畑が広がる田原市は北西部の三河湾沿いの一帯
穏やかな風景に不似合いな壁が黒ずんだ無機質な2つの建物が夏の陽ざしを
受けています
昭和初期の渥美半島・・・そこには旧日本陸軍の軍事施設「伊良湖射場」の一部がありました
正式名称は「陸軍技術研究所伊良湖試験場」と言うそうです
伊良湖射場とは、戦時中に旧陸軍が大砲の実射試験場として設置されました
現在、観測所などの関連の遺構は32か所残っているそうです
大砲と弾薬の研究や効力実験、弾道研究などが実施されていたとのこと
旧陸軍が使用する大砲や弾薬のほとんどがここで試験審査を受け、戦地に配備されたとか・・・
海に向かって右側に見える高さ19メートルの建物は「気象塔兼展望塔」
1930年(昭和5年)に建設され、開戦後は大砲の弾道や風速、風向きなどの観測に
使われていたそうです
現在、地元の人たちは「六階建て」と呼んでいます
老朽化で一部は鉄筋が剥き出しになっていて、壁面には戦時中に機銃掃射を受けた跡も
確認できました
左側にある高さ7メートルの2階建ての建物は「無線電信所」で、砲弾を発射したことを観測者らに
無線で知らせる役割を担っていたところだそうです
聞いたお話ですが、終戦直前の1945年7月、伊良湖射場は米軍機2機の攻撃を受けたそうです
米軍機は「六階建て」から1キロほど離れた場所にあった旧陸軍の故障機2機を目がけて機銃掃射と
建物から100メートル西に爆弾を2発落としたそうです
この春、桜を見にいった(桜の名所?)小中山児童公園にも戦争遺跡があります
立哨台が残ってます
先の大戦から73年経ちました
時が経つにつれて、戦争を経験した人たちが減っていきます
市内に残る戦争遺跡を巡り、歴史をひもとき、平和の尊さについて考えてみるのも良いと思います
YouTubeで見つけました
特攻隊で命を落とした兵士からのメッセージが込められた作品です
最後まで、見て頂けたらと思います
サイボーグ009 16話「太平洋の亡霊」(1968年7月19日放送)
身近なところに戦争の傷がありますね。
でも、伝えていかなければ、知らない人ばかりになってしまいます。
これから数年が大事だと思います。
サイボーグ009に、こういう放送があったんですね。
当時テレビで見ていたもの…まったく記憶がありません。
今回これを拝見して、今よりずっと平和への情熱があることに胸を打たれました。
いつもありがとうです。
渥美半島に住むようになって30うん年経ちますが、こんな田舎にも戦争の傷跡がありました。
ワイフ殿の親戚の方にお話を聞いてら、その当時は軍人さんが多くおり、小さな町は
繁華街まであったそうです。
>サイボーグ009に、こういう放送があったんですね。
反戦と平和・・・子供ながらに、よく覚えていました。
昔のアニメはしっかりしたテーマで描かれていたんだと思いますね。
戦争の遺構としては私の住む習志野は明治時代から駐屯地があったのでたくさん残ってます。でも今回紹介下さった生々しい銃撃の跡などはないかも知れません。その遺構を遺し、後世に伝えなければなりませんね。
サイボーグ009でもこんなシーンが有るのですネ。こういう形で残すのもアリですネ。
いつもありがとうです。
73年目の終戦の日を迎えましたね。
>戦争の遺構としては私の住む習志野は明治時代から駐屯地があったのでたくさん残ってます。
戦争は国土を揚げての戦いでしたから、各地にいろいろあるのでしょうね。
>でも今回紹介下さった生々しい銃撃の跡などはないかも知れません。
埼玉に住んでいた頃の話ですが、卒業した小学校には機銃掃射の弾痕がありました。
当時、木造建築の学校でしたから残っていたのでしょうね。
戦時中は近くに陸軍航空隊の飛行場がありましたし、利根川を隔てて群馬の太田には戦闘機の
工場もありましたから、戦争末期には米国のグラマンが飛んできたと亡き父が話をしてくれたのを
思い出しました。(古い話ですみません)
>サイボーグ009でもこんなシーンが有るのですネ。こういう形で残すのもアリですネ。
子供なりによく覚えていたシーンでした。
戦後30年頃の物語ですが、今でも通じますね。
「伊良湖射場」かなり大かがりな施設だったのですね。
米軍機の機銃掃射後もあるとは、かなりインパクト強しですね。
こういう戦争遺跡は残していかねばなりませんね。
サイボーグ009 16話「太平洋の亡霊」・・・
自分も微かですが記憶ありです。
仰るように昔のアニメや漫画は気骨がありましたね。^^
8月15日になると母が命からがらに体験した大空襲の話とか・・・
妻の叔父に当たる方(予科練)が鹿屋基地から沖縄に特攻され沖縄の空で散ったお話が浮かびます。
そうです。代々伝えていかねばなりません。
いつもありがとうです。
長らく住まいつつ、気になっていた戦争遺構を終戦前に訪ねて見ました。
調べたり聞いたりすると、意外にも大掛かりな施設だったのが分かりました。
機銃痕はコンクリが削れてましたが、自身が昔見た木材への弾痕痕の方がえぐられていたので
さほどって感じでした。(^_^;)
サイボーグ009の物語・・・これだけは子供ながらの鮮明に覚えておりまして、十数年前にDVDで手に入れました。
今回、ブログ掲載にあたり、YouTubeで探しました。
>8月15日になると母が命からがらに体験した大空襲の話とか・・・
渥美に移住してからもワイフ殿方の親戚から先の大戦の話は聞きましたが、生まれ故郷の地での
戦争話は亡き父やご近所の老人からよくお話を聞いて覚えておりました。
隣のご主人は特攻志願でしたが、終戦となり行けなかったとか、群馬の太田や埼玉の熊谷での
米軍の空襲で夜でも昼間のように明るかったなどのお話をたくさん聞かせて頂きました。
>そうです。代々伝えていかねばなりません。
その通りだと思います。