ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

翻訳のヴァージョンを比較してみる(おこがましいが、私の訳もご紹介)(『動物農場』『悲しみよこんにちは』編)

2022-11-24 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

前にこのような記事を発表しました。

翻訳のヴァージョンを比較してみる(おこがましいが、私の訳もご紹介)

では今回はその第二弾を。フランス語と英語の翻訳にチャレンジします。刊行されている本の翻訳をご紹介し、拙訳を書き添えます。なお記事中の本の写真の大きさは、すべてAmazonの大きさのままですので、特に他意はないので乞うご容赦。

フランス語のほうは、私が大好きな小説、フランソワーズ・サガン著『悲しみよこんにちは』より。この小説は、Wikipedia(サガンのWikipedia)によれば、

というわけで、3種の訳が出ているようですが、安東訳は入手できないので、朝吹訳と河野訳を比較し、同時に私の拙訳もお見せします。なおサガンが亡くなったのは2004年であり、著作権が満了していませんので、原書もAmazonにリンクしておきます。

悲しみよこんにちは

悲しみよ こんにちは

Bonjour Tristesse

原書は、これもいろいろなヴァージョンがありますが、私が見て安そうなものを。なお実は、私もこの本のテクストがネットに上がっていたのを見つけたのですが、一応それは著作権違反になると思うので、ここではリンクは張らないこととします。ていうか、私もかなり昔に見つけたサイトなので、たぶん現在では切られているかもしれません。

最初に第1章冒頭の部分をご紹介します。朝吹訳、河野訳、拙訳の順で。

>   Sur ce sentiment inconnu dont l'ennui, la douceur m'obsèdent, j'hésite à apposer le nom, le beau nom grave de tristesse. C'est un sentiment si complet, si égoïste que j'en ai presque honte alors que la tristesse m'a toujours paru honorable. Je ne la connaissais pas, elle, mais l'ennui, le regret, plus rarement le remords. Aujourd'hui, quelque chose se replie sur moi comme une soie, énervante et douce, et me sépare des autres.

朝吹訳

>ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから、私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。

河野訳

>ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。悲しみ――それを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責、感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。

拙訳

けだるさと甘さがつきまとうこの見知らぬ感情に、悲しみという、重々しいが美しい名前をつけることを私はためらう。その感情は、あまりに完全で、あまりに利己的なので、ほとんど恥ずかしく感じているくらいだが、悲しみは、私にはいつも立派なものと思われるからだ。私は悲しみをわかっていなかった。しかしけだるさ、悔恨、稀には自責の念は感じていた。今では、絹のようにいらだたしく、またなめらかに、私に何かがまとわりつく。そして他人から私を引き離す。

ではもう1つ。最後の第12章の冒頭のところを。

> A Paris, il y eut l'enterrement par un beau soleil, la foule curieuse, le noir. Mon père et moi serrâmes les mains des vieilles parentes d'Anne. Je les regardai avec curiosité: elles seraient sûrement venues prendre le thé à la maison, une fois par an. On regardait mon père avec commisération: Webb avait dû répandre la nouvelle du mariage. Je vis Cyril qui me cherchait à la sortie. Je l'évitai. Le sentiment de rancune que j'éprouvais à son égard était parfaitement injustifié, mais je ne pouvais m'en défendre... Les gens autour de nous déploraient ce stupide et affreux événement et, comme j'avais encore quelques doutes sur le côté accidentel de cette mort, cela me faisait plaisir.

朝吹訳

>パリで、美しい太陽のもとで、埋葬が行われた。物見高い群衆、喪服……。父と私とはアンヌの親戚の年取った婦人たちと握手をした。私は好奇心をもって彼女たちを眺めた。彼女たちは年に一度くらい、きっと家にお茶に来ただろうに。人々は同情をもって父を眺めた。ウェッブが結婚のニュースをまき散らしたに違いない。シリルが出口で私を探しているのを見た。私は彼を避けた。私が彼に対してもっている恨みの感情は、全く不当ではあったが、私はどうすることもできなかった。周囲の人たちが、この馬鹿々々しい、恐ろしい事件を嘆いていた。私は、過失死だという点にまだいくらかの疑いをいだいていたので、このことは私をよろこばせた。

