ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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自分の人生を自分で切り開いて生き抜く力を育む学習指導と学校図書館の在り方を考える(第5回「司書教諭資格付与科目」実践共有シンポジウムのご案内)

2016年11月15日 | 「学び」を考える

 

 今年の3月から立教大学と大阪教育大学で隔月に開いてきたシンポジウムの最終回「学習指導と学校図書館」が来る11月20日(日)に大阪教育大学(天王寺キャンパス)で開催される。

「人間にとって、とにかく一番重要なものは、自由なんだね。自らの判断で、自らの責任のもとで生きていく、それが大事なんだ。日本でも、もっと早い時期に、子供を一人前の大人とみなして、自らの意志で生きていくのが当然といったような、そんな社会になっていってほしいね」(「15年ぶりで三浦さんの歌声を聞いた時、風が優しく僕の頬を撫でていった。」山田博之、月刊 『Live Station』 Nov 1990)。

 これは、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、 レナード・コーエンなどの訳詞も手がけておられるフォークシンガー、三浦久さんのことばである。私はこれまで、折に触れて三浦さんの「うた」と「ことば」と「生き方」に魂を揺さぶられてきた。この一節は、カナダのシンガーソングライターで詩人、小説家としても知られるレナード・コーエンと三浦さんに触発されて2009年に書いた私のブログ「レナード・コーエン(Leonard Cohen):自分の人生は自分で生きるほかない引用したものだが、先日(2016年11月7日に)レナード・コーエンの訃報がもたらされたことで、あらためて思い返している。「私は、自分の人生を自分で切り開いて生きているだろうか。波風のたたない安易な生き方を求めていないか。無用な争いを避け、きまりを守り、世間の慣習にしたがうことばかりに腐心していないか。問題状況を安易に切り抜ける方法ばかりを考えていないか。そうしているうちに、しらずしらずのうちに生気を失っていないだろうか・・・この袋小路から抜け出す道は、ひたすら問いつづけること。いま見えている現実を問い直し、自分の考えや行動を問い直し、その前提となっているものを問い直すことだ」「私は教師として、子どもたちに自らの力で人生を切り開いて生き抜くことを教えているだろうか。失敗を恐れ、安全を求めて、手順やマニュアルを与えて、手とり足とり子どもの学びをコントロールしていないか。子どもたちが、大人の顔色に左右されないで、とことん自分の問題と向き合い、試行錯誤を重ねて自分の力で状況を切り開いていくのを、助けているだろうか」
 11月20日のシンポジウムでは、この問いを胸に刻みながら、学習指導において司書教諭が果たすべき役割を考えてみたい。

第5回:「学習指導と学校図書館」と全5回のまとめ

参加費は無料で事前申込も不要ですが、終了後の懇親会に参加を希望される場合は、あらかじめご連絡ください。

日 時: 11月20日(日)13:15-17:00

テーマ: 学習指導と学校図書館

報 告: 足立正治、家城清美、中村百合子

振り返り: 山本敬子さんに5回のシンポジウムを振り返っていただき、話し合いをします。

場 所大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室

懇親会: 今回は最終回でもあるので、会場近くのちゃんこ料理店(花さき じんの庵)で打ち上げを兼ねた懇親会をおこないます。17時30分から2時間程度、会費は5,000円です。懇親会に参加を希望される方は、11月16日中に下記のアドレスにメールで連絡してください。

holisticslinfo#gmail.com (送信される際には#を@に置き換えてください)

 

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学校図書館における「情報メディアの活用」を考える(第4回「司書教諭資格付与科目」実践共有シンポジウムのご案内)

2016年09月13日 | 知のアフォーダンス

 

 学校図書館の管理、運営、活動を担う司書教諭の資格を付与(取得)するために、教員免許状の取得に加えて必要とされる5科目について、その教育実践(教育内容と方法)を検討するために3月から続けてきたシンポジウムを、この9月からは会場を立教大学から大阪教育大学に移して下記の要領で行います。とくに関西方面で司書教諭資格付与科目を担当しておられる先生方、現職の司書教諭や学校司書、広く学校図書館に関心をお持ちのみなさんにご参加いただければ幸いです。

