背中合わせの二人

有川浩氏作【図書館戦争】手塚×柴崎メインの二次創作ブログ 最近はCJの二次がメイン

愛しい枷(4)

2021年10月14日 07時24分26秒 | CJ二次創作
アルフィンは、前へ進めていた車椅子をタッチパネルで止めた。
慣れたかすかな電動音が途切れた代わりに、廊下を行き来する人々の足音が現実感をともなって自分のもとへ戻ってくる。
アルフィンは肩越しに背後を振り返った。ジョウが廊下の中央に立っている。事故に遭ってから、彼を見上げる角度が変わった。それにまだアルフィンは慣れていない。慣れたくなかった。でも。
ジョウはただまっすぐ彼女を見ていた。彼の周りだけ時間の流れが止まってしまったみたいだった。ジョウを見ているだけで、周囲の喧騒が再び遠のきそうになった。
夜の海に浮かぶ漁火みたいな暗い光を、彼は目の奥に宿していた。
告知を受けてから、初めて二人は互いの視線を絡めた。その間を、幾人かの病院関係者が通っていった。ナース、清掃士、患者着をまとった入院中の者。
せわしなくひとびとが行き来する中で、ジョウはもう一度、繰り返した。
「俺と結婚してくれ、アルフィン。頼む」
アルフィンは応えなかった。
代わりに入院中ずっと後ろで一つに束ねていた金髪を、するりと解いた。
髪を解いただけなのに、ジョウには彼女が何か重いものを脱ぎ去ったように見えた。その仕草は、怪我をする前、仕事を終えてミネルバでクラッシュジャケットを脱ぐときのそれとよく似ていたからだ。
久しぶりに髪を背中に流し、アルフィンは短く息をついた。呼吸をするのを忘れて見ていたことに、そこで初めてジョウは気がついた。
アルフィンの唇に、震えのようなものが走ったのはそのときだった。
「……ばか」
涙がひとつ、零れて頬を伝った。
それを拭いもせず、アルフィンは再び車椅子を前進させて、病室に戻った。
ジョウはその場に取り残された。いつまでもそこに立ち尽くし、動くことができなかった。


アルフィンが病室で自殺を図ったのは、その夜のこと。
完全看護で付き添うことが許されないジョウだったが、深夜になっても彼は船に戻ることが出来ないでいた。ミネルバは今、彼にとって帰る場所ではなくなっていた。家族が…メンバーがひとり、欠けているあいだは。
仕方がなく、待合室でひとりソファに座っていた。告知を受けた後、そしてアルフィンにプロポーズした後、座ったきりどうしても腰が上げられなかった。それほど彼は打ちのめされていた。
そこにナースが駆け込んできた。真っ青に顔色を変えて。
アルフィンが果物ナイフで手首を切ったこと。夜間の巡回中ナースが発見し、いま集中治療室に運び込まれたことをジョウに告げた。
ジョウの顔から血の気が引いた。何かに弾かれたようにソファから腰を上げた。
我を忘れ、何かを叫び出しそうになったことは頭にある。でも実際に声にしたかどうかは記憶がなかった。どこをどう通ったかまるで憶えていないが、気がつくと集中治療室に向かい、点滴につながれて横になるアルフィンを見つけた。
左手首に巻かれた包帯が、雪のように真っ白だったことは鮮明に憶えている。
ジョウはアルフィンのベッドに近寄ることができなかった。集中治療室のガラス窓に遮られていたせいではなく、何かが彼を足止めしたように窓の側に近づくことさえできなかった。
ただ、距離を置いて、蒼白な顔で眠る姿を食い入るように見つめた。
何時間もそこにいて、見かねたナースが退出を促すまで、ただ息を詰めてアルフィンの寝顔を見守った。
まるで心に氷のように冷えて、そのまま鼓動を止めてしまう気がした。
彼は自分の肩を抱いた。無意識のうちに。
小刻みに身体に生じるふるえを、押さえ込んでしまいたかった。でもそれは無理だった。
アルフィンにもしものことがあったら、俺は。
そう思っただけで、身体のふるえがいつまでもいつまでも止まらなかった。


その後もアルフィンは精神的に不安定な状態に陥り、心療内科のほうに病室を移すことになった。
適切な投薬と専門のスタッフの根気強いカウンセリングによって、ひとまず危機的な精神状態からは脱したかに見えた。でもジョウは絶えず警戒していた。
その時のアルフィンには、いつ自ら命を絶ってもおかしくないような、脆さと危うさがあった。
以前のようにリハビリの中で見せた屈託のない笑顔を望むことは当分叶いそうになかった。
そんな彼女にジョウは再度プロポーズをすることができないでいた。
あれが引き金となってアルフィンを自殺にまで追い込んでしまったのだとしたら。とてもじゃないが怖くて口になどできなかった。
言葉はおおきな重石となって胸の奥沈んだ。


今、アルフィンの目の前には【ブルーレディ】が慎ましやかに鎮座している。
それに被せられたガラスケースを見ていると、あの集中治療室に駆けつけたときのことをジョウは思い出した。おそらくガラスの向こうにあるものをじっと見つめるという行為がそうさせるのだろう。
「..……あたしってば、なんだかこの花みたいね」
ガラスの表面を手のひらで撫でるようにアルフィンが言った。
「え?」
思わずジョウは【ブルーレディ】に目を渡る。一瞬だけ。
「厳重にケースに守られているけど、いまここから出したらきっとこの花は枯れてしまうんでしょう。他の場所へ移したら、死んじゃうのよね。他所では生きてはいけない。
あたしも一緒よ。車椅子の世話になってあなたの船に乗ってはいる。
けど、ここから降りたらきっと何もできない。何の役にも立たない存在よ。たとえ空気を吸ってご飯を食べて眠っていたとしても、それは生きてるのと同じことにはならない」
死んだも同然よ。乾いた声で、糸か何かを括るようにそう結んだ。
「...….それは、違う、アルフィン」
そっとかけられるジョウの声はもうとりなしにしか聞こえない。アルフィンは雪が降り積もるようにどんどん頑なに冷えていく。
「違わない。お情けでメンバーに残してもらっているけど、あたしは非戦闘要員だもの。あなたの仕事の役には立てない。なのに、あたしはそれが分かっているのにミネルバを降りることができない。あたしはずるい。あなたの足枷にはなりたくないのに。どうして?」
自問するように、アルフィンは言い顔を両手で覆ってしまった。あるいは非難するように。そんな自分をどうして切り捨ててくれないのかと言外にジョウを責めていた。
「お情けなんかじゃない」
ジョウの声に怒気が含まれた。はっきりと。
アルフィンの身体が固まる。そろそろと顔から手を離し、ジョウを仰ぎ見た。
「足 枷でもない。ましてや戦闘要員として、俺の側にいてもらってるんじゃない。
アルフィンは俺のパートナーだろ、死ぬまで、俺たちは夫婦だろ。プロポーズしたとき、そう誓った」
そこで、ふとアルフィンの表情が緩む。
「…あんなの、プロポーズじゃない」
まだ病院に入院していた頃のことを思い出した。
「あれは、脅迫っていうのよ。ジョウ」
「……そうだな」
ジョウもつられるように嗤った。苦い笑みだった。

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1 コメント

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連日の投稿ありがとうございます (ゆうきママ)
2021-10-14 12:32:40
読んでて、辛いです。
アルフィンの辛い気持もわかるけど、
ジョウだって、辛い。
でも、アルフィンの心を開くのは、ジョウだけだから。
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