今回のパネリスト4名(司会進行含め)はそれぞれ
視点が異なります。
司会進行
・喜山荘一氏:与論島生まれ与論島育ち
パネリスト
・上里隆史氏:長野生まれ沖縄育ち
・圓山和昭氏:奄美大島生まれ奄美大島育ち
・藤木勇人氏:沖縄県出身(両親は奄美出身)
その立ち位置の違いが沖縄、奄美、与論・・・それぞれに対する
感じ方の違いに繋がっているのです。
これは面白いものでした。
今回、ややこしいので鹿児島からの視点はナシで・笑
とはいえ、今年は薩摩の琉球出兵から400年という記念の年でもあるのですが。
喜山氏はかねてより二重の疎外という言い方をされており
それは簡単に言うならば
“鹿児島でもなく、沖縄でもない”奄美
これ、奄美に行ったことのある方は「ああ」と納得のいく表現だと思います。
奄美が鹿児島県であることに感じる違和感。
じゃ、沖縄?と言われるとう~ん?同じじゃないよ、とも言いたくなる。
パネリストそれぞれに自分の育った環境と
「奄美」に感じるもの
「沖縄」に感じるもの
「距離感」などを語ります。
四人四様というのでしょうか、違うんですね、これがまた。面白いほど。
細かく書きたいことも多いのですが、そこは今は置いておこうと思います。
ご容赦を。
今回のパネルディスカッションを経て感じたことについては
書き留めておきます。
奄美と沖縄は違うし、無論、与論も沖永良部も徳之島も皆違う。
沖縄以南の八重山にしてもそう、石垣と宮古も違う。
同じである必要もない。
「似ているね、でも違うね、それが面白いね」
そういうことでいいんじゃない?ということ。
十把ひとからげにどこからどこを「沖縄」、どこからどこを「奄美」
と言わなくていい、ということだと思ったわけです。
話の中に「各島の色」「自画像」という表現がありました。
その時、ふと頭に浮かんだのはモザイク画。
モザイクの1コマ1コマは異なる色だけど
少しずつ視線を広げていくと
徐々に色は広がりを持って1枚の絵になる・・・
そういうイメージ。
どの島も、自分の「色」を見誤らず、ぼかさず、濁らずあれば
調和のとれた絵になるんじゃないでしょうか。
視点が異なります。
司会進行
・喜山荘一氏:与論島生まれ与論島育ち
パネリスト
・上里隆史氏:長野生まれ沖縄育ち
・圓山和昭氏:奄美大島生まれ奄美大島育ち
・藤木勇人氏:沖縄県出身(両親は奄美出身)
その立ち位置の違いが沖縄、奄美、与論・・・それぞれに対する
感じ方の違いに繋がっているのです。
これは面白いものでした。
今回、ややこしいので鹿児島からの視点はナシで・笑
とはいえ、今年は薩摩の琉球出兵から400年という記念の年でもあるのですが。
喜山氏はかねてより二重の疎外という言い方をされており
それは簡単に言うならば
“鹿児島でもなく、沖縄でもない”奄美
これ、奄美に行ったことのある方は「ああ」と納得のいく表現だと思います。
奄美が鹿児島県であることに感じる違和感。
じゃ、沖縄?と言われるとう~ん?同じじゃないよ、とも言いたくなる。
パネリストそれぞれに自分の育った環境と
「奄美」に感じるもの
「沖縄」に感じるもの
「距離感」などを語ります。
四人四様というのでしょうか、違うんですね、これがまた。面白いほど。
細かく書きたいことも多いのですが、そこは今は置いておこうと思います。
ご容赦を。
今回のパネルディスカッションを経て感じたことについては
書き留めておきます。
奄美と沖縄は違うし、無論、与論も沖永良部も徳之島も皆違う。
沖縄以南の八重山にしてもそう、石垣と宮古も違う。
同じである必要もない。
「似ているね、でも違うね、それが面白いね」
そういうことでいいんじゃない?ということ。
十把ひとからげにどこからどこを「沖縄」、どこからどこを「奄美」
と言わなくていい、ということだと思ったわけです。
話の中に「各島の色」「自画像」という表現がありました。
その時、ふと頭に浮かんだのはモザイク画。
モザイクの1コマ1コマは異なる色だけど
少しずつ視線を広げていくと
徐々に色は広がりを持って1枚の絵になる・・・
そういうイメージ。
どの島も、自分の「色」を見誤らず、ぼかさず、濁らずあれば
調和のとれた絵になるんじゃないでしょうか。
来ていただいて本当にありがとうございます。
恐縮です。
お恥ずかしいことに聞きかじった程度の
知識ですから、認識不足も多いのですが
昨日1日で随分たくさんのことを考えたり
イメージしたりすることができました。