シャワーを浴びてあたしは部屋に戻った。濡れ髪を乾かしていると時間がかかってしまう。洗面台を独占してしまい、ジョウが困らなかったかなとちらっと思った。
白のバスローブをきっちりと着込む。軽くお化粧をしようかと思ったけれど、止めた。その代わりコロンをそっと鎖骨のあたりに忍ばせる。
部屋に戻ると、ジョウが頼んでおいたルームサーヴィスをトレイからローテーブルに移しているところだった。あたしの好物ばかり頼んでくれたのがわかる。アルコールはお昼に飲んだので、炭酸水を頼んだ。
「美味しそう。お誕生日みたいね」
一流グレードのホテルのサーヴィスメニューについはしゃいだ。
「晩飯がホテルのルームサーヴィスで悪いな」
ジョウもあたしと同じ質のいいバスローブを羽織っている。濡れ髪はそのまま。
目が治ってから、もう髪を乾かすのをお手伝いすることはなくなった。
すこし、それが寂しい。
「いいの。摘まんでもいい?」
あたしはソファに腰掛けながら訊いた。ジョウは笑って、
「いいよ。ほら、これは?」
お皿の中から、クラッカーにトマトとチェダーチーズを上品に添えたものを取って、あたしの口許まで運んでくれる。
うわ……。
どうぞ、と目で促す。あたしはおずおずと彼の差し出すそれを咥えた。
美味しい。美味しいけれど味があんまししない。
早くチェックインしたがったのはジョウ。レストランで時間を取られたくないからと言った。
一刻も早く二人きりになりたいという気持ちが伝わって、その性急さが愛しかった。
予約してくれた部屋はセミ・スイート。スイートルームじゃなくてもいいのか、と言われたけれど、あたしは固辞した。スイートは新婚旅行のときまで取っておきたかった。
ジョウはグラスに炭酸水を注いで、一つをあたしに手渡してくれる。
透明な泡が弾ける水を目の高さまで持ち上げて、ジョウは言った。
「じゃああらためて……」
「退院おめでとう、ジョウ。乾杯」
グラスとグラスを打ち鳴らす。軽やかな音が立ち上がる。
「仕事も請けられるようになったし、銃の腕前も落ちてないし。いろいろひやひやさせられたけど、万事オーケーで本当によかった」
あたしは心からそう言った。
「ありがとう。心配かけたな」
「いいのよ。今回のことで、あたしジョウには感謝してるの」
「感謝?」
意外そうにジョウは訊いた。
「うん。あたしにとってあなたがどんなに大切かってわかった。それだけでも本当に神様に感謝したい気分なの」
「そういう意味なら俺も同じだな」
「目のことがあってから、あなた変わったわ。すごく。気がついている?」
ジョウはまあなと頷いた。
自覚はあるんだ。
「前は照れ屋で甘い言葉なんかお願いしてもかけてくれなかったけれど、最近はぜんぜん惜しまないじゃない。こっちが恥ずかしくなるくらい。あれ、恥ずかしいけど本当に嬉しい。舞い上がっちゃうくらい」
ふふ、と笑ってグラスを傾ける。
水を含むと自分がどれだけ喉が渇いているかわかった。シャワーの後というだけでなく、やっぱり緊張してるのだろう。
ジョウはサラダにフォークを突き立てた。
「照れてる暇なんか無いってわかったんだ。言葉を惜しんでいるうちに、事故に遭ってそれを言えない状況がまた来るかもしれない。それはいつ起こるか分からない。今回のことで痛いほどわかった。だから、変わったって言われるとそうかもしれないな」
内面は変わってないつもりだが。事故の前も後も。ジョウはそう呟く。
「それに、俺もわかった。今回の事故で、君がどれくらい俺のことを想ってくれているか。……ちょっと感動した」
「え?」
「もしも手術が成功しなかったら。角膜をあげるって言ってくれたろう」
「……うん」
あれは本気だった。ジョウが要らないって言ってもそうしていたと思う。もしものときは、お医者さんを巻き込んで実行するつもりだった。
