南英世の 「くろねこ日記」

校内マラソン大会は人権問題

 大阪の高校ではほとんどの学校で校内マラソン大会が実施されている。しかし、私は以下の理由から校内マラソン大会の廃止を提言したい。

 最大の理由は、マラソン大会は人権問題だと考えるからである。今日、英・国・数などの教科の成績についてはプライバシーに関わるとしてマル秘事項扱いされる。ところが、マラソン大会は、その成績が完全にオープンになる。たしかに上位に入賞する生徒は誇らしい気持ちでいっぱいになるかもしれない。しかし、ビリに近い生徒は、恥ずかしさでいっぱいの気持ちでゴールにたどり着く。1位を選出するということは、ビリをも選出することになるのだ。


 先日、1年生の女子生徒3名と中庭で雑談をしていた。その時の生徒の言葉が忘れられない。「私マラソン大会は嫌いです。いつもビリになります。しかも男子生徒も見ています」。ハッとした。そうか、あの年頃の生徒は異性の眼も気にするのか。そうだよなあ。考えてみれば当然だよなあ。

 長距離走では、体重の重い生徒は圧倒的なハンディを抱えてレースに臨む。昔は、遅い生徒は長居公園の茂みに隠れて1周ごまかしていたという笑い話も聞いたことがある。おおらかな時代だった。しかし、それでは不公平だとして、ある時から1週ごとに印をつけてチェックするようになった。


 競争は条件を同じにしてこそ意味がある。柔道など多くの種目では体重別で試合がなされる。しかし、マラソン大会ではそうしたことは一切配慮されない。ハンディを抱えている生徒をなぜ「さらし者にする必要があるのか。そろそろ、全員参加型のマラソン大会が人権問題であるという認識があってもいいのではないかという気がする。


 50年以上も前、私が高校生の時、ある太った女子がマラソン大会の日に欠席した。マラソン大会がよほど苦痛だったのだろう。すごくまじめで成績もよかった生徒である。翌日担任からこっぴどく叱られていた。当時は何も思わなかったが、いまから思えばそうした担任の指導が正しかったかどうかすごく疑問である。

 今年の音楽祭で職員チームがSMAPの「世界で一つだけの花」を歌った。とってもいい歌詞である。「みんな特別のOnly one」。教育というものが一人一人を大切にし、その個性を尊重して行われなければならないものとすれば、衆目の前で恥をかかせるような学校行事をなぜ行うのか。全員参加型のマラソン大会は、そろそろ廃止すべきなのではないか。

 マラソン大会廃止の提案をする第2の理由は、命にかかわる問題だからである。私が勤務していた18年前の校医さんは、マラソン大会に強く反対であった。「命の保障ができない」というのがその理由であった。マラソン大会当日は必ず長居競技場に足を運んでくださっていた。多分、ドキドキしながら進行を見守っていたことと思う。

 しかし、伝統校の伝統的な行事を変更するというのは、校医さん一人の力では難しかったようだ。校内マラソン大会は今年の行事予定にも組み込まれている。伝統校はそろそろその伝統の在り方を見直す時期に来ているのではないかと思う。

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