にざかな酒店

みゃんおー語辞典た行その3

みゃんおー語辞典た行その3
た行も何気に結構あるー。うう。ってことで、た行その3。なんか書いてるうちにちょこちょこ仕様が変わってるようなのですが、行き当たりばったりなのでしょーがないなーと思ってやってください…。追記でちょこちょこと語句追加。

みゃんおー語辞典た行その3

「対等」何と無くこの頃の対等というのは、自分の方がちょっと上、くらいのを対等、という言葉にしてるように思うのであって、対等対等っていうなら「文句を言うクレーマーに対等に接する店員」(つまりクレーマーと同じ勢いで切れる)とか言うのが認められないのはどうしてなの?、的な感じもします。いやいや、クレーマーと同じ勢いで切れるのは不可能ですが、自分。本当の対等って言っちゃうとつまりそう言うことではないの?人同士に差を作らないってことだから鏡のように同じ対応されてもおかしくはないわけで。男性と女性の対等も、色々と無理があると思うのです。何せ体の作りも脳の作りも違うものを「対等」に押し込めると無理がいっぱい出てきちゃうのはしょうがないことでしょう。子供とかも脳のでき方が大人と違うので対等は無理があったり、それは老人になることにも言えたり、生まれつき障害を持っているような人やものすごくできがいい人も違うものは違うと言うことで、そう言うと対等って本当にないんじゃないかなー。と思うわけです。だって人とは同じ体じゃないんだから、みんなが同じ体で同じ気分を味わってない限り「真の対等」はないと思いますよー?対等と言う言葉を持ち出すとさらに対等っぽさがなくなるのよね。何と無く。
「タイムトラベル」はいはいはい、この用語、大事ね。SF好きには。大体のキャラはやり直すため、にタイムトラベルを行ったりするようですが、最近には「知ってるとおかしいことを知っているためにだんだん孤独になっていくタイムトラベル」なるものもあるらしい。当然だと思います。
実際やり直すため、とは言っても人生ってどこからやり直せばいいのか、あれをそうしたらこれはどうなるのか、あれやり直したら自分の性格も変わってしまったりとかあーとかこうとかいろんなパラドックスに満ちたものであるがゆえにタイムトラベルは魅力的だ。
でもどっちかというとタイムトラベル自体が話に組み込まれ、安易にやり直せてしまう世界には魅力を感じませんけどね。タイムトラベル自体が難であってほしいものです。
ところで、過去に向かって行って自分を生む、までの話は見たこともあるが、自分を産んだ後なんか男に性別転換されてしまってタイムトラベルして過去の自分(女性)と子供を作る、とかいう超展開のものもあるらしい。それってつまり、じ、「自分しかいない世界…!!」考えただけで怖いわ…。ちなみにこの話のあらすじは「時間旅行者のための基礎知識」という本に載っていました。難しい論理ばっかりで全然読むのが進みません…。ああ。面白いのは面白いんだけど、理科数学苦手すぎな人間にはこういうのは本当に向かないのである。理屈は好きだけど「論理」は苦手…。
ところで、「ドラえもんとか本当にただ結婚相手を変えるために送り込まれたのー?」な感じでうーんそれはなー、と思うのでした。自分の運命は結局何があったって自分の運命でしかない、と思うのですがねー。なかなか物語の主人公はそうは思わないのであった。だから主人公なんだけどね、多分。
「体罰問題」これはテレビとかでやると場がオッケー派と絶対行かん派で真っ二つになるような問題で、その人の世代にもよるものも大きいようです。なんか昔小学校の女の先生が「あんたらはサーカスの動物じゃないんだから叩く前にわかりなさい!!」みたいなこと言ってて、それも一理あるような、と思ったのですが。わからないものは叩いてもわからないし、叩かれないと痛みもわからないというのも一理ある、などいろいろ根深い話であります。昔は教師に叩かれるとお前が悪いのだ、と逆に説教くらってたという話もあります。いいとか悪いとかじゃなくてね、うーん。これも一つの必要悪ではあるのだろうな。という。だからアムロさんの「父親にも叩かれたことないのに」というセリフはだいぶおかしいんだってば。
「立ち呑み」ぶらっとね。お酒飲むところ。「タッチ・ノウ・ミー」で「立ち呑み」って言ったのは田中啓文さんの大阪人のエッセイである。これはなかなか言い得て妙で、本当に狭い店内で触れるほどの距離にお客さん同士がいるのである。なかなかない文化だと思う。人間同士が知り合い、話をするのにいい距離だ。物質的に距離が縮まると人間同士の距離も縮まる。人間関係の縮図らしきものが垣間見える場所である。立ち呑みは居酒屋よりも世間が見える。みんな結構言いたいこと言って楽しそうだ。たまにもめるけど。…ブツブツ。
「単純な悪意」いじめっ子をやり込めるような話を持ち出されただけで「個人的な悪意を小説に持ち込むのはよろしくない」とか言われた場合、「んー?やられたらやり返す的なものは悪意とはまた別だぞー?」と単純に思うのでした。「自分に都合の悪いことはみんな人の悪意」タイプの人だったんですね、多分。そんなに人の悪意を単純だと思うのは多分その人の悪意自体がものすごく単純だと言うことで、そう言う人はその人並みの単純な悪意を色々買ってると言うことになるのでは、とか思ってしまうので、やっぱり人間関係は鏡だというのが私的な見解なのでした。
