昨年初めての巣作りと産卵を体験したナッツですが、今年も5月の後半くらいから巣作りらしき行動を始めました。
暗くて狭い誰も入ってこない場所のコルクの床やジョイントマットを嘴で細かく削り、それを巣にします。
始まってしまったかー!!と、ちょっと不安がよぎります。
卵を抱えたナッツは、それはそれは凶暴化して側を通るだけで物凄い勢いで襲ってくるからです。
ましてや今年は猫たちが加わって…どうなるのか?と考え込んでしまいます。
今年ナッツは、なかなか巣作りが進みませんでした。
昨年に比べ暗く狭く誰も入ってこれない場所を格段に減らしてしまったらかですが、それでもナッツの産卵がなくなることはなく夜寝たときにケージの中に白い小さな卵を産み落としていました。
無下に産卵場所を減らしてしまったことに胸が痛くなりました。
同時に何に発情したのか?…犬・猫の玩具(丸いボールのようなもの)や人間とのスキンシップなどに発情するようなので来期は少し気を付けてみようと思います。
インコの産卵は命がけといいますからナッツの身体が心配です…しかし、これも自然の摂理の働きなので再度産卵した時にはナッツの母性本能を発揮できるように配慮したいと思っています。
さて、お母さんナッツのことから思うのは、人間の地上への誕生のことです。
人間はなぜ、この地球に、この日本に、そして男性・女性として、この肉体で生まれてくるのでしょうか。(*1)
私は小学生のころ男の子に生まれたかったと思っていました。
それは活発であった私に対して母は「女の子なんだから、もう少し静かにしなさい」とか「女の子なんだから、お手伝いしなさい」と女であることを押し付けられているように感じていたからです。
男だったら、静かにしなくていいのか?お手伝いしなくていいのか?と反抗していたように思います。
こうしたことは男尊女卑の日本で育った母には当然のことで、母自身もそう育てられたのだろう…と、間違った迷信や概念が多くの人間の心を支配しているのだと改めて感じます。
しかし偶然の出来事はないというシルバーバーチの教えからいえば、全てにそうなる原因や意味があるはずです。
そこで地上誕生について書かれているシルバーバーチの言葉を紹介してみたいと思います。(*2)
「地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。
何も知らずに誕生してくるのではありません。
自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。
ただ実際には肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常常識に上がってこないだけの話です。
(中略)
人生にには目的があります。
しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。
宙に踊らされる人形ではないのです。
人間の一人ひとりに分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。
つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです」
シルバーバーチの霊訓1 P38-39
ーーーーー
「この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。
その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります」 シルバーバーチの霊訓1 P45
このシルバーバーチの言葉から、自分が今この地球の日本という国に女性として生まれ、両親に育てられ、今の家族を持ったことも…すべて自分で決めてきたことで、今の環境が自分の進化向上にとって必要である、というのはとても興味深いことです。
よくドラマのセリフで「生んでくれなんて頼んでいない」とか「勝手に生んでおいて」などの言葉を耳にしたり、私自身も幼い時には「お金持ちのお家に生まれたかった」とか「日本ではなくて外国に生まれたかった」と漠然と思っていて、そういう環境なら人生がもっと豊かで幸せなものになったと考えていたように思います。
結局は、お金や物が沢山得られる環境が幸せをもたらす…という物質的で利己的な価値観を持っていたからですが、今の環境に生まれたのは自分にとって最も相応しい場所として自ら選び、死後の生活に備える教訓を学んでいるという教えは、地上人生が今までとは違って意義深く今までとは違った価値があることを感じさせてくれます。
そして自分の地上人生を振り返ったときに印象に残った出来事は教訓を学ぶ上で、とても深い関係があったと思っています。
例えば私の大したことのない人生体験でも、子どもの誕生や成長など嬉しかった出来事や大変だった出来事は心に残り今も鮮明に思いだされますし、旅行先でみた大自然の美しい光景への感動なども心に深く残っています。
また反対に自分のした間違った行為への後悔や、身内の病気や事故や死もとても心に残る出来事として残っています。
愛おしいと感じる心や感動する心の動き、自分を内省し反省し心を入れ替えようと思うこと、人間の力の限界や無力さを感じること…、印象に残る出来事は心に何かを残しています。
それは私たち一人ひとりには分霊が宿っているからで、ある出来事を通してその分霊が刺激をうけるから湧く感情なのだと、私は思います。
本来ならば、それを魂の教訓にしなくてはいけないということです。
さて、そうであるならば今の地上世界でおきている戦争やウィルスの拡大、貧困や飢餓、麻薬や殺人、いじめや虐待、詐欺や横領、食品ロスや温暖化など…、溢れかえる問題は多くの人が関心を持ち、心に刻まれる出来事です。
ですから自分を含めたこの地上に住んでいる人のすべてが向き合い、進化向上していく方向に意識を切り替えなくてはいけない警戒の出来事であると思います。
どれも人間の利己主義や物質主義の上にある人災ですが、多かれ少なかれ誰もが利己的で物質的な思いをもち、こうした地上の現状に相応しいからこ存在していて、そこから学ぶことが必要なのです。
こうした問題を魂の成長に向かう方向にできてこそ、シルバーバーチがいう一人ひとりが無限の創造活動に参加していくことができるのだと思いました。
しかし操り人形でない人間は自分の意志ひとつで方向を選ぶことができます。
それが悪因悪果の現状を作り出しているということです。
いま生活する環境が自分の進化向上にとって最高の場所であり、国であり、星なのだということを心に刻んで、自分の中にある利己的な思いや物質的な欲求を取り除き、一日一日を教訓を学ぶ日として迎えていきたいと思います。
地上の悲劇を少しでもなくせるように、また次の段階への資格を得られるように無限の創造活動に自分も参加しているのだ!という意識をもって努力していこうと思います。
地上に生活する誰もが次の段階への資格を得るために地上生活をしていることを忘れずに、どの人にも進化向上の道を歩めるように陰ながらエールを送りたいと思います。
お母さんナッツの姿は、地上誕生の意義や価値について考え学ばせてくれる有難い出来事となりました。ナッツ、ありがとう!!
その中の 「コトとシンの10のどうして?」には「なぜここに生まれたのか?理不尽に思えることはなぜ起きるのか?」が描かれています。
(*2)「シルバーバーチの霊訓」シリーズは、現在スピリチュアリズム普及会で復刻・出版されています。
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