドア下部に外からガムテープを貼っておくだけで
水の重力がテープを押し、ドアなどの隙間が塞がり
浸水を防ぐ事ができます。


あと1日の猶予があります。
今まで浸水した記憶のある方はすぐに!
ドアの隙間にガムテープを貼る!
そして台風だけでなく、災害時ブルーシートや土嚢を使う前に
ドア、シャッターの隙間にガムテープを!

注意!
・但し、他の出口が無い場合はドアが開くように!
・ドアの全てをガムテープで貼ってはいけません。
・紙テープはNG!布テープでなくてはいけません。
これは必須です。

人生が変わる瞬間(TV番組を見ていて)

2007年08月19日 09時28分46秒 | 生きる
以下に再掲する文章はちょうど6年前【 子育て日記 】に書いたものです。

交通事故 VOL1. すべてはこの日から  長女
 
 今日、日本テレビ24時間テレビを放映中。その、雰囲気を利用させていただくしかない お話しです。
 この日、日常通り全員を学校に送り出してから数分。
 けたたましい呼び鈴、ドアを叩く音。ここから、人生の大きな谷間が姿を現しました。「娘が、車にはねられた。」死にかけている。この、思い出したくない現実。登校途中、自転車通学の愛娘が車に激突。その現場に私たち夫婦は駆けつけました。
 アスファルトに血を流す頭を押し付け、横たわる愛娘。呼べど、返事はなし。「揺すらず、声をかけ続けて!」の声が耳に入る。何も答えず、か細い息をするだけの愛娘。ただ、現実を受け入れるべきか否かを頭の中で問いただす時間が過ぎ行くだけ。レスキューカーに乗って救命救急病院へ。
 病院では、壊れた愛娘の姿 意識不明に陥った愛娘の姿。これが、あのテレビの中で放映されていた、悲惨な事故の主人公・・。そうなってしまったなどと信じたくない。否信じない!!その時の、辛さ、辛さ、悲しさ、憤り。
 命だけは、命だけは、どんな姿でも受け入れます。とお医者さんに懇願。十中八九、元の姿は期待すべくも無い。命の補償も無い。(刑事さん、お医者さん、看護婦さん、事故に慣れている方々すべての方の感想。)その原点から、私たち家族の、現在の1年と8ヶ月目の姿があるのです・・・。
 元気な今を思う時、守ってくださったすべての皆様に感謝申し上げております。
119番を呼んで下さった方、レスキューの方、指示を与えてくださった刑事さん、そして命を守ってくださった病院の関係いただいたすべての方、それから、見守り続け力を与えてくださった友人、知人、親戚等のすべての方々。最後に、その社会資本を整備していてくださった行政の方、すべての方々に、感謝申し上げます。
 それから、娘はヘルメットをかぶっていました。ここに、ヘルメットを作ってくださった製作所の関係者の皆さんにも感謝の意を表します。
2001/08/18 PM10:00 UP 0014

当時は、一筋の灯かりを求めリハビリに明け暮れる日々でした。
彼女は今春大学を卒業、自動車学校に就職し日々活躍しています。

人生が変わる瞬間を経験。
しかし、落ち込んだ深い谷から這い上がる事ができました。

今の私にできること。一つの提案です。
皆さん、自転車に乗る時にもヘルメットをかぶりましょう!
それが、自らそして家族、ひいては全ての人の幸せにつながるはず。

みんな、ヘルメットをかぶろうよ!!    

               (あれから7年8ヶ月を過ぎた日の朝)

【 子育て日記 】は左下のBOOKMARKでリンクしています。 

暴風対策・台風5号(Usagi)接近

2007年08月02日 18時58分47秒 | 生きる
店舗を経営する私。
玄関のアルミサッシには雨戸やシャッターがありません。
昔は暴風でしぶき込む雨水で(軽い)被害を受けていましたが、
ある時、「そうだ、外側からアルミサッシの隙間(四角い周辺全部)に
「布製ガムテープ」を貼ればいいかも!?と思いつき実行しました。

結果、しぶき込む雨水は皆無。とても効果がありました。
そして、ビュ~ビュ~という音も減り、それに伴いストレスも減り一石二鳥の効果。

もちろん、今回も「布製ガムテープ」を貼ります。

皆さんの中で、同じような悩みをお持ちの方は、是非お試し下さい。

要注意は家の外側から!なので、接近する前に作業する事。
家の内側からだと、糊面に水が入り剥がれます。
あ、それから紙製は駄目ですよ。
布製なら剥がす時にとても楽ですが、紙製は・・・【怖】

P.S.最近、台風に名前が付くのをご存知ですか?
今回は日本が命名する番で「Usagi(ウサギ)」
うさぎ座から取った名前だそうです。
うさぎ座?そんな星座があるのですね?!【微笑】