無理にではなく、自然と思ったのだ。ジョウの足りないところをあたしが補えるのなら、そうしたいと。
彼は微笑った。
「俺はあのとき、してやられた。……一生アルフィンにはかなわないと、完全降伏したんだ」
「大げさね」
「大げさじゃないよ。それくらい、嬉しかった。どれだけ救われたかわからない。目が見えない間。君だけが俺の光だった」
何一つ見えない暗闇で、あたたかい光を放つ太陽が君だった。ジョウはそんなに昔のことでもない話を、懐かしむような口調で一語一語言葉にした。
そして、続けた。
「俺もわかったんだ。君にこれから何か危険が迫って、そばに俺がいたら、俺が代われるのなら君の代わりに俺が死ぬ。自分よりも君が大事だ」
ジョウは言って水をひとくち含んだ。
また、そんな思い詰めた目をして、とか、冗談でもそんなこと言っちゃ駄目よという軽口さえ受け付けない真剣な面持ちにあたしはひるむ。
つい、グラスを口許に運ぶ手を止めて、彼を見つめた。
ジョウは黙ってあたしを見つめ返した。
「ジョウ……それってもうプロポーズと同じよ」
吐息を漏らすようにあたしは呟いた。
「そうとってくれても構わない」
「……もう」
あたしはグラスを置きソファから立ち上がった。テーブルを回り込んで、ベッドの縁に座る彼のところにいく。
ジョウの膝の上に横がけに座り、そうっと彼の肩に腕を回した。
ぎし、と二人分の重みを受け止めてベッドのスプリングが鳴る。
幸せでどうにかなっちゃいそうだった。視界が滲むのを見られたくなくて、彼の肩におでこをくっつける。
ジョウはあたしを抱きしめた。
「あのときもこんな風に抱きしめてくれたな。手術の前」
柔らかい声。部屋の間接照明に吸い取られていく。
もしも、一生暗がりの中で生きなければならなくなったらどうしよう。不安を吐露したジョウをあたしは抱きしめるしかできなかった。だいじょうぶよ、そばにいるわと繰り返しながら。
あのときの身体の隅々まで満ちるいとおしさが心によみがえる。
「あたしにはこうすることしかできないの。あなたを抱きしめることしか。それでもいいの」
「もちろん。これがいいんだ」
アルフィンじゃなきゃできない。
あたしの髪を何度も撫でながらジョウは言った。幸福な気持ちに満たされて、あたしは深く息をつく。
彼の頭を抱きしめ直してあたしは言った。
「でも、一つだけ言っておくわ。ジョウ」
「うん?」
「死ぬことなんか考えなくていい。いざというとき、もしものときもあたしたちは二人で生きることを考えるのよ、これから。最期の最期まで。それだけは約束して」
「……わかった」
クスッと笑った気配がして、ジョウは素直に頷いた。
ほんとに君にはかなわないなと呟きながら。
あたしたちはどちらからともなく顔を寄せ、唇を寄せた。キスを交わす。
濃厚で、情熱的な口づけになった。
顔を両手で挟んでキスをしたい。長い髪に触れたい。
ここまでは、かなえた。俺の望み。
これから先は、まだーーかなえていない、今宵ふたりで実現させていく望み。
俺はアルフィンのバスローブを肩から滑らせ、生まれたままの姿にした。
END
(この続きは「夜の部屋」更新済みです。
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pixiv長編から参りましたぁ⤴️本当っ❗️凄かったっ❗️
J君積極的ですね~🤭「怪我の功名」「人間万事塞翁が馬」といったところでしょうか😁
「夜の部屋」が楽しみです😁
コメントありがとうございます。
こんなあけすけないの、ジョウじゃないよ、との声もありそうですが。人生観が変わったということで・汗
夜の部屋に格納できるよう、こつこつ頑張って書きます。
>デイライト ……長くてほんとすいません・汗