運というものがない世界を想像してみよう。すべてのことは計画された通りに進み、予想外のことは何一つ起こらない。そんな世界は退屈でたまらない場所にちがいない。
ロスロープ・ストダード「運:あなたの静かなパートナー」より
運命はあなたのために成功を予約しているかもしれない。今日、負けた者が明日は勝者になるかもしれないのだ。 ミゲル・デ・セルバンテス「ドン・キホーテ」より
与えるものはラッキーなり
アメリカでは、どのコンビニでもカウンターに1セント玉入れのお皿があり、勝手に出し入れしてもかまわないことになっているようです。
昔、物を買ったあと、ラッキーマネーを交換した習慣がもとになっていて、ヨーロッパの田舎では馬や牛を売った人は必ずその代金の中から小銭を、たとえ1セントでも買い手に戻す習慣があったそうです。このラッキーマネーは家畜が健康を保ち、商談が良い結果に終わるようにという願いを込めたもの。つまり人に親切にすれば何倍にもなって戻ってくる。
カレンダーの暦に重日というのがある。これは重なる日と書いて意味はそのままです。悪いことも善いことも重なる。ダブルで戻ってくるだから気を付けなさいという日です。
メリットのないことはしたくないのが人間ですが、メリットを追求して損をしているのもまた人間です。努力は無駄ならばしないのでしょうか? 人にメリットを求めるなら自分にメリットを差し出せるものがないといけない。等価交換ですから。またメリットを受け取るということはあるメリットを持ってかれます。欲のつながりはいつも虚しい。
ある人はこう言いました。
努力をするほどに、運は強くなる。
ゲイリー・プレーヤー/プロゴルファー
努力は無駄などではない。努力は蓄積するものだからだ。
努力によって運は拓ける。
最近の傾向として時短を求める人が増えているように感じるが、神的な思考よりも悪魔的な思考を好む人が多くなっているようだ。その方が手っ取り早いからだろう。
悪魔的な思考の持ち主は生きている間は良いが、死して朽ち果てることになる。悪魔の手先となり使役されるだろう。
競争が速いものが勝つわけではない。戦いは強いものが勝つのでもなく、パンを手に入れるのは賢いものでもなく、富を手に入れるのは賢者ではない。だがタイミングとチャンスが、それらを決定するのだ。 旧約聖書「伝道の書」9章11節
タイミングとチャンスこそ運なのだ。運は蓄積されたものの結果、生じるものだから。
何かを真剣に欲することは、幸運を産みだす動力になる。
バーナード・ギトルソン「幸運の作り方」
真剣にする力は神の力です。
結果:
運というものはなんなのかわからないが、私は宇宙の法則のように感じる。
偶然のように見える運は規則性を持っていて、輪廻転生を考えるとき、過去に成したことが偶然を装ってあるタイミングで発動する。それが運なのではないかと