5年生の航太郎の勉強内容が興味深かったのでブログに書きます。
以前、御宿小学校が台風によって壊れたときに町の人たちがすこしずつお金を集めて学校を再建したという話を載せたのですが、
また御宿の昔のいい話があります。
昭和初期のお話で、新町という地区に住む神定平司という人がいました。この地区は田んぼに水が足りずに、
秋になると一部が枯れてしまっていました。町の人たちは諦めていましたが、
平司はたった一人でため池から水を引くため山をほって半年かけて用水路を作りました。
それだけではありません。
浜地区から、山の実谷地区へ行くには峠を超えなければならず、みんな苦労していました。
そこで平司は山を掘り抜いてトンネルをつくろうと、町の人に呼びかけました。
何年もかかることは分かっていたので、街の人たちは賛成しなかったので、兵司は一人でつるはしをもって掘り始めました。
その姿は、江戸時代の青の洞門の禅海和尚を連想させ、町長はこんなに町民のことを考えてくれているのかと感激し、
陸軍の工兵隊に応援を求め、3年の月日をかけて完成させました。このトンネルで山と海の交流が容易になり、
このトンネルを「平司洞門」と呼び感謝したということです。
今はこのトンネルはなく、碑だけが残っているのですが、とても興味深い話でした。
興味のある方は御宿台方面に行く道沿いにあるので行ってみてください。