夏の暑い日の出来事です。犬猫の昼の時間がやってきたので餌を用意していたそうです。私は外出していて不在でした。
いつもはエサ入れを取り出し餌を入れる音を聞きつけて、ソイもミルキーもシッポナもウニも飛んできます。
ところがその日はウニが一向にやってきません。ウニは隠れるのが上手でいつも “こんなところにいたの?” という場所から出てきます。クローゼットのタンスの上、布団の中、靴入れの中…とにかく狭くて暗い所が大好きです。
いくら隠れているのが好きでも、餌を用意するときの食器の音を聞きつけて大概はやってくるのですが、その日は一向にやって来る気配がありません。
朝6時に食事をした時はいたので、その後13時まで7時間です。お腹もすいているはずなのに…。
その日は私が出かけていたので家にいた夫と娘が大捜索をしました。
まずは、いつもいるウォーキングクローゼットを調べます。タンスの上、クリアケースの奥、布団も全てどけて中を見たそうですがいません。
次はリビングの隠れそうなところ、息子の部屋、娘の部屋、おばあちゃんの部屋、風呂場、靴入れ…全部をくまなく探しましたが見当たりません。
餌にも寄って来ないとなると外へ出てしまったのでは!?と、警察と動物愛護センターへ届け出もだしたそうです。あんなに臆病なウニが外で生きていけるのだろうか……と心配です。
原因を探ってみると…前日エアコン掃除に業者の人が出入りして、行ったり来たりしていたので怖くなってしまったのかもしれません。今日も誰かが来るかもしれないと恐怖のあまり隠れているのでしょうか。
そうこうしているうちに18時を過ぎ、みんな外に出ていってしまったのだろう…と半ばあきらめていた時です。母がもう一度押し入れの中を探してみると、奥の方に小さくうずくまっているウニを発見しました。
ウニを引っ張り出して、すぐさま水分と餌をあげて脱水していないことを確認し、ようやく安堵したとのことでした。
ウニは来客が本当に怖いらしく、インターホンが鳴るたびに寝室の布団の中へと逃げ込みます。
そんなウニの姿から「恐怖心は心を蝕む」というシルバーバーチの言葉と「人間の恐怖心の最たるものは死である」という言葉を思い出しました。
私もシルバーバーチの霊的真理を知る以前は「死」は怖く、悲しく、避けたいと思っていました。
30年ほど前に他界した父の死に際にも、なんとか「死の恐怖」から逃れたいと宗教団体に入信したほどです。しかし、宗教の教えによって心を慰めることも「死」を避けることも出来ませんでした。それは当然です。
地上に誕生してきた人間は誰一人残らず、いつかは死んでいくのですから…。それが神の摂理なのです。
当時は、そんな単純な法則があることさえ頭に上ってもきませんでした。それほど「死」というものを恐れていたのだと思います。
さて、「死」についてシルバーバーチは次のように述べています。(*1)
死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身になって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いもよらなかった自由を満喫して羽ばたいていくのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の牢獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生へ向けて旅立ったのです。霊本来のかぎりない自由と崇高な喜びを味わうことになるのです。
苦痛と老齢と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の霞みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するのの方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。愛はつねに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるのです。
皆さんもいずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時がきます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちるわけです。土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再開することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです。 シルバーバーチの霊訓3
このシルバーバーチの一節を初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。
死は貧富の差や学歴、権力に関係なく誰にでも等しくおきる現象であることは考えれば理解できます。が、死んで無になるとは思っていなくても、漠然と善行をした人は天国へ悪行を重ねた人は地獄へいくと思う程度の知識しか持ち合わせていなかったからです。
死とは第二の誕生で肉体の束縛から解放され別の生命を得ること、望みの叶う豊かな世界へ行くことだというのですから!!本当の死後の世界について知った時、「本当だろうか?」と信じられない気持ちになりました。と同時に、知識は人の心を変える大切なものだと思いました。
そして今も地上の多くの人が知らない霊的な知識だと思いますし、それ故に多くの人が死は悲しい出来事だと思っていたり、天国と地獄への分かれ道だと考えていたり、死後は無になると思っているのです。
死後の世界が私たちにとっていかに重要なことかも知らずに地上人生を利己的に物的に自分の思うがままに生きているのだろうと思うと、なんとか霊的真理の光を届けたい願望が湧いてきます。
さて義父は認知症を患い胃ろうもしていたので、他界するまでの数年は介護施設で入院生活をしていました。コロナが流行したことで家族との面会もできず息子の顔さえ思い出せないような状態でした。
ですから義父が霊の世界へ旅立ったと聞いた時には、「やっと病気と肉体の束縛から解放されたんだな…自由になれて良かった…お疲れさまでした。これからは死後の世界で自由を満喫してください。そして死の自覚が早く促されますように」と祈りの思いになりました。
当事者にとって死は喜び以外にないのだと義父のことから痛感したのです。
ですが、自分の大切な人が死んだときにも同じように思えるだろうか?と考えると、寂しい、悲しいと思ってしまうかもしれません。
しかしシルバーバーチは、身近な大切な人が無くなったとき悲しいと思うのは、自分が失ったものを耐えていかねばならないことを悲しんでいて、その思いには利己心が潜んでいるというのです。
確かに、よくよく考えてみるならばシルバーバーチの言う通りだと思います。
当人は肉体から解き放たれて自由を満喫しているのに、いないこと、触れられないこと、会話ができないことに寂しさを感じているのですから、利己心以外のなにものでもないのです。
まさに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのだと思いました。自分のために悲しんでいるのです。
他界して霊の世界に行った人は自由の身体を得て素晴らしい世界を満喫しているのです。(*2)
そして肉体は無くなっても霊として今も私たちを側で見守ってくれているのですから、どんなことも真理の目で見ていけるように真理を学び日常に活かしていきたいと思います。
身近な大切な人たちは今も私たちのことを気づかい側で見守っていてくれるはずです。常に意識を向けて、語りかけていきたいと思います。
一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福できるように成長したいと思います。
絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンの10のどうして?」 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です。
「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 と 「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし には、死後の世界の素晴らしさや本当の自分とは何なのか、人間の身体はどういう仕組みになっているのか…など、学校や一般に言われている知識をはるかに超越した真実の知識が描かれています。
絵本では学校教育では学べない豊かな霊的知識を学ぶことができ、今までの概念を一変してくれます。地上人生を明るく豊かに生きるための指南書への出発点になっております。たくさんの方にお読みいただけたら幸いです。
絵本は英語版、中国版もあります。ご興味のある方はぜひ AinoShinKotoSha STORE(English・简体中文)のホームページへ足を運んでみてください。
また、読み聞かせ動画の「あいのしんこと舎チャンネル 」からは、コトとシンシリーズの全巻を見ることができます。心に響く語りと可愛い絵とバック音楽(オリジナル曲)が心を和ませてくれます。