恐らく残された家族の中で覚えているのは私だけかも知れない。
兄弟もいないし子供たちも祖父の死んだ年月日なんて覚えていないと思う。
せめて覚えている私だけでも生前の思い出を出来るだけ思い返しておきたい。
父は小中学校の体育と社会の先生だった。中学の時に野球部の顧問をしていて、教え子が甲子園に出場し応援バスを連ねて応援に出向いたことが記憶がある。
幼稚園に上がる前にスキーへ連れて行ってもらったことがあり、写真で滑っているところがあったりした。その頃は子供用のスキー用具なんて無い時代だったので、父が竹を切ってきて器用に火であぶり先を湾曲させゴムで留め具など作ってくれた。そのスキーバスも父が幹事を務め行き帰りのバスガイド?までして皆を和ませていたことも思い出がある。
母とは相性があまり良い方では無かったようだ。政略お見合い結婚だったせいでもあるが、幸せな夫婦とは程遠い感じだと子供ながら感じていた。
親の因果が子に報いたとは言わないが、私の結婚生活も良くなかった。
親のせいだとは思っていなくても最近何となく因果を信じたくなっている。
たまに会う親戚の方が私が父そっくりだと言うことがあるが、私の似ているところが多くあると思っている。
遺伝とはそのようなことを言うのかも知れない。
そんなこととは別にしてこれからは後悔しない人生をしてい(生、活、良、行)きたい。