河野訳

>葬式はパリで行われた。美しい太陽のもと、物見高い群衆に囲まれ、喪服の黒に覆われて、父とわたしは、アンヌの親戚の老婦人たちと握手した。わたしはその人たちを、好奇心とともに眺めた。きっと年に一度は、アンヌの家にお茶を飲みに来ていたことだろう。みんな同情の目で、父を見つめていた。ウェッブが、結婚の話を広めたからにちがいない。シリルも見かけた。出口でわたしを探していたが、わたしは避けた。彼に対して感じていた恨みは、まったく不当なものだったが、どうすることもできなかった……。周囲の人々は、この愚かしくも恐ろしいできごとを嘆いていたが、わたしは事故死だということにいくらかまだ疑いをもっていたので、内心おもしろく感じもした。

拙訳

パリで、美しい太陽のもと葬儀があった。好奇心のある大勢の人たち、喪服に囲まれて。父と私は、アンヌの年老いた親戚女性たちと握手した。私は女性たちを興味深くながめた。1年に1回きっと彼女らは、お茶をしに家に来ていたのだろう。誰もが同情の念をもって父を見た。ウェッブが、結婚の話を広めたに違いない。出口で私を探しているシリルを見かけた。彼を避けた。彼に対して私が感じる恨みの感情はまったく根拠のないものであるが、差し控えることができなかった。周りの人たちは、この愚かしく恐ろしい事件を嘆いていたが、その死が事故死であるという側面にいまだ何らかの疑いを私は持っていたので、それは私を喜ばせた。

私のつたないフランス語の能力で申し上げますと、河野訳のほうがやや意訳が多いですかね。英語でしたらもう少し自信をもって訳を論じられるのですが、フランス語ですとまだまだです。

それでは次は、英語の小説を。ジョージ・オーウェルの『動物農場』です。これも有名な小説ですので、かなりたくさんの訳がでています。Wikipediaのスクリーンショットを。

また日本の出版社からも原文の本が発売されています。Wikipediaから引用しますと、

  • 「動物農場」講談社英語文庫講談社インターナショナル、2007年
  • 「動物農場」ラダーシリーズ:IBCパブリッシング、2013年
  • 「動物農場」雑賀忠義・坂口昇注釈、南雲堂、1990年

です。一応Amazonにリンクしておきます。

動物農場- Animal Farm【講談社英語文庫】

動物農場 Animal Farm (ラダーシリーズ Level 4)

動物農場

ただオーウェルの本はすでに版権が切れているので(1950年死去。当時の著作権経過期間(50年)に、戦時加算10年強(3794日)を加算し、2011年で日本国における著作権は満了)、ネットでテクストは入手できます。上のような本は、注釈がついているので学習の際に手助けとなるという点での価値ということになりますかね。

また外国で出版されたヴァージョンですと、Amazonで確認した限りでは、こちらが安そうです。

Animal Farm (Collins Classics)

私が調べた時点で、ペーパー バックで529円です。ただし、Kindleでは(当然ながら)もっと安く読めます。ただKindleで読むのなら、ネットで流れているテクストをダウンロードして読むほうがいいと思うので、それなら金を使う意味がありません。

というわけで、テクストをダウンロードできるサイトをご紹介。こちらこちらなど。

では今回ご紹介する翻訳です。本来なら、現在最新の翻訳であるハヤカワepi文庫山形浩生訳をご紹介したいのですが、あいにく今回入手できませんでした。買えばいいのですが、わざわざこのためだけに買う気にならなかったので、今回は、開高健訳と川端康雄訳をご紹介します。開高が翻訳をしていたなんて知らなかったのですが、ほかにロアルド・ダールの翻訳もあるようです。現段階未読ですので、読んで面白そうならまたご紹介します。本の出版は開高本のほうが後ですが、翻訳は初出が1984年につき開高訳のほうが早いので、川端訳より開高訳を先にします。

動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」

動物農場: おとぎばなし

と思ったのですが、ちょうど(たぶんウクライナ戦争のからみで?)、上記の表にある吉田健一訳が9月に発売されたので、それもご紹介します。ちなみに「なにをいまさら」の話をすれば、吉田は、吉田茂の息子で、麻生太郎の伯父にあたります。ついでに書けば牧野伸顕の孫で、大久保利通の曾孫です。初出は1966年とのこと。大物保守政治家を複数身内にもつ彼が、共産主義社会を批判する意図があるとされる本を翻訳したことに他意があるかどうかについては、知識がありません。

動物農園

では作品の冒頭の部分を。

  >Mr. Jones, of the Manor Farm, had locked the hen-houses for the night, but was too drunk to remember to shut the popholes. With the ring of light from his lantern dancing from side to side, he lurched across the yard, kicked off his boots at the back door, drew himself a last glass of beer from the barrel in the scullery, and made his way up to bed, where Mrs. Jones was already snoring.

