ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

クロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤングのメンバーであるデヴィッド・クロスビーが亡くなった(記事を書くのが遅くなってしまった)

2023-04-12 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)

記事を書くのが遅れて本当に恐縮ですが、デヴィッド・クロスビーが亡くなりましたね。記事を。

デヴィッド・クロスビーが死去
2023/01/20 08:10掲載(Last Update:2023/01/20 09:28)

ザ・バーズ(The Byrds)やクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash and Young)での活躍でも知られるデヴィッド・クロスビー(David Crosby)が死去。彼の妻がVarietyにて声明を発表。81歳でした。

以下、声明より

「長い闘病生活の末、とても悲しいことに、私たちの愛するデヴィッド(クロズ)・クロスビーが亡くなりました。彼は、妻でありソウルメイトのジャンと息子のジャンゴに愛情をもって囲まれていました。彼はもうこの世にいませんが、彼の人間性と優しい魂は、これからも私たちを導き、鼓舞してくれることでしょう。彼のレガシーは、彼の伝説的な音楽を通して生き続けるでしょう。デヴィッドを知るすべての人々と彼が触れた人々に平和、愛、そして調和を。私たちは彼を心から惜しみます。今、私たちは深い悲しみに包まれ、その喪失感に対処するために、謹んでプライバシーをお守りくださいますようお願い申し上げます。愛と祈りに感謝します」

デヴィッド・クロスビーは1941年8月生まれ。父親は『真昼の決闘』などハリウッドで多くの作品の撮影監督として活躍し、1930年にはアカデミー撮影賞も受賞したフロイド・クロスビー。

1964年、バンド仲間のロジャー・マッギン、ジーン・クラークらとともにザ・バーズを結成。「Mr. Tambourine Man」などのヒットにより、1960年代のアメリカ音楽シーンを代表するグループとなった。1966年発表の『Fifth Demension(邦題:霧の5次元)』で新しいスタイルを打ち出し、サイケデリック・ロックの音楽ジャンルの起源に影響を与えた。

クロスビーは1967年10月にバーズを脱退。ひとりになった彼はジェファソン・エアプレインやバッファロー・スプリングフィールドとの親交を重ね、1968年に、バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、ザ・ホリーズのグラハム・ナッシュとクロスビー、スティルス&ナッシュを結成した。1969年、セルフ・タイトルのアルバムでデビュー、全米アルバム・チャート6位となるヒットを記録。1970年にニール・ヤングが加わり、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとして、名作『Déjà Vu』を完成させ、全米1位を獲得した。

1971年には初めてのソロ・アルバムである『If I Could Only Remember My Name』を発表した。その後、70年代は、グラハム・ナッシュとのユニットやクロスビー・スティルス&ナッシュの再編などの活動を行うが、80年代に入ると深刻なドラッグ中毒により創作活動に支障をきたすようなり、1985年には銃器法違反で実刑判決を受ける。その後、周りの手助けもあって数々の困難を克服。1988年には、クロスビーの社会復帰を祝福するかのように18年ぶりにクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを再結成し、アルバムを発表した。

クロスビーは、1991年にザ・バーズのメンバーとして、1997年にはクロスビー、スティルス&ナッシュのメンバーとして、2度にわたってロックの殿堂入りを果たしている。

私も、さすがにクロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤングのライヴを観たことはありませんが(そもそも日本に来ていないよね?)、ニール・ヤングを除いたクロスビー・スティルス&ナッシュのライヴは観たことがあります。私が見たことのあるウッドストック・フェスティバル参加ミュージシャンは、ザ・バンド (ロビー・ロバートソンは参加していない後期のもの。当然ですが)と彼ら、ザ・フーの中のロジャー・ダルトリー、あとジェファーソン・エアプレイン の中のホット・ツナ(ヨーマ・ココネンとジャック・キャサディ)くらいかな。ダルトリーのコンサートについては、以前記事を書きました。

ロジャー・ダルトリーのコンサートへ行く

他にもいるかもしれませんが、ちょっと現在記憶にありません。

それで映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』で、製作者たち(監督のマイケル・ウォドレ―(英語版Wikipedia)ら)が、この映画のイメージキャラクターとして選んだのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤングだったわけです。オープニングが、クロスビー・スティルス&ナッシュの『Long Time Gone』のわけです。

Long Time Gone (2005 Remaster)

この曲は、ニューヨーク州での会場予定地をバックにした映像に流れますが、その次のこちらは、会場準備中のバックです。

Wooden Ships (2005 Remaster)

この曲は、ジェファーソン・エアプレインのヴァージョンもあります。エアプレインのメンバーであったポール・カントナーと、クロスビー、スティーヴン・スティルスによる共作です。

Jefferson Airplane - Wooden Ships

映画では、こちらの曲が使われています。

Crosby, Still, Nash & Young Suite Judy Blues Eyes Woodstock 1969

では、ライヴでのクロスビーの曲も。Guinnevereです。

Crosby, Stills, Nash, & Young - Guinnevere "Monaural Mix" from Woodstock 1969 on Cotillion.

コンサートのラストは、こちらの曲で締められます。これは、その後のCSN&Yのコンサートでも、ラストの曲でした。

Crosby, Stills, Nash and Young Find The Cost Of Freedom at Woodstock

エンドクレジットで流れる曲は、こちらです。

Crosby, Stills, Nash & Young - 05 - Woodstock (by EarpJohn)

それでは、彼らの最高傑作であるアルバムであるデジャ・ヴ - Déjà Vu より、クロスビーの曲をご紹介します。

Almost Cut My Hair

Deja Vu

どちらもすごい曲ですね。やはり人間凄いことを成し遂げる時期というものはあるものです。その後の彼は、薬物障害などもでて、実刑で服役したくらいでしたが、それでも81歳での死は、十分な長生きだったのではないかと思います。最近私も、動画でデジャ・ヴを聴いています。ウッドストックのコンサートに出演したミュージシャンの訃報はこれからも積極的に記事にしていきたいと思っていますが、どんどんそういう人たちが増えるんでしょうね・・・。下の写真の出典はこちらから。


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