玄関に絵を飾るようになって20年近くになる。小さい時貧乏だったせいか、生活にゆとりができたらせめて玄関くらいは絵で飾りたいと思うようになった。
最初に飾ったのはギリシャで買った絵である。エーゲ海クルーズでたまたま立ち寄った島で衝動買いをしてしまった。50号という大作の1点ものである。
(「イドラ島の風景」)
その次に平山郁夫の「パルミラ遺跡を行く」(朝・夜セット)の複製を飾った。家の格式が上がった気がしてすごくうれしかった。
(「パルミラ遺跡を行く」)
その後、藤井智美先生の「笹部桜」(10号肉筆)と東山魁夷の「晴れゆく嶺」(15号のリトグラフ)を購入した。藤井先生は私の日本画の先生で、号5万円が相場とされる。
(「笹部桜」と「晴れゆく嶺」)
さらに最近、中島千波先生の「臥龍櫻」と「黄輝明星櫻」のリトグラフを購入した。花びらの1枚1枚をていねいに描きこむ画風に引き付けられた。「臥龍桜」は廊下に、「黄輝明星櫻」は玄関に飾った。
ところが「笹部桜」と「黄輝明星櫻」を二つ並べて飾ってみると、どうも合わない。買ったばかりの「黄輝明星櫻」をすぐ売却した。
その後、黒沢信男が白馬山麓を描いた「雪晴れの朝」を購入した。30号の大作で油彩で描かれた一点ものである。この絵には八方尾根スキー場や岩岳スキー場などが描かれており、私の青春時代の思い出がいっぱい詰まっている。
(「笹部桜」と「雪晴れの朝」)
ところがしばらくするとこれにも違和感を感じるようになった。白馬山麓を描いた絵そのものはいいのだが、額がどうも金ピカすぎる。
そう思っていたところ、ヤフーオークションで素晴らしい絵を見つけた。岡崎忠雄(1943-2002)の「牡丹」という絵である。20号の大作で肉筆の一点ものである。
この絵を初めて手にしたときは心の底から感動してしまった。いくら眺めていても飽きない。どうしたらこんな絵が描けるのだろう。私の絵の先生である藤井智美先生は、かつて朝日カルチャーセンターで岡崎先生の助手を務めたこともあるという。牡丹を描くのが得意で人気があり、個展を開くと藤井先生を上回る価格がついていたらしい。残念ながら59歳で亡くなられた。
(「笹部桜」と「牡丹」)
一点ものの気に入った絵を見ているとこの上ない幸せを感じる。最近、絵にいっぱいお金を使ったが、こういう使い方が生きたお金の使い方というのかもしれない。だんだん目が肥えてきて、リトグラフなどでは満足できなくなってきた。
それまで玄関に飾っていた「雪晴れの朝」は書斎に飾ることにした。書斎にはギリシャで買った絵と二つの肉筆画が並ぶ。