 開高訳

>荘園農場のジョーンズさんは、鶏小屋の夜の戸締りをしたが、飲み過ぎていたので、くぐり戸を閉め忘れてしまった。ランタンの光の輪を右に左にぶらぶらさせながら千鳥足で中庭を横切り、裏口で長靴を蹴って脱ぎ、台所のビール樽(引用者注:「だる」のルビあり)から本日最後の一杯をひっかけてから、二階の寝室へあがっていった。ベッドでは、奥さんがすでにいびきをたてて眠っていた。(p.7)

川端訳

>荘園農場(引用者注:「マナー・ファーム」のルビあり)のジョーンズさんは、にわとり小屋にかぎをかけて夜のとじまりをしましたが、ひどくよっぱらっていたので、くぐり戸を閉めるのを忘れてしまいました。ランタンからもれでるまんまるの明かりを左右にゆらしながら、中庭をふらふらとすすみ、裏口でブーツをけっとばしぬぎすて、台所のビヤだるから寝しなの一ぱいをごくりと飲んで、二階のベッドにあがってゆきました。ベッドのなかではおくさんがすでにいびきをかいてねむっています。(p.7)

吉田訳

>旧農園の主人のジョーンズ氏は鳥小屋の戸に鍵を掛けはしたのだったが、すっかり酔っぱらっていて、鶏の出入り口を閉めるところまではいかなかった。彼は提燈の明りを左右に飛ばしながら中庭をぐらついて行き、家の裏口で長靴を振り脱ぎ、流し場の樽から最後の一ぱいのビールを注いで飲んで、その妻がすでに鼾(引用者注:「いびき」のルビあり)をかいている寝部屋に上がって行った。(p.6)

拙訳

荘園農場のジョーンズ氏は、鶏小屋に夜中、鍵をかけたが、飲みすぎてしまっていたので戸を閉め忘れてしまった。ランタンからの光の輪を左右にゆらして、彼は中庭をふらふらと歩き、長靴を裏口で蹴っ飛ばして脱ぎ、台所のビールの入った樽から今晩最後の一ぱいを飲み込んで、上の寝室に上がっていった。ベッドでは、すでに奥さんがいびきをかいていた。

次は、第6章の冒頭部分。

 > All that year the animals worked like slaves. But they were happy in their work; they grudged no effort or sacrifice, well aware that everything that they did was for the benefit of themselves and those of their kind who would come after them, and not for a pack of idle, thieving human beings.

開高訳

>その年の間ずっと、みんなは奴隷のように懸命に働いた。働くことが喜びだった。この労働のすべては、自分たちと後輩の動物たちのためであって、怠惰にして泥棒のようなあの人間どものためではないと、よくわかっていたからである。(p.64)

川端訳

>その一年間、動物たちは奴隷(引用者注:「どれい」のルビあり)のようにはたらきました。それでもみんなしあわせな気持ちで仕事をしていました。どのような努力も犠牲も骨惜しみしたりしませんでした。自分たちのおこなうすべてのことが、自分たち自身のためになり、のちに生まれる動物たちのためになるということ、なまけてぬすむだけの人間どものためではないということがよくわかっていたからです。(p.75)

吉田訳

>その一年間、動物たちは全く奴隷も同様に働き続けた。しかしそれでも幸福で、どんな犠牲を払ってどれだけ苦労しても、それが人間という怠け者の泥棒のためでなしに、すべて自分たちと、自分たちの後に来る自分たちと同じ生きもののためであることがわかっていた。(p.70)

拙訳

その年ずっと動物たちは奴隷のように働いた。しかし動物たちにとっては働くことが幸福だった。努力や犠牲も厭わない。自分たちのなすことすべてが、なまけものでよそのものを盗んだりする人間どものためでなく、自分たちと自分たちより後の動物たちのためであることをじゅうぶんにわかっていたからだ。

これは好き嫌いの問題ですが、川端訳は「ですます」文体になっているので、やや個人的にはとっつきにくいというのが正直なところです。個人的な意見を書きますと、吉田訳がいちばんいい訳のように思いましたが、用語は、やや古さを感じますので、ちょっとわかりにくいところがあります。「旧農場」「寝部屋」など。

なお、この連載で取り上げるものとしては、2種類以上の翻訳があり、また版権切れでネットにテクストがあがっているものならそれに越したことはないという精神で、対象となるものを探したいと思います。


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