猛烈な雷雨

2007年07月29日 21時49分52秒 | 生きる
午後8時から9時過ぎまで猛烈な雷雨。雷は時間に50発以上、それも近所に連発・・・私の人生ではじめての経験でした。山の神と三女には落ちて火災になった時の心構えまで真剣に伝えて、それでも、ケセラセラ、落ちたら落ちた時の事と・・・でも、このご主人、めっちゃ不安でした。【苦笑】

それにしても天候が今までの経験則ではない・・この雷雨、本当に怖かった・・・

平凡こそ非凡(TV番組を見ていて)

2007年07月18日 21時09分34秒 | 生きる
TBS「余命一ヶ月の花嫁」を見ていました。

最初に、教えをいただいた、頑張ったあなたに心からの感謝を申し上げます。
辛かった事でしょう。苦しかった事でしょう。
そんな極限の人生の中で取材を受け入れ頑張るあなたの姿に心打たれました。
今は伝わらない「風」となられたあなたに、取材を受け入れて下さり(TVの中でではありますが)お会いできた事に心からありがとうの言葉を送ります。

(今したい事は)「家に帰りたいことかな。そして、みんなを安心させてあげたい。」
優しいあなたに、優しいあなただから集まってくれたたくさんの優しい人達。
優しい思いをありがとう。優しいあなたの姿をこれからも心に刻み続けます。

「明日が来ることは奇跡。それを知っているだけで日常は幸せなことばかり」
人生を区切られていない人は一人もいない。
全ての人に寿命はあるものなのですが・・・あまりに苛酷な人生・・・
私も思う。「平凡こそ非凡」
若いあなたに人生訓をいただき、その思いをさらに強くしました。


瀕死の交通事故から奇跡的に回復し、今を生きる私の愛娘も今年で23歳。
助けていただいた命を大切に日々活きています。
私はあの日以来「幸せ探し」の日々を過ごしてきたつもりでしたが、日々に流され不平不満を思う日常になっているような気がします。


「明日が来ることは奇跡。それを知っているだけで日常は幸せなことばかり」
今の幸せに感謝し、明日からも真面目に頑張ります。
今日は本当にありがとうございました。

最後に、亡くなられたあなたのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

天災の報道(TV番組を見ていて)

2007年07月18日 09時02分08秒 | 生きる
このところ、台風、地震と大きな災害に襲われている日本。
新潟は大変な様子で同情しきり、それから、報道されない沖縄、南九州の皆様も大変な事でしょう。心よりお見舞い申し上げます。

TV報道で知る現場の方々の大変な状況を思う時、何事も無く「無事」である事を有り難く思い「平凡こそ非凡」の思いを強くします。

新潟では激甚災害指定があるようですが、ここで一つ思う事。
台風4号で壊れてしまった沖縄、南九州にはそんな報道は無かったのでは?すぐに忘れ去ってしまうほどの軽い被害ではなかったと思うのですが・・・

最近の報道は「喉元を過ぎた?」台風被害の報道が全くありません。

勉強不足で私の見ていないところで報道されているのかもしれませんが、そうでないのなら報道機関はちゃんと(短時間でも)全方位での報道をお願いしたいものです!

とにかく、現地の皆様の一刻も早い日常生活の復旧を心よりお祈り申し上げます。

交通事故を無くそう!

2007年06月21日 18時43分49秒 | 生きる
たった今、TVニュースで長男の同級生・クラスメイトが交通事故に遭い逝去された事を知りとても心が沈んでいる。

運転するバイクが、左折するトラックに巻き込まれ、運転手が死亡、同乗者が軽傷を負った。
両名とも40数名のクラスのクラスメイトであった。
ひたすら勉学に励む学校・学科であり、これから希望の将来が開く
そんな18歳での事故・・・
ご遺族の方々の心情を思うとたまらないものがある。

突然の悲報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
ご遺族の方々へお力落としをお慰めするすべもなく、ただ故人のご冥福を祈りあげるばかり・・・


思い返せば、長女が瀕死の重症を負った交通事故も18歳の冬であった・・・

最近、私も運転が上手いとうぬぼれているからか、慢心した運転が多い・・・
猛省し、交通事故撲滅のために何か出来る事は無いか考えなければならない・・・

救命救急医療の充実を!(TV番組を見ていて)

2007年06月08日 21時37分39秒 | 生きる
8年前、長女が交通事故に遭い頭部を強打、意識不明となり病院へ搬送。
そして・・・急性硬膜下血腫から奇跡の生還をしました。
それもこれも全て消防署の方々、当時の救命救急病院「周桑病院」の皆様のおかげでした。

詳しくは【 子育て日記 】にて
http://mituhalu.hp.infoseek.co.jp/kosodate/kosodate.htm


今、NHK四国「四国羅針盤・どうなる地域医療」を見ていました。

長女の命を助けていただいた「周桑病院」が存亡の危機にあります。医師が足りないのです。
当時は(【 子育て日記 】にも書きましたが)こんなにも立派なインフラを整備していただいている事に感謝し、それが無くなるなどの思いは微塵もありませんでした。そんな、この地域住民にとっての生命線であるこの病院が存亡の危機に直面するとは・・・・


