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哲学的思考「死」について

2012-06-07 | 生き方の哲学

人間はいつか死にます。私は学校で「死」に対しての学びをさせるべきだと考えています。

なぜならば死というものは生と表裏一体であるからです。

肉体を使えば消耗する

そんなことは頭では分かっているつもりでも、小学生でも理解できるのに、実際にはよくわかってはいない。

小学生の頃、そんなことを微塵も感じたことはない。自分がいつか死ぬ時が来るなんてことは考えないことだろう。

自殺する人の頭には「死」についての思考が適正ではないことは間違いない。

生まれたからには死についても真剣に考えるべきではないか。

天災・人災等の事件事故や病気によって人の意識は180度変わるとはよくいいますが、本当にそうかもしれません。なぜならば「死」を意識するからではないだろうか。

もし、授業で死について深く考えることがあったのなら、おそらくこう考えるのではないか。

「これから先、あとどれくらい生きられるのだろうか」
「どんな人生を生きていけば最高の人生にできるだろうか」
「この与えられた命を大切に適切に利用できるだろうか」
「自分に与えられたミッションはどんなものだろうか」
「自分にはどんな適正や能力・才能が与えられているんだろう」
「自分の生きていく意味はなんだろうか」


などなど真剣に人生を生きようと考え始めればどんな苦境にあっても強く乗り越えてゆくことは可能であります。

富裕になって贅沢の限りをして楽を続けると、人間の精神は腐ってくるように、真剣に真実を求めない人間は同じように腐ります。

貧しい時にこそ最大の精神力を発揮することができるのは根本的に真実に近いような深い哲学があるからなのです。

もう時代が変わりました。新しい扉を開くときは今です


そこでこんな記事を見つけました。

中村仁一(社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長)
この方の記事が2012年7月号の「安心」という健康雑誌にあります。タイトルは「大往生したいなら治療は受けるな!」

若い人には関係ないとは考えない方が利口です。
詳しくは記事の方を確認して頂きたいのですが、私が面白いなぁと考えるところを発見しました。それによると死ぬ前の準備というかそういうものをしておくといいということで

例えばそのひとつに棺桶に入ってみるという行為です。気持ちの悪い行為のように思いますが、先ほども申したように人間は死を意識すると変革するのですから、この行為によって思考がクリアーになり、生まれ変わるかもしれません。人生をリセットしたいならいっぺん死んだつもりになって、死んでみること。また、なにひとつ物を持っていくことができないと理解できる。

先生が自分の死を考えるための具体的な行動という15ヶ条をおすすめしています。(詳しくは雑誌にて)

その中に死期が近いときに関しての事前指示書を作成するとあります。

中村先生本人が作成しているものを見ると、医療による死よりもあくまで自然死にこだわっている点です。

例にていくつか紹介すると

・できる限り救急車は呼ばないこと
・脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退すること。
・人工透析はしないこと
・不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければその時点で取り外して差し支えないこと

などのように指示されています。

また死後による指示書も作成されていて、例えば読経、死後戒名は不要とか、死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ(もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)

というようなことも書いてあります。

私も死期については本来このような死を望みたいと考えています。
死体などは墓に埋めることもなく、散布すればよいことであります。

また宗教による供養も本来必要はないでしょう。必要なのはこの世に悔いが残っていて迷って死んだ魂のみだからだと考えます。

医療による最後においてもあくまで自然死にこだわり医療に投資するようなことは一切したくありません。

人間、死ぬときには死ぬのだから。

改善の余地がなければどんなに懸命な処置をしようが意味がない。


人間だから理想を望み語ることも必要だが、人生の終わりも考えながら歩むことがなを重要であると考えます。

山登りにも登るときより下りるときの方に細心の注意を持っていくことが安心安全につながるとも聞いたことがあります。

以上





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