VIVA! HOUSEKEEPING

想像する事でしか近づけない世界


さて本日は半ドン ジージョの登園に帯同したら シャワーを浴びて レッツラゴー
幼稚園では 事務仕事などをバリバリ片づけて 午後イチには帰宅準備

夏休みのチョージョが 少しでも一人にならないように 時間を作ってやる
ィ夕方 妻が帰宅したので 汚れが目立っていたクルマを キレイにしてやった

さて 連日の夏季休暇保育では いつも以上に ィ絵本を読む機会が多い
一日に 最低3冊は準備し その日のテーマや活動 子どもの姿を見て選んでいる

一冊は 今風のキャッチーな内容のものを選ぶとすると モウ一冊は 昔話
所謂 古典と呼ばれる物語を 必ず読んであげるようにしている

この選書は 仕事先の幼稚園でも 家庭で娘を保育する時も 変わらない
古典には ストーリーがある 戒めがある 学びがある 深みがある 滲みがある

例えば 皆さんご存じの『かちかちやま』は じいさんの山仕事の邪魔をした狸が
狸汁になりかける話で 逆にばあさんを殺して婆汁にし じいさんに食わせちゃう

賢い兎が ばあさんの仇を討とうと あの手この手で狸を苦しめる って話よ

残忍に聞こえるこの話だが 山里に暮らす杣人が 山育ちの狸と生活領域を巡って
争いを繰り広げ 食うか食われるかの 命がけの戦いを 展開している

(同様に『したきりすずめ』で婆さんがスズメの舌を切るシーンも残酷でイタイ)
(でもそれは 折角準備した米の糊をスズメが全部舐めてしまったからであるが)

まぁ ざっくり言うと そういう 文字通り 骨肉の争い物語なのである

人は生きるためには他の命を奪わねばならない そして人もまた動物の一種であり
他の動物に命を奪われかねない存在でもある 命はどうやって成り立っているのか

殺すや食べるという描写はなく 淡々と描くことで 子どもたちの心にも響きます

このように 自然の摂理を恐れずに語る これも昔話の魅力の一つではあるまいか
現代社会では 人形の命を奪って生きている事を 実感するケースは ほぼない
豊かで清潔な暮らしの中で育つ 現代っ子には 昔話の意義は 大きいと言えよぅ

語って聞かせることで 伝承されてきた 民話 それが 昔話 古くは村の
囲炉裏端や 巨木の根っこで開催されてたストーリーテリングも 今はモウない
古典物語に触れる機会が どんどんと失われる今 保護者や保育者の存在は大きい

今の絵本は 実際に購買する 親世代に向けて キャッチーなものが主流だ
これはこれで オヤコで読んでも樂しいし 新しい發見もあるし ためになるが
昔から読み継がれてきた 古典物語の中に流れるものを 一緒に考えるのも良い

なぜこんな事を書いたかというと うちのチョージョは 今風の子で(当たり前だが)
あまり読書をしない 読んでも 自分のスキな少女モノばかりである(一応活字だが)

夏季休暇が 長編古典文学に触れる良い機会であることは ィゆるぎない現実である
が それを どのように小学生にサジェスチョンすればよいのか 悩むことが多い

実社会は オモシロイ キレイだけではない 古典を紐解き 其処に流れるソウルや
言霊を感じ 自分の中に全く新しい興味の芽生えを 感じてほしいと考える

ボクは 西遊記シャーロックホームズが大好きで ホームズに関しては 研究家に
なってしまった程だから 子ども時代のヴァイブスがいかに重要かというのを語った

なんでも便利でクリアな世の中だが 想像する事でしか近づけない世界もあるのだ
という事を 古典や毒書を通じて 感じてほしいと願っている

本日のうた:CKB 『Orange Cinnamon Sunset』

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「Working」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事