「司書教諭資格付与科目」実践共有シンポジウム

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:15-16:00

 報告:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所大阪教育大学天王寺キャンパス 西館第9講義室

 懇親会:17:30より、PIZZA&GRILL フィアマ ロッサ(JR大阪駅前、ヒルトンプラザイーストB2)、会費5000円

*シンポジウムへの参加申込や参加費は必要ありません。ただし、懇親会に参加される方は事前に下記までメールでご連絡ください。人数に限りがありますので先着順とさせていただきます。ご了承ください。

holisticslinfo#gmail.com (送信される際には#を@に置き換えてください)

 「情報メディア」とは何でしょうか? 私のような素人は、すぐにパソコンやDVD、そのソフトウェア、コンテンツといった電子メディアを思い浮かべてしまいます。最近はインターネットを活用したデータベースやソーシャルメディアなど、その範囲はどんどん広がっているようです。学校図書館における「情報メディアの活用」とは、印刷メディアが中心だった従来の学校図書館に情報機器や電子メディアを補助的、付加的に導入して、図書館機能の拡大と強化をはかろうということでしょうか。しかし、学校図書館の経営に関わり、勉強していくうちに、必ずしもそうではないらしいことが分かってきました。
 2002年に刊行された古賀節子先生監修の「司書教諭テキストシリーズ」(樹村房)では、5冊のシリーズのそれぞれの見返し部分に「司書教諭テキストシリーズカリキュラム構成」という5科目相互の関連図が掲載されています。そこには、「学校図書館メディアの構成」と「情報メディアの活用」が、情報資源と情報利用との関係として示されています。つまり、学校図書館メディアを情報メディアとして活用し、それを基盤にして、学習活動と読書活動が(相互に影響を与えながら)展開されるという図になっているのです。朝比奈大作先生が執筆されたシリーズ04『読書と豊かな人間性』の序文には、以下のように記述しておられます。

(「読書と豊かな人間性」で学ぶ)子どもの読書活動とその指導のあり方とは、子どもの学習活動とその指導に関わる「学習指導と学校図書館」と有機的に関連づけて学ぶ必要があるし、この両科目は、学校図書館資源の収集・整理・保管に関わる「学校図書館メディアの構成」、ならびにその利用・提供にかかわる「情報メディアの活用」の両科目において学習される知識と技能との基礎の上に立つものでなければならない。(下線は足立)

 つまり、学校図書館メディアの「情報の記録、伝達、保管」という機能に着目して、その活用法を学ぶのが「情報メディアの活用」という科目なのでしょう。紙の図書も電子メディアも、その他、生徒の作品や実物、模型、手作りの情報ファイルも、アナログ、デジタルを問わず、あらゆる媒体が「情報メディア」として活用できます。読書や学習のために多様な情報メディアを活用する。子どもたちは、そのために必要な基本的な力である情報リテラシーやメディアリテラシーを身につけていくでしょう。それは学校における情報教育の一翼を担うことにもなります。
 こうして、学校図書館は「図書の館」から脱却して「メディアセンター」へと大きく変わろうとしています。多様なメディアを介した多様なコミュニケーションが、多様な経験の交流を促し、新たな経験を創造する。学校図書館メディアセンターは、学校の情報基盤として、情報教育の要として、これまでの学校教育の在り方に対して問い直しを迫る存在となるでしょう。私は、そんな可能性をもつ場所として学校図書館をとらえたいと思います。そんなメディアセンターとしての学校図書館活動の基軸となる「情報メディアの活用」は司書教諭課程においてどのように展開されるのでしょうか。皆さんの発表と議論に期待したいと思います。


 11月の最終回も大阪教育大学(天王寺キャンパス)で下記のとおり開催する予定です。

第5回:「学習指導と学校図書館」と全5回のまとめ

 日時:11月20日(日)13:15-17:00

 報告:足立正治、家城清美、中村百合子

 振り返り:山本敬子

 場所大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室 

 

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いよいよ今週の土曜日です! 「読書と豊かな人間性」(第3回「司書教諭資格付与科目」授業実践共有シンポジウム)

2016年07月27日 | 知のアフォーダンス

 

