にざかな酒店

みゃんおー語辞典 た行その1

というわけで、た行です。しばらく止まってましたがまた続きをば。もうあんまり終わらない作業とか気にしないで、ゆっくり行きますよ…。
みゃんおー語辞典 た行その1。
みゃんおー語辞典 た行その1。
た行はた行でなんかたくさんだなあ…。追記で敵とか時計とか色々語句追加。

「高い」フルーツでもなんでも高いものが好きな人もいる。ものによっては、「これ系のものにしては安いなあ」とちょっと高いものを買うときもある。単純に高い、安いだけの判断基準じゃないのである。ただ、この頃なんでもちょっと値段が上がってきてるでしょう?とかむにゃむにゃ言いたいお年頃。安いものに税金かけて高くして貧乏人から取るのは正直いかんと思うです。はい。
「足し算」単純な足し算でも時々「?」になる私にはそろばんの達人などの頭はわからんのである。これがナンボであれがナンボで、「ええっと、?」その割には、レジ前で割と予算オーバーしてやっぱあれいらないし、みたいなことはあんまりない不思議現象である。やっちゃったー、結構高くついちゃったー、はあるけどね…。そんなわけで、計算が楽という意味で百均は楽です(笑)単純にいくつ買った、だけで計算ができるので…。消費税とか絶対計算外だよねえ…。
「たくさんの理解できないこと」共感できないことは世の中にゴロゴロとしている。ただなんでも情をかけることがいいことだと言われるとそれも疑問を覚えてしまうのです。最近の人はなんでもわかろう、理解しよう、とする発言の人も多いけど、何でもかんでも本当にわかるのか、という話で。
理解できない分野はできない分野でそれを認めた方がいいんじゃないのかな、的な。
なんでも理解できる、という土壌で話をするから矛盾が色々と出てくるんですよねー…。
そんなわけでわからないことはわからない、とちゃんという人の方が私は好感。
「確かに」の、後には「そうだけどー」とかつきそうな言葉。言ってることはわかるんだけど、なんとなく納得できないなあ、ということも多々ある。と思えば「言えてる言えてる!」と続く場合もある。
「たたかう」とにかく戦いたい人はいるけども、明らかに「戦えない感じ」の人が戦争賛成ー、とかいうのどうなの?とか思っちゃうのはいけないのでしょうか。「戦いたい人たちだけ」で戦争できたらいいけども。絶対他の人も巻き込むからそれはやめてよね。と思うのです。
当事者同士だけの争いには絶対ならんのが戦いというやつでして…。横入りのただのりの戦いはいかんよねえ。そういうのに限って大体美味しいとこ取るんだ、これが。って考えると戦いの当事者ってだいぶ馬鹿らしいと思うんだけど。
「ただより怖いものはない」なんとなくスマホとかのサービスで「ただ飯」とかいうの、流行ってるらしいとニュースでやってましたが、それこそこれではないのか?と。
他にもポイントとかなんとかいうけどポイントで得しているように見せかけておいてポイントがつくからもう少し買おう、でだいぶ「いらん買い物」させられてる例もあるんですよねー。全く、こんなこと誰が思いついたのか、的な買い物の常識は他にもいろいろである。目先の「お得」に釣られるとたくさんの無駄をしているのだった。人のことは言えないけどね…。無駄が全部が全部悪いというのではないのですが…。ブツブツ。あんまりなサービス過剰もかなりの無駄が入っているという話もあり、である。
「タバコ」喫煙者の権利は権利としてあると思うんですけどねー。いじめられて税金取られる、とかちょっとそれはどうなの、的な。ちなみに私はすいませんけども。そのタバコ税を色々と役に立ててるのなら、タバコ吸うななんたら言っていじめなきゃいいのに、と思うのは私だけではあるまい。ところで、下手にやめると逆にストレスで体壊すこともあるらしい。割とタバコがないとちょっと一休みできない人もいる。悪いからと言ってなんでもクリーンにしたがるのもそれはそれで問題である。
「誰かなんとかしてくれる」みんな思うことはあるだろうけど、みんながみんな思ってたらなんもならんのだよ、の代名詞。ところでこれの理論として「ウルトラマンを待っている人たち」みたいな感じで大学教授が発言したら炎上したとかいう話で、まあ、まあ。なんとなく言いたいことはわからなくもないけどみんなが好きなウルトラマンを持ち出したのが悪かったわなあ、という話なのである。
