ブログを作る時、できるだけ明るい色の写真を使うようにしていますが、今日のブログははっきり言って、地味です(笑)
残念ながら、明るい色の写真が1枚もありませんでした(^^;
しかも曇り空だったので、写真も暗めで・・。
それはさておき、今日は中浜万次郎(ジョン万次郎)の生家をご紹介したいと思います。
龍屋で美味しい油そばを食べた後、足摺岬へ直行する予定でしたが、途中、「ジョン万次郎の生家」という看板が目に入ってきました。
そう言えば、ジョン万次郎の生家って行ったことないな~。
この機会に行かなかったら、次はいつになるか分からないので、寄ってみることにしました。
中浜万次郎(ジョン万次郎)の生家(復元)
●中浜万次郎(ジョン万次郎)の生家(復元)
高知県土佐清水市中浜
Open 8:00~17:00(無休)
ジョン万次郎は、私が尊敬する好きな偉人の一人です。
9歳で父を亡くし、貧しい家計を助けるため、漁に出た時、嵐に遭い、数日間漂流した後、無人島「鳥島」に漂着します。
そこで、仲間と143日間も生き抜き、アメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイで降ろされますが、万次郎を気に入っていた船長が彼をアメリカの家に連れていきます。
もちろん万次郎も希望したからです。
漂流から約10年、日本に帰国した万次郎は、国のために働き、坂本龍馬や岩崎弥太郎、福沢諭吉など歴史的人物に影響を与えることになります。
漂流から11年後、25歳の時、お母さんと感動の再会を果たしました。
生きて再会できて本当の良かったですね。
43歳の時には、約20年ぶりに恩人である船長とアメリカで再会できたそうです。
詳しくは、ジョン万次郎資料館のホームページの年表など、ご参照下さい。
土佐清水市中浜の堤防には大きな看板が。
中浜自慢の偉人ですよね(^^)
高台に万次郎の記念碑がありました。
記念碑から見える中浜の様子。
生家は、ピンクの矢印から入ります。
手前の青い屋根が集会所で、車はその辺りに停めさせてもらいました。
ここから歩いてすぐです。
看板があるので分かりやすかったです。
普通に民家が建ち並ぶ通りに・・・
ジョン万次郎の生家はありました。
想像通り、小さくて質素な家です。
玄関に向かって左側にトイレがあります。
もちろん汲み取り式です。
冬は寒かったでしょうね(> <)
玄関の戸が開いていたので、中に入ってみました。
ジョン万Tシャツやマスクやバッグなど、いろいろ置いてあって、購入したい人は箱にお金を入れるみたいです。
いつも無人なのか、たまたまなのか分かりませんが、誰もいませんでした。
ここで、お母さんとお兄さんと3人で暮らしていたんですね。
お兄さんは病弱だったので、お父さんを亡くした後は、10歳の万次郎が働きに出ていたそうです。
万次郎の生家へ行く途中、万次郎のお母さんの実家がありました。
ここは今、普通に人が住んでいるので、家の写真は遠慮しました。
最後に、海の方へ行ってみました。
ここは、万次郎が小さい頃、よく遊んでいた浜だそうです。
万次郎はこの港を出て、嵐に遭い、人生が大きく変わっていったんですね~。
帰ってこない息子を待つお母さん、つらかっただろうな。
昔読んだ、山本一力著の「ジョンマン」がまた読みたくなって、ひっぱり出してきました。
ジョン万次郎の生家を実際見てから再読すると、より深く理解できそうです。
ジョン万次郎を大河ドラマに!という署名運動が続けられていますが、実現されたら嬉しいですね(^^)