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ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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「正義の味方」は役に立たない(「知性の自由を求める教育」の衝撃をどう乗り越えるか)

2011年09月26日 | 「学び」を考える

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 3月11日以後、私たちは、さまざまな面で、これまでの生き方を問い直す必要に迫られている。災害のこと、原発のこと、メディアのこと。これまで目先のことに追われておろそかにしてきた問題と真剣に向き合わざるをなない状況にある。9月24日から立教大学ではじまった公開連続講座で私は、メディアをとおして世界とどのようにかかわっていくかについて、自分自身のリテラシーを問い直しながら、同時に子どもたちの教育のことを考えたいと思った。そのために、まず、知性の在り方を考えておきたい。「知る自由」というけれど、いったい何のために知るのか? 情報リテラシーを教えることで、子どもたちをどんな人間に育てようとしているのか? ただ情報を集めて知識を蓄積するだけでなく、情報をつかって世界をどのように認識し、何を考え、どのような判断をし、行動をするか、さらに感情や感受性のはたらきも含めた、いわば「からだぐるみのかしこさ」というべき知性をどのように育むのか? その手がかりを求めて第1回目の講師に旧知の中尾ハジメさん(京都精華大学教授)をお招きした。期待どおりというべきか(?)「分かりやすい」話ではなかった。福島原発事故の報道と原発を考える私たちの知性について、ハジメさんが映像をまじえて平易なことばで語ったいくつかのエピソードを重ね合わせて見えてきたのは、私たちが引き受けなければならない重い現実であり、メディアをとおしてその現実にどう向き合うかという課題であった。

強いインパクトを受けた直後に、その経験を言語化するのは、きわめてむずかしい。私には、とても要約などできないので、この日の記録が、やがて公開されるまで、しばらく待っていただきたい。以下は、帰りの新幹線で私の頭のなかをめぐったことをつづったメモに手を加えた、私のリアクション・ペーパーである。

 

私は、これまでずっと「原子力発電はやめるべきだ」と思ってきた。だが、マスコミの報道とネットの情報に釘付けになりながら、今さら、そうつぶやくことにどんな意味があるのだろう?

 3月11日以後、原発事故をめぐる人々の反応はさまざまだ。「専門的知識もなく、メディアの報道も信じられない」といって、何も考えない人。「東電や政府は正しい情報を開示すべきだ」と怒って、安全の判断や自分たちの行動までも政府にゆだねようとする人。ネット上に仲間を求めてツィッターをフォローし、憶測や不満を共有し増幅させつづける人。それで、いったい何が変わるのだろう?

 私たちは、放射能の危険性も分かっているし、原子力発電で増え続ける放射性物質を永遠に閉じ込めて有害性をゼロにできる見通しがまったくないことも分かっている。それでも、なお原発をもちつづけようという人たちには、それなりの理由がある。電力を安定供給して経済を衰退させたくない、電力会社を含めた現在の利権構造を変えて混乱を起こしたくない、核技術を高い水準に維持しておくことで抑止力を背景にした国の安全保障を維持したい・・・それが「現実路線」というもので、今の日本の首相も政権を担ってからは、これまでの慎重論から容認論へと短時間のうちに発言を変えていった。そして、昨日(25日)、原発誘致をめぐって住民の対立が続いていた山口県上関町の町長選挙で推進派の候補が反対派の候補に大差をつけて当選した。そのニュースが流れるなか、NHKのETV特集では「シリーズ原発事故への道程」の第2回目が放映されていた。今回は伊方原発訴訟から福島原発事故までを取り上げて、慎重論が置き去りにされて「安全神話」が形成されてゆく経緯を追いながら、反対の声が封じ込められ、モノが言えなっていく仕組みを浮き彫りにしていた。それでも、この番組の取材源となっている「島村原子力研究会」のメンバーが原子力発電は必要だという信念を捨てていないのが印象的だった。こうした流れに無力感を感じ、絶望的になったところで、やはり何も変わらない。

では、どうすればいいのか? 妙案があるわけではないが、まずは結果を焦らず、腰を据えてこの現実と向きあおう。結果を焦って視野を狭くし、徒労感を増すより、豊かな感性(感情や感受性)に支えられた動機を強くもつことの方が持続的な力になるのではないか。その上で、私は「正義の味方」にならないように心がけたい。敵を作って自分が正義の側に立つ、いわゆる勧善懲悪は明快だし、闘う意欲だって高まるかもしれない。だが、そんな構図ではとらえきれないほど現実社会は複雑に入り組んでいる。それを解きほぐしていくには、自分にとっての正義さえも俎上にのせて、考えぬくことが必要だろう。「安全神話」「隠ぺい体質」「原子力村」(これらはハジメさんが挙げた例だが、さらに「御用学者」も加えておこう)といった常套語句にとらわれて、現実の姿を見失っていないか? 既成のことばに倚りかからなければ何も語れないことに気づいた私としては、自分の身体感覚をよりどころに生身のことばを紡ぎだし、他者との対話を重ねることによって目の前の課題をひとつずつ打開していくほかないだろう。(それは、まさに9月26日に放映されたNHKのクローズアップ現代「放射能から子供を守る 連携する母親たち」に登場したお母さんたちが取り組んでおられる方法である。)

 現実と向き合い自分のことばをつかって思考を深めようとしない大人に、子どもの言語力や思考力を育てられるはずがない。まず、私たち自身の知性のありようを問い直して現実社会とかかわるところから、社会変化の担い手となる(社会の意思決定の主役となる)市民を育てる教育につなげたい。それが、今回の連続講座にのぞんで私が期待していることである。 

次回の講座は、10月29日(土)15時~17時

テーマ:メディアとメディアリテラシー論者と図書館:3.11後の放射能「安全」報道をめぐって

講師:影浦 峡氏(東京大学大学院教育学研究科・教授)

会場:立教大学 池袋キャンパス 10号館 X105教室

 申し込み方法など詳細はこちら

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