森会長を追い詰めた今日の日本人の狭量

加瀬英明のコラム
  
森会長を追い詰めた今日の日本人の狭量


 森喜朗オリンピック組織委員会会長が、「女性の理事が増えると会議に時間がかかる」と発言したのを、世論が女性蔑視だとさんざん袋叩きにして、辞任を強いた。私は森氏が辞めたときいて、「日本はもうダメだ」と思って、深い溜息をついた。
 このところ、毎年、日本は活力を失ってきた。
 日本はバブルが崩壊した1988年に1人当たりGDP(経済規模)でスイスについで世界第2位だったのが、2019年に第25位に転落した。韓国が29位だから、追い越されるのではないか。森氏は軽口を叩いたのだった。私たちも日常会話のなかで、会話の潤滑油として冗談めかして相手をからかうものだ。森氏はそういって、反論すべきだった。
 いつから軽口も叩けない、息が詰まるような社会になってしまったのだろうか。このようにゆとりを失って硬直した社会は、当然のことに活力を失う。
 国会の女性の野党議員も森氏を糾弾せずに、「男性は会合で上の者がいると黙っている。自己主張ができない方ばかりで、情けないですね」といい返せば、すんだことだった。笑いはゆとりだ。
 たしかに女性と論争すると、女性の声は200ヘルツから300ヘルツで高いのに対して、男性の声は100ヘルツから150ヘルツのあいだしかないから、太刀打ちすることができない。1ヘルツは声帯が1秒間に100回、震動することをいう。

▲軽口を叩いてはいけないのか。

平均寿命も、女性のほうが高い。女性は男性よりも持久力があるから、際限なく喋り続けることができる。会議で女性のほうが長く話すのは、生理的な條件によるもので、それを指摘するのは、蔑視や、差別に当たらない。
 森氏を辞任に追い込んだ手合いは、深く反省するべきだ。森氏のこれまでの労苦を労(ねぎら)う言葉もなかった。それなら『敬老の日』を廃止するべきだろう。
 ついこの間までは政治家は思ったことを、そのまま率直に語ったものだった。
 1949年に吉田内閣の池田勇人蔵相が記者会見で、「中小企業の一部倒産はやむをえない」と述べ、野党が不信任決議案を提出したが、否決された。
その翌年、池田氏は第四次吉田内閣で蔵相として留任して、国会で「貧乏人は麦を食べればよい」と発言した。
 その後も、同じような発言を繰り返して物議を醸したが、1960年に首相となると人気を博した。
 1944年に私は17歳だったが、大達茂雄文相が国会で「東京裁判は人喰人種の首祭りだ」と発言したのに溜飲を下げて喝采したのを、よく憶えている。それでも、もっともな指摘だったから、新聞も野党もまったく問題にしなかった。
 私は中曽根内閣の秦野章法相と25歳の年の差があったが、漢籍がいう忘年交で親しかった。そのころの多くの政治家のように、人として魅力があった。
 秦野法相は野党が暴力団の組長と握手をしている写真を取りあげて、詰問したところ、「イエス・キリストが罪人から握手を求められたら、罪人を救うために手を差し伸べただろう」と当意即妙に答えたので、それ以上追及されなかった。
 私は秦野法相と月刊『文藝春秋』誌(昭和58〈1983〉年12月号)で、田中角栄「ロッキード」裁判について対談した。

 ▲正直者で、情熱も正義感も強い

 このなかで、法相が「政治家は汚い腐敗しているという風に、政治家は神のごときものでなきゃいけないという期待感があるのかねえ。とんでもない話だよ。この程度の国民なら、この程度の政治だよ政治家に正直や、清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい。(以下略)」と、批判した。
 野党各党が法相の辞職を要求して騒ぎ立てたが、中曾根首相が「(秦野発言の)内容はなかなかいいことを言っている。法相は非常な正直者で、情熱も正義感も強い。善人だ」と、答弁した。翌月、衆議院を解散したので、野党の追及も立ち消えた。
 いまの国会議員は与野党ともに、百貨店の高級品売場の年季が入った担当者のように心が籠っていない、丁寧語(ていねいご)で話すので空(そら)ぞらしい。もっと本音で話せないのか。
 本心から出たことばで話したい
 あのころの大多数の政治家は、国民と同じように子供のころから苦労を重ねていたから、酸いも甘いも噛み分けて、世事人情に通じていた。そこで率直に本音を語ることができた。
 いつから日本語のなかで「貧乏人」という言葉が、使われなくなったのだろうか。豊かな社会が到来してから、人々が外面だけを纏って、人間味を失うようになった。
 地方自治体から国政選挙まで、候補者のポスターが貼りだされると、きまったように卑しい媚びた笑みを浮かべている。昔、熱海駅を降りると、駅前に温泉旅館の客引きが屯(たむろ)して、仕事だったから仕方がなかったろうが揉み手をしながら、候補者のポスターのような下卑(げび)た表情をつくっていた。
 日本がうわべだけの社会になっているいまの日本では、何でも可愛くなければならない。
 熊本県のゆるキャラのくまモンから、ポケモン、ハロー・キティまで、可愛ゆいものが、国民のアイドルとなっている。ポスターを見ると、国会議員も可愛がられなくてはならないのだろう。
 ゆるキャラや、コミックのキャラクターは、みな体にくらべて頭と目が異常に大きくて、鼻が小さい。赤ん坊のように無邪気で、抱きしめたくなる。
 私は80代に入ったが、私たちの世代のアイドルといえば、二宮尊徳、吉田松陰、西郷隆盛、野口英世、津田梅子といった、偉人伝に登場する人物だった。

 世界のなかで、これほど可愛ゆいものによって国民の心が支配されている国は、日本の他にないおそらく日本国民がそうなりたいと憧れて、求めている自画像なのだろう。
 だから憲法を改正して、自衛隊をどこの国にもある軍隊にすることが、できないのだ。軍隊は可愛くないのだ
 ほどなく、安倍内閣がコロナ・ウィルスの感染が拡大するなかで、「緊急事態宣言」を発してから1年目を迎える。

 ▲コロナより深刻な脅威

 コロナの大感染を境にして、どのように世界が変わったのだろうか
 4年前に、アメリカでトランプ政権が出現したのは、私が「無国籍企業」と呼ぶ多国籍企業が、無国籍な世界がつくっていたのに対して、アメリカのナショナリズムが反撃したものだった。
 グローバリズムが無国籍な金(かね)をもたらし、人々が甘い蜜に群がった。
 ところが、コロナによるパンデミックは、それまで世界を支配していたグローバリズムという幻想を粉砕して、ナショナリズムが蘇えった。自分の国しか信じられない情況が、もたらされた。私は「コロナ・ナショナリズム」と、呼んでいる。コロナによって、自国しか頼れない現実が生まれている。国家の復権だ。

 日本もコロナとの戦いに国民が団結して、全力をあげることを強いられている。
 ところが、日本国憲法は前文で高らかに謳っているように、自国の運命を諸外国の善意に委ねることを定めている。世界に類例がない「無抵抗憲法」だ。
 コロナとの戦いは、時間との競争を強いられている。コロナと同じように、中国、北朝鮮の脅威が刻々と増しているというのに、目を背けてよいのだろうか。
 中国が尖閣諸島を奪おうと狙っている。北朝鮮が核ミサイルの性能を高めて、爪を磨いている。中国、北朝鮮が日本を攻撃すれば、コロナ・ウィルスよりはるかに悲惨な大災害に見舞われる。国防力の強化こそが、集団免疫力を高める。                    (かせ・ひであき氏は外交評論家)

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