ある日、用事があり電車に乗って出かけましたが、次の駅で盲導犬と一緒に視覚障害者の方が乗ってきました。日曜の午前中でしたが車内は人も多く、その中で視覚障害者が立ちやすい場所にスーッと誘導している姿には感動しました。その後も車内で静かに伏せていましたが、人間のために働く姿はとても輝いて見えました。
さて盲導犬になるには、訓練センターで約6カ月~1年間、盲導犬として求められる作業や社会的なマナーの訓練を受けます。 パピーウォーキングを修了すると訓練センターでの生活が始まりますが、 訓練センターでは約1年間、盲導犬になるために必要な作業や社会的なマナーを学んでいきます。
盲導犬に向いている犬種は、主にラブラドール・レトリーバー、ゴールデン・レトリーバーです。 従順で賢い・順応性が高い・人を誘導するのに適した大きさ・社会に受け入れられやすい優しい顔立ち等が特徴で、盲導犬として活躍しています。
ですが、訓練を受けた犬たちの中で実際に盲導犬になれる確率は約3割程度と言われています。 盲導犬にならなかった犬たちは、それぞれの性格にあった新しい道にキャリアチェンジするそうです。
盲導犬になるには、沢山の時間学んだり訓練を受けていることが分かりましたが、人間が安心して生活できるように動物たちは色々な所で活躍をしていることを思いました。
警察犬もその一つです。
警察犬には、各都道府県警察が飼育管理している「直轄警察犬(警察が飼育、訓練を行い警察の仕事についている犬のことをいいます)」と、一般の人が飼育管理をしている「嘱託警察犬(飼い主が住んでいる県で、犬鑑札登録を済ませ、伝染病の予防接種を受けた犬が嘱託警察犬の審査を受けることができます)」の2種類があります。
実は警察犬は嘱託警察犬の割合が多いのですが、すぐになれる、というわけではありません。毎年行われる審査会で指定されなければ、嘱託警察犬になることはできないのです。
嘱託警察犬になるには審査基準を満たし、さらに嘱託警察犬審査会という厳しい審査を受けることになります。毎年審査水準が同じか、というと、どうやら違うようで、審査員メンバーが総入れ替えになっていたり、審査会場が通年と変わっていたりということもあるそうです。
その訓練の内容は、跡追求、臭気、捜索、服従、警戒などあり、仕事内容は、捜索活動、臭気識別、足跡追及、監視、護送と多岐にわたり危険の伴うものです。人間のために懸命に働き役に立つ姿は心を打ちます。
他にも、聴導犬、介助犬、災害救助犬、牧羊犬、セラピードッグと様々な職種で活躍しています。
人間のために働く犬たちは、きっと喜びの中でその使命を果たしているのではないでしょうか。従順な姿を思い浮かべるだけで胸に熱いものが込み上げてきます。
私たち人間も、もっと人の役にたつ日常を過ごしていかなくては!という思いが募ります。
そこで″人のために役立つ生き方″について、シルバーバーチが述べている箇所を抜粋したいと思います。(*1)
「自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。そこに物理的法則と霊的法則の違いがあります。霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです。進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです」 シルバーバーチの新たなる啓示 P150ー151
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「私たちの福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う、持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る、そうあったほしいのです。地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれるの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです」 シルバーバーチの霊訓2 P24
これらのシルバーバーチの言葉は心に響きます。その通り!!と思います。
その一つが霊的な富は分け与えるほど、ますます豊かになるということです。
他人のために、動物ために、その他においても自分を忘れて愛を発露するほどに自分の心は豊かになりますし、もっと愛を発現したいと湧きたちます。他者や動物や植物が愛を受けて喜ぶ姿や成長する姿が自分の喜びになるのだと思います。
それに愛はどんなに与えても無くなることはありません。むしろ無限に広がり大きくなっていくと思います。
愛を受けた人は、自分がそうしてもらって嬉しかったように、他者に対して同じように愛を発露するのではないでしょうか。
自分のことを考えても、優しくされたなら嬉しいですし、自分も優しさを返したいと考えます。
愛は愛を呼ぶという、シンプルな法則なのだと思います。
我が家の犬たちは、2匹とも保護犬でした。
ソイは50頭の多頭飼い飼育の崩壊で保護されましたが、人間の愛情を受けて育っておらず外にも出たことがなく、保護した当初はいつも部屋の暗くて狭い場所に隠れていたと聞いています。また保護ボランティアさんのお宅で食卓に上った食べ物を取り去る事件もあったようで、″野生の犬″と呼ばれていました。
ミルキーは繁殖所の母親犬として、3年間子どもを産む機械として過ごしてきました。狭いケージにずっと押し込められてきたのでしょう。保護ボランティアさんは水を飲むときに首輪に付けたネームプレートが皿に当たるだけで怯えていたと聞いています。我が家に来た当初は、表情がまったく無い蝋人形のようでした。いつもブルブル震えていたことを記憶しています。
約5年経った今、2匹とも表情豊かにわがままも言えるようになりました。抱っこをねだったり、おやつが欲しいと訴えたり、出迎えの時の全身を使って喜ぶ姿は同じ犬とは思えないほどです。
顔の表情筋が動いて笑っているように見えます。愛という力が与える影響は素晴らしと実感します。
決して失うことのない無限に広がる愛が進化・成長・進歩を促すとは本当にその通りだと思いました。
私たちが特別に愛情深いというわけではなく、誰もが愛というエネルギーを発揮すればそうなるということです。
反対に物的な富は与えると無くなってしまうことが多々あります。お金や資源など目に見える物には際限がありますから、与え続ければいつかは尽きてしまいます。ですから先ずは自分の分を確保したくなったり、勿体ないという稚拙な思いがわいて分け与えるのが難しくなるのだと思います。
儲かれば、もっともっとと際限がなくなるのだと思います。
自分を保守した思いや自分に向けての愛は進化や成長が望めるとは思えません。相手を思う愛のないところでは保護当初のソイやミルキーのように進化や成長はできないと確信します。
私たちにとって一番大切なものは、死後にもある永遠の生活に備えるための霊的な富なのです。
全ての人間に同じ神性が流れていること、ゆえに神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等な立場であると知ることです。
シルバーバーチが言うように、霊的本性において平等であると知ったなら、互助と協調と寛容と同情の精神を持ち、お互いがお互いのために尽くし合う、持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与えるようになるはずです。
そうでなければ、おかしいのだと思います。
なぜなら、人間を創造した神は全てを平等に創られたのですし、地上にある物を公平に分け与えたいと思っているはずです。
私たち人間の全ては神によって神性が賦与されていますが、その最高の能力は愛です。(*2)
一般に能力があると言えば、スポーツや研究、芸術や文学などで優れた功績を残した人たちを称賛しますが、それよりも遥かに優れた能力は誰もが等しく持っている愛を発露するという行為の中に見られるのだと思います。
こんな未熟な自分にも、その最高の能力を潜在してくださっていることに感動しますが、神から頂いた最高の能力である愛をもっと発露して、平等に創造された神の意思に従いたい、そんなことを思った盲導犬との出合いでした。
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」の五部作です。
全巻を通して、神がどのように地上を創造したのか、どのように人間を創造したのか、どう暮らしてほしいのか…という深淵な知識が描かれています。登場人物たちの分かりやすい会話や優しい心和むタッチの絵が心に訴えかけてくれます。
小さな子ども達も大人も、沢山の人に知って欲しい地上人生を豊かにする絵本です。
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