私はどちらかと言えばのほほーんと歩いてきたほうだから、
それにたぶんいろいろな人に守られてもいたと思います。
だからそれほど深く傷ついた事がないかも?しれない。
でも何事にも力一杯に進んでいく人はいろいろなことで傷つくことが
多いのではないかと推測します。
力一杯進むのだから何にしても風当たりは強くなるはず。
ゆっくり進んでいけばぶつからない物にも当然ぶつかる可能性は
高くなるでしょう。
それが他人からの言葉だったりします。
なぜ傷つく言葉にぶつかってしまうのだろう?
そこには他の人からの嫉妬ややっかみ(同じかな)があるからでしょうか?
なんで人は傷つく言葉を投げかけてしまうのでしょう?
それはうらやましいからでしょうか?
自分はできないことを又はしないことをその人はやっている、やってしまう。
実行してしまう人への嫉妬??だけではないでしょうが・・・
私は今は「自分は自分、人は人」こんな感じの考えが定着してきたので
人のことを『いいな』と思うことはあっても『うらやましい』と思うことは
ほとんど無いような気がします。
『いいな』も『うらやましい』も同じみたいだけど私にとっては少し違います。
でもそれは人より上になりたいという向上心も少なくなることかなと思います。
だからなにかの上達を望む場合は自分がそうなりたいと心から思う必要があります。
もし傷ついてしまったら私なら少し立ち止まり嵐が去るのを待つと思います。
でも歩く事を止めないで嵐のなかを早く通り抜けるのも‘あり’かも。
でもどんな場合でも他人に助言は求められても最後に何かを決めるのは
自分しかいないのです。