まあ、ネットの悪意とか小説などに持ち出されると非常に「いやいや、そんなペラい悪意あるかー?」とかいう感じのものになるので、やっぱりそれは書く側が「ネットの悪意なんてペラッペラよー」とか思って書いてるように感じるようなものかもしれません。あ、ちなみに本物のネットの悪意が本当に全部ペラいのかまではさっぱりわかりませんので。念のため。悪意がペラいのってやーね、厚みがないわ。っていうのはまたちょっと違うのか、どうなのか。
ただ、小説とか書く人ってのは基本的に根底に悪意と言わないまでも「なんか納得できない感情があるから」色々自分のトラウマとかも引っ張り出して書くものだと思いますが。悪人をやっつける系の話とか大体の人に受ける話じゃないか。ってことは悪意に対してはやりかえすのは社会的にルールの一つとして組み込まれてるものなのよ。そうなのよ。目には目を、歯には歯を、はある意味正しい。
「建前」本音さんは正直おじいさん、建前さんはよくぶかおじいさん、みたいに扱われている、みたいな山本ふみこさんのエッセイをみてほんとそうだなー、と思った私。
わざわざ傷つくような本音を探り当ててオロオロ言わなくても建前さんのおっとりする言葉でそういえばそうだねー、みたいに言ってる方がダメージ少ないのでは?的な感じでしょうか。「こう言ってくれてるんだから言葉の意味はそのままでいいのでは」な。あれは優しいエッセイだと思います。
本音を探るばかりではみんな疲れてしまう。建前さんの優しさも世間に必要だからあるものだと思います。はい。建前さん、実は優しい子、みたいな。セクハラとかなんとかも「いう前からあれはこれとか言われてたら本音で会話できない」とかいう話もありますね。そういえば。セクハラもパワハラも本人同士の間柄の事情みたいなものも多少はあると思いますが。なんでも今の人は傷つくことに予防たてすぎかもしれません。知らんけど。だったらなんでそんなに本音ばっかり探るのか、という話なのですが。
「塚田公平」疲れ探偵の本名。いやいや、あんな感じの事件だったらもっと疲れててもおかしないって。探偵と言いつつ探偵的なことはあまりしていないが、それは正しくは彼は本の探偵だから、と言うことで。正しい仕事は病人の元に読みたい本を届けたり、この作者の前の本が知りたいとか言われた時に調べることだったり、で、それも本の探偵という割には「レア物大好きさんは相手にしてませんよー」的なものである。あくまでも庶民派なのだった。大体この手の「本の話」はレアもの大好きさんの話ばっかり、もう。で、そこが不満だったのでそういう設定にしたのです。その設定ろくに出てきませんけどね。もろな巻き込まれ型探偵。某自転車屋のにいちゃんが作者のイメージ通りのこのキャラの喋り口調でびっくりしました。本当に程よい疲れ加減で素晴らしい。何と無く探偵な自分を否定してるようだが見た目的には探偵を意識したりして、ちょっとおかしな人である。この人の性格も割と考えなく作られたイメージ的な探偵の性格、である。「あー、はいはい。」個性がないようなのが個性です。
「疲れ探偵」こっちはシリーズの方の話。不条理にもほどがあるというか、ナンセンスというか、「なーんてね、ふふ…」(ペケの岡本夢路?)の世界というか…。時々はまともな話も作られるが、大体は最初の方の「は、は、は、働かない奴は死ねー!」ボッコーン、だの「閉じ込めておいて食料持ってきてないだと?だったらお前を食ってやるー!」だのいう世界の方が「正しい疲れ探偵の世界」だと作者は思っている。そのままいろんな疲れから生み出された世界だ。さらに恐ろしいことにこの話は薄めてトリックつくれば二時間ドラマ、というそういうコンセプトの元に作られているらしい。そんなオチの二時間ドラマ、いやーん。っていうか、最初の方のノリばっかりだと「全部疲れ探偵の妄想でした。世界」でもよかったのかもしれない。そんなことはやらないけど。
キラーワーズを書いた時、「この話はホラーっぽいので登場人物は全部感情移入できない人物ばっかりです」とか言っていたのだが、疲れ探偵のキャラ達に比べればまだまだキラワは感情移入できるような気がするよ、という奴なのである。なにせもう単純な「殺意のコメディ」だ。イメージ的には作者渾身の「ブラックジョーク集」みたいな感じなのである。ほんと。実際にこんな単純すぎる殺意をほこほこ抱く方がいたら恐ろしい。いじめをネタにした話でもなんとなくブラックジョークの方に持っていかれる、非常に不謹慎な話である。なのでいつも話は短め。「事件起きた、即終わりました。的」でディティールが本当にない時がある。そういうシリーズなんです、ご了承ください。
「丁寧に」いうのは簡単だけど、できないんだな。本人は丁寧なつもり。きちっと、と言われてみんなきちっとやれるようなら何も問題はないのであった。きちっとの基準はなあにー?
「適当」なんでもほどほど、適当が一番、なのだが「テキトーやなあ」と言われると反発を感じてしまう言葉。「テキトーやけど適当にやってるわ!」な。イントネーションにもよるかもしれない。
ほどほど、適量が一番である。お酒もね。いつも「いい加減」な時にやめられたら誰も問題はないんだ、これが。いい加減でやめられないからいろいろ問題がね。これが。
「とりあえず」とりあえず、立ち上がったらあれもするか、ついでにこれもするか。的な。とりあえずのついでにできることは大きい。あのー、とりあえず、猫様。退いてくれませんか。
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