ベストアンサー白獅庵白獅庵さん2005/3/13 22:44鎌倉北条氏の得宗被官千竈氏の「長島千竈文書」はご存知と思いますが、島津氏の下に地頭代(島領主)として千竈氏が南薩の港と南島群12島を支配しています。が、その内容は謎のままで、これからの解明が待たれます。推論としまして、 琉球の交易は中国の福州と朝鮮・釜山間が主軸です。このルートで琉球商船は倭寇に襲われたとの記録が多く、これは北九州松浦党ではなく千竈氏の支配する海賊衆が襲撃した、このため島津家が倭寇の首領との説が出来たのでは。 勘合貿易以外に武力を持って強制的通商・略奪を全て倭寇と言い、中国では「胡蝶軍」と言ったみたいです。 {胡蝶軍、飛還聚、飛去飛来江南路、蝶来非是関東風} 中国江南では胡蝶軍は東(奄美群島が東に当たる)から飛ぶように来て、飛ぶように帰ると表現しているので倭寇の拠点は千竈氏の島々であったと思います。 南薩千竈氏領地周辺には唐仁原(中国人の居住地)があり、唐渡口・唐浜なども在る。