みんなが好きなものは迂闊に批判すると怖い。という教訓。
「ツッコミ」「ツッコミってなあ、人が気にしてることや言われては嫌なことをボンボンいうことではないのだぞ!」と言いたくなるようなこの頃のテレビ。なんでもズバズバいうことがいいことのように言われますが、現実の大阪人のツッコミはもう少し色々と考えているものである。
言いたいこというにはそれなりにルールというものがあり、ツッコミされてる側も機嫌よく話ができるようにしないとツッコミの意味がないのであって、ツッコミ待ち、とかこう転んだら面白いな、とか色々される側もする側も計算的なものがあるのです。最近のテレビのツッコミは逆にコミュニケーションぶった切るような面白くないツッコミが多すぎると思うのですよー。あ行の「うーさん」の項でも少し触れましたが、本当のツッコミ上手は人の気にしてることは逆にそんなに突っ込まないものです。スルー技能もちゃんと備わってる人こそ、本当のツッコミ。
「敵」最近の作品の「敵も救っちゃう世界」というのは実は割と合理にかなってると思う今日この頃。そうそう、敵って不満があるから敵なのよ。敵の中には望みがあったりもするわけで。「敵を幸せにしちゃえば敵対しないですむ」っていうのはある意味頷けるものであり、ただ現実にはそれをするのはどれだけ難しいか、ということでもあり。好きだったのに理想と違う、とかでもあっさり敵対したりしますしねえ。狭い世界でもアレヤコレヤちょっとしたことで敵を作って、こんなの絶対みんな救うとか無理ー、ということはよくあることで。作品世界の理想世界というのは敵の望みも作者の中にあるからそういうことになるんであってー、というやつである。
実際に近場の人間関係見て、どうです、皆さん。ただ、なんとなく敵がいないと世界がピリッとしない、という言い分もなんとなくわかるんだなー。
見えない敵でもなんでも必要なのは必要なのよ。敵は敵で必要で、また敵を全部除外しちゃうとまた別の敵を作る。と。人間って結局何かと戦いたいようにできてるのかもしれない。
「敵に匿名性があるのは」これは魅厘ルートと李々ルートの事件が何を指してるのか、ということに対する一番のヒント。これで大体ピン、と来そうなものである。
魅厘ルートと李々ルートだけでなく、大体のみゃんおー作品の敵には匿名性があることは前に何度か触れましたが、敵、というか人が悪いことするときには匿名性を出すのは心の底にある何かの良心なのか、それとももしかしてあなたの敵も名前がないのか?的な感じなのである。
まあでも大体悪さするときは名乗らんわなあ…。名というものがそもそもはそれを知るだけで正体がわかった、的なものだったのは今の社会にも生き残ってる考え方なのだね。
まあ名乗って悪さができないっていうのは大体悪さに自覚症状があるから名乗らないのだよ。ということで。
「時として」作品世界というのはよくわからないもので、全部「そうそう、そうなのよ」と頷けるものでなくてもなんとなく見てるものというのはあり、極端な例でいうと某漫画などは「九割は言ってることゴミですよ…」とか言いたいくらいなのに、一割の真実と思えることを言っているからなんとなく見てしまう、ということがあるくらいである。なのに逆に八割はそうそう、なのに二割の「ええー」を見たからもう見ない、ということもあったりして。この比率が一体どういうことなのか、という謎は永遠に残ったままなのである…。人の好みというものはわからない、という例。
「時計」最近の時計は静かですねー。昔の時計って割と秒針の音がうるさくってあれはまるで時を切り刻む音でした。くらいの勢いだったのに。家電とか最近はなんでも静かだと思う。車の走行音とかもあんまりうるさくなくなって、あれはあれで問題が。車の音はちゃんとした方がいいと思うよー。
で、時計の秒針の音、消えてみるとあれ実は案外嫌いじゃなかったなあ、なんて。
ところで時計っていうと「大きなのっぽの古時計」とかいう曲、ありましたね。今あんな大げさな時計、あるのかな。携帯でも確認できるし、時計ってそんなに威厳なくなったなあ、という感じ。
チェコの短針と長針が一緒にできる技術がなかったから時計が二つある時計、ってなんとなくロマンティック。先進ってロマンティックとはなんとなく逆なんだな、な。
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