いよいよ4月に入りました。春というと我が家の犬たちは病院に行く機会が増えます。
狂犬病ワクチンと混合ワクチンを接種するために2回ほど通院するので、病院嫌いのソイとミルキーは病院が見えるだけでブルブル震えます。
狂犬病はウィルス感染による非常に恐ろしい病気で、犬以外の哺乳類にも全般的に感染し、犬や人が発症すると100%の死亡率と言われています。
万が一の日本での発生、蔓延を防ぐため犬は狂犬病ワクチンを接種し市へ登録することが法律で義務付けられていて、毎年1回の追加接種を行っています。その際に血液検査も行い、健康状態を調べたり、フィラリアに感染していないかを確認します。
血液検査は足の脛あたりに針を刺すので、犬たちが暴れないように抑えたり気をそらしたりとひと騒動します。
その1か月後あたりに今度は混合ワクチンを接種しますが、我が家は多頭飼育ですし散歩で外に出る機会があるので、伝染病を防ぐ目的で5種混合を任意で行っています。
そしてフィラリア感染が陰性であればゴールデンウィークを過ぎたことから、フィラリアの投薬を約半年行います。投薬は自宅で錠剤をのませるのですが、チーズなどに包んで騙しながらあげます。
ミルキーはまんまと騙されてペロッと食べてしまうのですが、ソイは勘が鋭くて包んだものだけ食べて薬を吐き出してしまうので飲ませるのに一苦労します。
フィラリア症は、蚊を介して犬の心臓や肺動脈に寄生する寄生虫が起こす病気です。フィラリアは成虫になると30cm にもなる糸状の寄生虫で、フィラリアが寄生することで血液の流れが悪くなり、様々な障害が出現します。放置すれば死に至ることもある、犬にとっては重大な病気です。
そんなわけで春は病院に行く機会が増えるのです。
私も年に一度、健康診断を受けに行っていますが、もうすぐ還暦を迎える私の肉体は色々とガタついています。「肉体は霊の道具」「霊の宮」とシルバーバーチが言っているように、肉体があるから霊を表現できるのですから、しっかりと管理していかなくてはと思います。
さて、その肉体と霊についてシルバーバーチは次のように述べています。(*1)
「私は決して肉体ならびにその必需品を疎かにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するように、と勧めているのではありません。一人でも多くの人に、正しい視野をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです」 『霊的新時代の到来』p.198
私たちは五感に映ること、聞こえること、感じることが実在と思い、それをのみ大切にしようとします。その一つに肉体の健康がありますが、正しい視野でみると人間は肉体をそなえた霊的存在です。肉体は霊の道具でもあるのです。
つまりは肉体ばかりに気を配るのは正しい視野ではなく、正しく生活ができないことを意味しています。
本当の自分を見出すことが出来て初めて、地上人生を正しく価値あるものに出来るのです。
「正しい視野」については、次のように話もしてくれています。(*1)
「大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。現在の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで物的なもの―――いずれは残して死んでいかねばならないものなのに―――せっせと蓄積しようとします。戦争、流血、悲劇、病気の数々も元はと言えば人間が今その時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自我を表現している霊魂(スピリット)なのです。それが地上という物質での世界での生活を通して魂を生長させ発達させ、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです」 シルバーバーチの霊訓3 P143
このシルバーバーチの言葉を初めて読んだとき衝撃が走りました。それは自分が肉体だけの存在だと考えていたからです。ですから、シルバーバーチに出合う前の自分を考えると恥ずかしくなります。
目に見える容姿やファッション、富や学歴や職業にこだわっていたように思います。見た目に美しく、お金持ちで優雅な生活を送っている…そういう人に憧れていましたし、人から良く見られたいと思っていました。人の評価もとても気になりました。
それに自分や家族が一番大切であったし、人から良く見られるために地上的な物を蓄積しようと、せっせと生きていたように思います。
また、病気や死は不吉で怖いものだと思っていました。
ですから、父親が病気になったときには落胆しましたし、死んで会えなくなることをそれはそれは恐れていました。
それは地上限りの命だと思っていたからです。肉体という存在がなくなると全てが消えてしまうと思っていたからです。
しかしシルバーバーチの言葉は私の意識にガツンとパンチをくらわし、目に見えることや聞こえてくることが大切なのではなく、自分が霊的存在で魂を生長させ発達させることの方が重要であることに気づかせてくれました。
私たちが地上限りの存在ではなく、死後も自分の培った性格をもって永遠を生きるのであれば、どちらに比重を置けばいいのかが一目瞭然です。
見た目や財産の有無や学歴や職業という物的世界だけに通用するものをため込むよりも、人からどう思われようと霊的存在として物にとらわれず、愛ある思いで生きていく方がどれだけ価値があるかが分かったからです。
その結果、容姿や財産や地位、権力といった物的で地上限りの物への比重が減ったことを思います。人の評価も気にならなくなりました。神の目から見て正しければ、それでいいと心が納まります。
地上に住んでいる人間は必ず死を迎えます。その現象から逃れらる人はいませんし、せっせと蓄積した洋服、豪華なカバンや財産、地位や権力は地上でのみ通用するもので、それを持って死後の世界に行ける人は誰一人いません。
シルバーバーチの言うように、いずれ残していかなければならない物的なものに執着し、多くを得ようと考えることがバカバカしくさえ感じ、死の恐怖はなくなりました。死後の生活のために成長したい思いの方が勝るようになったのです。
それに、死んで目の前から消えたと思う大切な人は、死後の世界で地上にいた時より清々しく生きているのですから。
しかし、地上の現状は違っています。
物に執着し自分のこと、自国のことに心を奪われるから戦争、流血、悲劇がなくならないのですし、暴飲暴食をしたり気ままに生きたり…、″自分の人生、好きなことをして何が悪い″と病気を引き起こす要因をつくるのだと思います。
その反面、戦争、流血、悲劇、病気や死を避けたいと望んでいます。
人間はこの肉体だけが全てでなく肉体を通して自我を表現している霊魂(スピリット)なのです。考えたり、反省したり、活動したり、喜んだり、悲しんだり、愛をもったり…そうした感情はどこからくるのか…それは心がそう思うからです。
心に思ったことが肉体を通して自我(魂・霊)を表現している存在が私たちなのです。
それが地上という物質世界での生活を通して魂を生長させ発達させ、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです。
本当の自分の姿を知ったなら、それに見合う生き方ができるようになるのではないでしょうか。(*2)
とはいえ、自分の周りにあるのは全て物的な物です。物的な物や思念に囲まれて生きているのですから、そこから脱して超然とした生活を送るのは大変なことです。
が、そのために誕生した地上世界ですし、その目的をしっかり果たして死を迎えられるように自分を躾けていきたいと思います。
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」の五部作です。
「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」には、″自分とはどんな存在か″ ″死後の世界はあるのか?いったいどんな所なのか″といった、人生の疑問が分かりやすく描かれています。
また 「コトとシンの10のどうして?」では、″なぜ地上に生まれてきたのか″ ″どうしてこの肉体を選んできたのか″…こうしたことは偶然に起きたことなのか、誰もが一度は考える人生の不思議が描かれています。
どの絵本も、地上で生きる上でとても役に立つ内容です。お子様の読み聞かせにも最適です。