11か月になった八割れ猫のシッポナは、我が家に保護された当初から好奇心旺盛で人や物を怖がることのない自由闊達な性格は変わりません。
毎日たくさん遊んで沢山寝て過ごしていますが、一つ加えるとするなら自己主張が強く少し怒りん坊になりました。
抱っこがしたくて抱き上げた時、爪を切る時(これはあるあるだと思いますが)歯磨きの時(これもあるあるです)、私たちが食事の時(食べたがるのでサークルに入れます)などなど「ウギャ~」とどこから出た声??という鳴き声と共に抵抗してきます。
ときに「シャーッ」と本気で怒ったりします。
やれやれ。
そういえば以前、夫が職場で「アンガーマネジメント」という怒りや悪想念、邪念や不満などをコントロールする方法の講習を受けたという話を聞きました。
その方法を大雑把に説明すると、――今までに自分が最高に怒りを感じことを10段階の10として、今直面している怒りは何段階になるかを判断し、些細なことに怒りや不満をもつことはない、と自分の感情をコントロールする――というものです。
そこで私も今までに最高に怒りを感じたことを思い浮かべてみましたが、何だったんだろう??と思い浮かべることが出来ませんでした。
大したことではなかったということだと思いますが、裏を返せば大したことではないのに怒りを感じていたということでもあります。
そんな話から「怒りや不満などの思いは、自分の思い通りに事が運ばなかったことに対して湧くことが多いよね」という話になり、「つまりは利己心から発するんだね」と、二人で納得しましたが…。
シッポナも自分の思い通りでないから怒るのでしょう…。
さて私は「シルバーバーチの霊訓」に出合ってから、そこに書かれている真理を日常に活かそうと努力していますが、自分の内から湧いてくる悪想念や邪念はそう簡単に取り去ることは出来ないのだと痛感しています。
ふとした瞬間に心の内から湧きあがる思いを払拭するのは、とても大変なことです。
そうした時、その思いが湧いた自分の内面を見つめてみるのですが、自分本位であったり欲からの思いであったりすることが多くガックリしてしまいます。
自分が持つ、怒りや欲望、悪想念や邪念が一掃されたなら、どんなに清々しく生きれるだろうと思うとやっぱり取り去りたい思いが湧いてきます。
そこでシルバーバーチの言葉から悪想念や邪念についての箇所を引用して、日常に活かせていけたらと思います。(*1)
質 「たとえば誰かを殺してやりたいと思った場合です」
答 「それはその動機が問題です。
いかなる問題を考察するに際しても、まっ先に考慮すべきことは、”それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです。
ですから、この際も”殺したい”という考えを抱くにいたった”動機ないしは魂胆は何か”ということです。
<中略>
そこで、殺してやりたいと心で思ったら実際に殺したのと同じかというご質問ですが、もちろんそれは違います。
実勢に殺せばその霊を肉体から離してしまうことになりますが、心に抱いただけではそういうことにならないからです。
その視点からすれば、心に思うことと実際の行為とは罪悪性が異なります。
しかしそれを精神的次元で捉えた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみといった邪念は身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。
思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為にいたらせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方がはるかに強烈です」
シルバーバーチの霊訓6 P121-122
このシルバーバーチの言葉を読んだとき、驚いたのは”身体的痛みよりその行為にいたらせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす影響の方が強烈”ということです。
それは動機の問題なのでしょうが、憎しみや恨みや嫉みといった悪感情が”殺したい”という引き金になったとき、その思念が自分の霊と精神に大きな影響を生み出すということです。
そうした悪感情が紛争や戦争の発端になるのですから、精神に与える影響が大きいのも納得です。
私たちの地上に現れる行為は、まず霊や精神で考えたり思ったりすることが先にありますが、それは私たちは肉体を携えた霊つまりは霊が根本にある霊的存在であるという証です。
私たちが霊的存在であるから愛や慈悲、同情、哀れみ、協調、奉仕という思念を発すると心が豊かになり更に愛を膨らませることになりますが、それは霊的に成長するということです。
反対に嫉妬や欲望、憎しみ、恨みという感情は、心を貧しくし人から奪ったり、呪ったり、最悪殺したりという行為の引き金にもなり霊的には成長はできません。
そう思うと、悪想念や邪念は持たないようにしよう!!心豊かになりたい!!と思います。
またシルバーバーチはこんなことも言っています。
「人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります」 シルバーバーチの教え・下巻 P66
私たちの目には見えず耳にも聞こえませんが、私たちの周りには肉体を持たない霊的存在者がいます。
死んで無になるのではなく、ただ肉体から霊体という目に見えない身体で死後も変わらず存在しているということです。(*2)
それは地上時代と同じく愛に満ちた人もいれば悪想念や邪念に駆られた人もいるということで、私たちが地上で気の合う人と一緒に過ごすように、私たちの思念に同じような霊的存在者が引き寄せられるということなのです。
類は友を呼ぶのです。
私たちは言葉や態度に出さずとも悪想念や邪念をつい持ってしまいがちですが、その時同じ思いを抱く霊的存在者が周りを取り囲んでいると想像すると、悪想念や邪念は絶対に持つまい!!と思います。
反対に愛や慈悲、同情、哀れみ、協調、奉仕という思いは、善霊や高級霊と波長が合い、そうした崇高な思いの善霊を引き寄せるということですから、なお自分の思いをしっかりコントロールしよう!!と思います。
TVのニュースなどで見る犯罪者や独裁者たちの周りにも、きっと同じような思いの霊たちが押し寄せて地上人の悪行に拍車をかけているのでは…と思います。
反対に心温まる話には、同じような温かい心の善霊たちが取り巻いているのでしょう。
誰もがそうだと思いますが、やっぱり私も後者がいいと思います。
愛ある霊、心温かな霊たちが押し寄せてくれるような、そんな思いで過ごせるように自分の心を改めていきたいと思います。
その中の「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」には「人間は死後どうなるのか?」が、「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」が完成まじかですが、そこには「みーんな死後も生つづけるんだよ!」が描かれいています。