これは びっくり 痛快 何事にも とらわれるな!! でしょうね
百歳にてお迎えのあるときは、時期を見ましてこちらからぼつぼつ参じますといえ
凄まじい教えは坊主とは思えない破天荒、型破りの人生訓
関大徹『食えなんだら食うな』(ごま書房新社)
本書は名書の復刻だが、原典は昭和五十三年、山手書房からでている。山手書房と言えば当時、仏教関係から人生論まで手広くカバーしていたが、社長の高瀬広居氏は宗教学者の側面があり、瀬戸内寂聴を「売僧」(まいす)と批判してはばからない剛の人でもあった(じつは評者も十数冊、山手書房から拙著を出して貰っている)。
禅の奥義を日々の生活に活かせと説く関和尚は世間的には無名だが、ひろく庶民の崇敬を集めた曹洞宗大教師。
なんと言っても仏教の大教師なのに、言うことは破天荒、型に囚われず、奔放な教えを教諭する。
その中には「自殺するなんて威張るな」、「家事嫌いの女など叩き出せ」、「若者に未来などあるものか」、「犬のように食え」、「地震くらいで驚くな」、「死ねなんだら死ぬな」という耳を疑うような教えが関大徹の口をついて出てくるのである。
またこうもとかれる。
「病なんて死ねば治る」、「ためにする禅なんて嘘だ」、「ガキは大いに叩いてやれ」、「社長は便所掃除をせよ」。
そして題名にもなった箴言とは「食えなんだら食うな」となる。
生きることは死ぬことである、ということは「死ぬことが生きることである」と評者も、『青空の下で読むニーチェ』(勉誠出版)の結語にしたのだが、関教師は、次のごとくに人生をまとめるのだ。
「人生は六十から。
七十代でお迎えのあるときは、留守といえ、
八十代でお迎えのあるときは、まだ早すぎるといえ。
九十代でお迎えのあるときは、そう急がずともよいといえ。
百歳にてお迎えのあるときは、時期を見ましてこちらからぼつぼつ参じますといえ」。
解説を書いている執行草舟氏は、数千冊の古今東西の名書を読みこなした読書人でもあるが、本書を一貫して人生の師として座右の銘として、読み続けてきたという。
氏は人生で三回の転機に遭遇した。その都度、運命的な決断は、「この本の言葉が背中を押してくれた」という。
なぜなら、この本が執行氏にとっての「命の恩人」だったからだ。そればかりか、執行氏の創業の決意も本書により、「手に取る読者の方々は、ここから新しい人生が生まれると思ってくれていい」とまで推奨の辞を述べるのだ。
だから「死ぬ気で読んで欲しい」と言い、「本書自体を食らうのだ」と、この言葉は解説と言うより凄まじいまでの推薦の辞である。