 自分の生活習慣で、Eテレの「日曜美術館」は夜の再放送を見るようにしている。一週遅れだが、24日の特集は花森安治さんの表紙画だった。花森安治といえば、戦後初の総合生活雑誌「暮らしの手帖」の編集長として知られた人である。(日曜美術館「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」現在、NHKがテレビ小説「とと姉ちゃん」を放映中であることから、作中の花山伊佐次のモデルになっている花森さんが取り上げられたのだろう。「とと姉ちゃん」を見ていないぼくには、日常の意識からすっかり排除されていた名前だが、番組で紹介される表紙画のどれもが見覚えがある。実際には、すべてを正確に覚えているはずはないのだが、なぜか、各号を目にし、手に取り、ページをめくったことがあるというリアルな手ごたえをもった感覚としてよみがえってくるから不思議だ。表紙に引きずられて、さまざまな記事の内容も思い出される。各種の商品テストや食べ物や料理のことなど、暮らしにかかわる新しい知識を得たのもこの雑誌からだった。沢村貞子、湯来貞一、藤城清治・・・といった、連載記事の寄稿者の名前も次々に脳裏に浮かんでくる。番組のテーマは「原画に秘めたメッセージとは?」だが、編集作業のほとんどを独りでこなしていた花森安治さんがこの雑誌に込めた暗黙のメッセージが、いつのまにか自分の血肉の一部になっていることに気づく。ぼくの生活のさまざまな局面において、隔月ごとに新しくなって我が家の片隅に置かれていたこの雑誌が、ぼくの人生を少しは豊かにしてくれただろうか。

 日々の暮らしの中で出会う本や雑誌が私たちの人生をどれだけ豊かにするか、いちがいには言えないし、様々な条件を限定しないと、たしかなことは分からない。だけど、これまで自分が生きてきた記憶をたどってみると、ある時、ある場面で出会った書物が多かれ少なかれ自分に与えたインパクトを与えた経験の一つや二つは誰しも思い出すことができるだろう。そう考えると、家庭はもちろんだが、子どもたちが一日の大半を過ごす学校においても、教科書や参考書以外に、友だちがもってきたり学級文庫や図書室で本に出合うことの意味を考えてみることは大切なことだろう。

 「読書と豊かな人間性」というタイトルには、個人的に違和感があるが、押しつけがましくなく、本との出会いを促し、読書意欲を喚起し、リテラシーを高めるには、どのような配慮が必要かを、これから司書教諭資格を取ろうとする学生や現職の教員に考えてもらうにはどのようにすればいいか。司書教諭課程でこの科目を担当してこられた皆さんのお考えや実践をお聞きするのが楽しみである。

「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム

第3回:「読書と豊かな人間性」

 日時:7月30日(土)13:15-16:00

 発表予定:朝比奈大作、野口久美子、平井むつみ

 場所:立教大学池袋キャンパス(7201教室)

(申し込みも参加費用も必要ありません。時間と関心があれば、どなたでも、お立ち寄りください)

 併せて、この機会に、かつてこのブログでも取りあげたことがある、学校図書館や出版・流通をめぐる社会的な課題についても、いまいちど、思いを巡らせてみたいものである。

「学校図書館というのはそれ自体背理的な存在なのです」(内田樹さん)

読書という場の不自由さや制約に意識的になるために(11月27日の和田敦彦さんのお話しをめぐって)

 この連続シンポジウムは、次回から、開催場所を立教大学から大阪教育大学(天王寺キャンパス)に移して下記の科目を取りあげます。(第5回については、当初、お知らせしたのとは開催日程が変更されていますので、ご注意ください)

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:15-16:00

 発表予定:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 西館第9講義室

第5回:「学習指導と学校図書館」

 日時:11月20日(日)13:15-17:30(終了後、懇親会)

 発表予定:足立正治、家城清美、中村百合子

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館416教室 

 

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第二回「学校図書館メディアの構成」に参加して(「司書教諭資格付与科目」授業実践共有シンポジウム)

2016年06月10日 | 「学び」を考える

 

 

二週間も前の話題で恐縮ですが、遅ればせながら報告させていただきます。

 先月末(5月28日)に行われた第二回「学校図書館メディアの構成」に参加した。自分がシンポジウムの企画にかかわっていなかったら、このテーマのために神戸から東京まで足を運ぶことはなかっただろう。いうまでもなくメディアの構成は図書館活動の核である。門外漢の自分は専門的な議論についていけないのではないか。それでも参加したいという魅力をこの科目に感じなかった、というのが正直なところである。そもそも図書館一般の議論には、一利用者として以上の関心がない。だが、この日のセッションで、そんな私の先入観は覆された。
 以下は、三人のパネリストのお話のなかから私が注目した部分を抽出して、まとめたものである。(実際に語られた記録は立教大学の”St. Paul’s Librarian”に掲載される予定なので、そちらをご参照ください)

