1年ほど前に倉吉市で二つの小学校を統合した際、新小学校の校名をどうするかでもめた問題があった。公募したところ一番多かったのは地元のシンボルである打吹(うつぶき)山にちなんで「打吹小学校」とする案であった。150件の応募があったという。しかし、結果は1件しか応募がなかった「至誠小学校」に決まった。これを不服とする市民が反対の声を上げ問題になった。このことについては以前にもブログで書いた。
https://blog.goo.ne.jp/minami-h_1951/e/80d5754b2dc9f81db99981448848a1ee
この問題が1年越しでようやく決着し、結局一番多かった「打吹」が採用されたと昨日の新聞で報道があった。記事によると、至誠というのは「東条英機内閣などで文部大臣を務めた橋田邦彦氏の座右の銘だった」という。
やっぱり。
「至誠」から「打吹」に変更された背景には、安倍元首相がいなくなったことと関係しているのかも知れない。大川原化工機事件の冤罪も、安倍政権が「日本の技術を守れ」「中国に盗まれるのを防げ」と盛んに言っていた時期と重なる。行政はとかく上を見て仕事をする。そうではない。行政は市民のために仕事をするのが本来の姿である。