作文って色々考えてると書けなくなるよね、みたいなお話。サクッとな。
作文嫌い、死にたいに対しての考察
まあ死にたい理由は世の中色々あるだろうけども、ここは心の理由だけに限定して話そう。
これは、一つはそう言う気持ちの共有のなさにあろうと思う。
だいたい人は苦労した顔をしてたり不幸の話をすると不幸が寄ってくると言うようにそう言うものを忌避することが多いと言うこと。自分の中だけで解決しまうこと。
これが、自分の中だけで問題がたまり、自分だけが自分だけが、と思うようになる原因ではなかろうか。
人生経験を他と共有する、そのことは重要な課題だろうと思う。
自分以外に不幸を見ると誰だって自分だけではない、と安心するはずだ。
死にたいのは自分だけでは決してない、その事実をもっとみんなで共有するといいと思う。
「臭いものにふた」的な不幸の忌避だけでなく、みんなで考えること。
不幸なんてそこら中にある、不慮の事故だってそこらにいっぱいあるのだ。
だけど、幸せなことや小さなラッキーだって探せばいっぱいある。
死にたい人は不幸だけでいっぱいになってるからいけないのだ。
オフで百円の本にだって、学ぶものはたくさんある。それこそ暮らし本でも読めば知らないことだらけだ。オチが本を読もうになってしまうのはあまりにも自分らしさが出てしまってアレだけど、そう言う周りに目を向けることが一番、死にたくならない理由だと思う。
………うーん、と小学三年生の私は作文用紙を持って思い悩んだ。
これ、格好つけすぎかなあ。あんまり格好つけすぎたもの書くとまたいじめられるかなあ。
前かいた作文だって、なんとなーく、偽善的、とか言ってからかわれたし。
だいたい作文とか格好つけずにどうやって書けと言うのだ。立派なこと書けってそんな感じの雰囲気が原稿用紙の形から出まくってるっつーの。
だいたい思ったことを素直に、って言うけど、フォーマットから入るとどうしても格好つけてしまう。
その前に書いたやつは生活苦しかったらイッキするか?みたいな話で、橋渡しならやりますけど、みたいに書いて先生に無駄に感心されてみんなの視線が痛かった。
あー、もう、みんなの視線が気にならない作文とかないものか!!
だいたい死にたいとか無駄に言う人いるから私たちがこう言うもの書かされたりするのだよ。いじめとかに対してもそう、迷惑!
無駄ないじめすんな、アホが!ってなんで誰も言わないんだろ。
妬んだりしてる間に自分の魅力磨けよって話やねん。
うーん、本当に。まあ、これボツにして、また次かこ…なんて描こっかな。
死にたいのはいけません、くらいしか言うことないんだよね。かっこつけないで書くとさ。
死に損なったらどうなるか考えたら死ねなくなりそうなもんだけど。
ああ、その辺書くかー。
結果、ちょっと言うことがグロくなってやっぱりちょっとみんなに引かれたのだった。作文キラーイ。
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