 まず、吉田右子さんが、ご自身が所属しておられる筑波大学における教育実践の概要について、学部および講習における授業内容、授業方法、教材、さらにディスカッションやミニレポートのテーマとその扱い方などを、端的かつ明快に語ってくださった。この科目の全体像と教育方法を知ることができたことは、他の四科目と関連づけるための手がかりとなる。
 
つづいて、青山比呂乃さんは、千里国際学園におけるご自身の実践を紹介することで、学部の学生たちに学校図書館や司書教諭の役割と仕事を具体的に理解させようとしておられるという。一言でいえば「資料と利用者を結びつける」ということだが、これを青山さんは3つの観点から、それぞれ3つの要素、併せて9つの項目において捉えておられる。
 
まず、図書館の基本的な業務(サービス)として収集、整理、レファレンスを挙げ、これらの業務を遂行する過程で学校図書館専門職(司書や司書教諭)は、利用者を知る、資料を知る、情報リテラシーの育成を行うことが必要だ。総じて学校図書館メディアのコレクション(collection)は、コミュニケーション(communication)、カリキュラム(curriculum)とともに(3Cと呼ばれる)学校図書館活動の主たる要素を構成するというのである。
 
私は、十数年前の第一回のジャムセッションで千里国際学園の図書館を利用して資料探索をさせていただいたことがある。青山さんのお話を聞いていると、あのときの発見や気づきがよみがえってきて、実践の一貫性を再確認するとともに、語られる内容が深まりと広がりをもって伝わってきた。
 
三人目の中山美由紀さんのお話も、やはり実践に裏打ちされていて、具体的な事例をもとに授業を展開しておられる点で説得力がある。たとえば「選書から除籍まで」の一覧表は、実践者ならではの労作である。私は、かつて中山さんにいただいたこの表を「学校経営と学校図書館」の講習や授業で配布して、それぞれの作業過程を具体的に把握した上でマネジメントに活かしてほしいを伝えてきた。
 
また、中山さんは、コレクションの形成が提供の方法とも密接にかかわっていることから、「学校図書館メディアの構成」を「棚の作り方」や空間配置にまで広げてとらえようとしておられた。
 
三人のパネリストは共通して、分類の指導にあたっては、機械的に覚えさせるのではなく、何のために分類するのか、分類の意義や目的を分かって利用すること、利用をとおして理解を深めることを強調しておられた。
 
後半の質疑と討論では、件名や資料の配分比率も話題になった。
 
件名については、情報を絞り込むために使えることや、語彙指導と関連していることはわかるが、具体的に件名をどのように指導していくのかが知りたいところである。
 
資料の配分比率については、私は、かねてから「学校経営と学校図書館」の授業で取り上げてきた。実務者の直観だけでなく、数値を把握して、それがどのように形成されてきたものかを見なおし、具体的な資料と照合しながら経年的に観察・評価していくことでマネジメントに役立てることが必要ではないか。最後に、今回は話題に上らなかったが、学校図書館の予算(その請求と決定、執行のあり方)がコレクションの形成に影響していることも見逃せないだろう。限られた予算を学校図書館の目的を達成するために有効に活用するには、資料の購入計画と優先順位の決定、財産区分(消耗図書と資産図書の割合)などもふくめて、予算の立て方と執行方法に柔軟性をもたせ、その時々の現場の判断と裁量にゆだねられることが重要だろう。

 いま、こうして振り返ってみると、さまざまな問題が呼び起こされ、専門的な技術論に埋没することなく広く視点をひらく拡張性のある議論が展開されたという点で収穫が大きかった。さすがに研究や実践に裏打ちされた、専門家、専門職といわれる人の「目のつけどころ」は、生半可な知識の適用に頼ろうとする素人とは違う。

「これまで、図書館一般の議論を学校向けに適当にアレンジした程度のものだったこの科目を、全面的に学校図書館向けに再構成するべき」

 主催者の中村百合子さんには、そんな思いがあったそうだ。この日のセッションは、はたして「学校図書館の専門性」を確立するための一歩となったのだろうか。

 次回のシンポジウムは下記のとおりです。私は、もちろん参加します。

第3回:「読書と豊かな人間性」

日時:7月30日(土)13:15-16:00

発表予定:朝比奈大作、野口久美子、平井むつみ

場所:立教大学池袋キャンパス(7201教室)

 

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【学校図書館自主講座】「いま、わたしたちが考えるべき課題」のご案内

2016年03月17日 | 知のアフォーダンス

 