提案があります。「愛媛県救命救急病院プロジェクトA」

松山市(川内・松山インター)
今治市(今治北インター)
西条市(東予丹原インター)
大洲市(大洲インター)
四国中央市(三島川之江インター)

愛媛県をカバーできる5都市を直線で結んでできる「ライン」が「A」の文字になります。


 この5箇所のインターから近い場所に救命救急病院があれば、助かる命が増えるはずです。できれば都会の交通量に影響されない道路に面するインターが理想的です。
 私は大洲市、四国中央市には地縁がなく、現在その地域性が分かりませんので、どの辺が立地条件にいいのか、あるいは現在病院があるのかわかりませんので、病院が必要である事だけを指摘し、ここでは私の住む町がいかに立地条件に合っているかを考えます。
 現在、川内インター、今治北インターには国立大学病院、および県病院が存在します。松山(川内)は最近の交通量では厳しくなりましたが他にも救命救急病院が複数あり、今治北インターからの病院は交通量も少なく迅速な移送が可能です。
 残念な事に、西条市近辺にある救命救急病院は交通量が多い場所にあり、道路渋滞が頻発しています。さらに「周桑病院」が縮小した為に、その他の病院も手一杯の状態に陥ってしまっています。

 この地域医療の弱体化を解決する為に、周桑病院をより大きな自治体(たとえば、国、県)のお力添えをいただき、以前の状態に戻していただく。今まで揃えているMRI等の充実した設備が活かせる救命救急病院として再起させて戴きたいのです。

 さらに、東予丹原インター直下には今年新築された立派な消防署があります。またインターからこの病院までは田舎道であり渋滞もなく、インターから降りて数分で搬送できます。なので、より広い地域の人々の命を護る事が出来ます。そして何より空白化したこの地域が以前のような安全な地域に戻ります。何卒、私の長女を救っていただいたこの立派な病院が再起し、この地域の安全を守る病院として未来永劫、活躍してもらえる。そんな環境に戻ってくれますように!

まずは、はじめの一歩。ネットに書き記します。

平凡こそ非凡(TV番組を見ていて)

2007年04月26日 21時29分10秒 | 生きる
アンビリーバブル。筋ジストロフィーと闘う彼の番組を見ていて。
次女が小中学校の頃、同じ病気と闘う友達がいました。
現在20歳、その人生に幸多かれと祈ります。

命を考え思う事。
私の人生、山あり谷あり・・・

長女 15歳、交通事故で急性硬膜下血腫、緊急手術。
          致死率65%からの奇跡の回復。
次女 7歳、糸球体腎炎。幼少ながら塩・水分の制限を完全に守り
          慢性腎炎の恐怖から完全復帰。
長男 15歳、****症候群。骨ガンの疑い。
          名医に病態・病名を発見して戴き回復。
三女 2歳、飴玉を喉に詰まらせ窒息、チアノーゼ。
          最後の最後と思い指を突き入れた時、奇跡が・・・
          後遺症も無く復帰。

こうして思い返す時、私と山の神の人生に山あり谷あり。
そして思う、常々口にするこの言葉。 「平凡こそ非凡」

今日もまた何事も無く平凡に暮れてゆく幸せ・・・・

体罰について考える  (TV番組を見ていて)

2007年04月20日 21時13分26秒 | 生きる
体罰について

「子供に馬鹿にされてしまっている教諭」の態度や言葉に説得力はありませんし、その場合にはその教諭の体罰にも説得力は無いと思います。
やはり普段から「毅然とした態度と人を引き付ける魅力を持った教諭」が発する言葉やその体罰であれば子供は成長する事でしょう。その体罰は許されるし、そんな先生の姿が理想の教師像ではなかろうか・・・と思って見ていました。
太田総理の言った「殴られたら殴り返せばいい」は、それと体罰は違うと言いたいのでしょうが、現場では防衛の為「殴る事」と体罰(教育)の為「叩く事」の区別は不可能だと思うので「体罰は駄目」とのルールは排除し、先生達の技量に任せて欲しいと思うのでした。

ちなみに私も中学時代、悪さをして並ばされ頭を拳骨で叩かれた、その先生は今でも記憶しています。もちろん、いい先生として。

青秋

2007年04月09日 22時15分13秒 | 生きる
齢(よわい)52歳。
人生を季節にたとえれば、今は青秋。

青春。甘酸っぱくほろ苦い思い出に満ちた蒼い時は胸に秘めておくだけのもの。
青夏。仕事に追われ、子育てに熱中し、手探りで我を忘れ走り続けた熱い日々。

そして、今。
青秋。山あり谷ありの人生を歩み、気がつけば老い先が見え始めたこの黄昏時。
青冬。やがてやって来るその時を悟れないまま悟ろうともがくであろう日暮れ時。

私の尻はいついつまでも青いまま。蒼いままに、青春。青夏。青秋。そして青冬。

そう。私の人生は「今はまだ人生を語らず。」ではなく、どこまでも「今はまだ人生を語れず。」それでいいのだと、今は思う。