神戸で2010年からつづけている「学校図書館自主講座」の今年度第一回を下記のとおり開きます。関心のある方は、下記までメールでお問い合わせください。
holisticslinfo#gmail.com(#を@に置き換えて送信してください)

日時:4月17日(日)午後1時~4時30分

場所:神戸市勤労会館(三宮)講習室404

参加費:会場費と資料費の実費を参加者で分担します(300円~500円程度)

内容:

(報告1)「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講師:須永和之國學院大學教授(3月5日、日仏会館)

(報告2)「司書教諭資格付与科目」授業実践共有連続シンポジウム 第1回「学校経営と学校図書館」(3月6日、立教大学)

(その他の報告と話し合い)「いま、(学校図書館に関わる)わたしたちが考えるべき課題」
学校図書館ばかりでなく、いま学校が抱えるさまざまな課題にまで広げて、今年度の自主講座で重点的にとりあげたいテーマについて話し合います。

参考までに、これまで学校図書館自主講座が取り組んできたテーマは下記のとおりです。

2010年‐2013年「現代の教育課題に応える学校図書館
(2012年-2013年は、並行してフィンランドOulu市の実践を分析した「学校文化を変える学校図書館」を読みました)

2014年度「場所としての学校図書館

2015年度「探究的な学びと学校図書館の活用

【ジョン・デューイ読書会】

自主講座と並行して、有志による読書会をおこなっています。次回は下記のとおりです。

日時:5月22日(日)午後1時~4時30分

場所:京都の町屋

内容:ジョン・デューイ『思考の方法』(原著のタイトル”How We Think”)を読む

詳細は上記の自主講座と同じアドレスにメールでお問い合わせください。


今回の自主講座に関連して、ご参考までに山本敬子さんの了承を得て、以下に2016年3月5日付けフェイスブックへの投稿を転載させていただきます。

「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講演会(主催:日仏図書館情報学会、後援:学校図書館自主講座)

本日は恵比寿の日仏会館へお出かけ。
フランスでの研究留学から帰国された須永和之氏のお話をうかがってきました。
フランスでは幼~小学校にBCD、中高にCDIが設置されており、CDIには専門職としてドキュマンタリスト教員が配置されています。学校図書館に常駐し、一人で学校図書館の運営すべてを担います(パリのごく一部でアシスタントがいるそうですが)。教科の授業を単独で教えたり、担任はもつことはありません。ドキュマンタリスト教員は実務担当者であると同時に、校務分掌上の学校図書館の責任者でもあります。
フランスでは教員はすべて修士以上の学位が必要で、ドキュマンタリスト教員も同様に大学院での2年の養成課程を経る必要があります。さらに全国一斉の採用試験を受験し、合格して初めて現場に専門職として配置されることになります。
総合学習、情報教育、職能団体など、フランス学校図書館界のさまざまなお話を伺いましたが、体制がころころ変わるので、理解が追いつきません…。会場から、制度変更に伴うギャップ(養成、現職などさまざま)をどうすべきか、という質問が出ましたが、制度変更時や過渡期に必ず生じる問題ですね。日本でもどうすればいいんでしょうね~。
昨夏に日仏会館でお話ししてくださったドキュマンタリスト教員のローゼン・ブリオさんも参加され、懇親会ではさまざまな質問に答えてくださいました。私は他の教員からの職務内容の認知度についておたずねしたのですが、やはり1校に1人というのが基本なので、いつも何をしているかは文書にしないとなかなか伝わらない向きもあるそうです。生徒たちや同僚である教職員に対して日ごろしていることから判断してくれたらいいのですが、その現場や成果をきちんと見て評価できる人が校内にあまりいないのも現状です。
専門職制度が確立したからといって、そこがゴールではないということは、前回の日仏会館でのブリオさんのお話、2年前の熊本でのアメリカのバーバラ・ストリプリングさんのお話をうかがって感じていたことではあります。職務内容があまり理解されていないという意味では、日本での悩みも共通です。ただ、日本では実質上、専門職制度がない、という大きな違いがあります。
さてさて、日本で学校図書館の専門職が養成され、各校に必置とされるまで、あとどれぐらいかかるのでしょう?
明日は立教大学での『「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム』第1回に参加します。日本では学校図書館を専門とする研究者つまり大学で責任をもって養成にあたる人間が致命的に少ない、という問題を打開するヒントが得られるとうれしいです。

 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)