南英世の 「くろねこ日記」

好奇心教育

 

71歳にもなって恥をさらすこともないのだが、あえて書く。高校のとき化学がからっきしダメだった。モルが出てきて完全に落ちこぼれた(笑)。職員室で同僚の化学の先生にこの話をしたら、「モルで落ちこぼれる人は珍しいですね」と笑われてしまった。
 
いやいやそんなことはない。「さようなら、モルアレルギー」などという漫画本も出ているぞ。71歳にして奮起、早速買って読み始めた。しかし悲しいかな、返り討ち?にあってよけいに自信喪失した(笑)。
 
たまたま帰省していた長女が見かねて1時間ほど丁寧にレクチャーしてくれた。おかげでようやく原子核、陽子、中性子、電子といった一番基本的なことや、原子番号、質量、モル、アボガドロ数などが理解できた。なーんだ、そういうことだったのか。酢酸やショ糖の1モルの重さ(グラム)も計算できるようになった。感謝、感謝。化学ってわかり始めるとおもしろいじゃん。
 
 
今回の勉強を通して大きな発見をした。それは勉強で一番大切なことは「好奇心」を植え付けることだということである。「化学ってそもそも何だろう?」ということがわかっていなかったから、全然興味がわかなかった。しかし、化学とは「物質とその変化を扱う」という次の説明を見て「へー、そうだったんか」「面白そう」と思えてきた。
 

例えば「水」。

「水は何でできてるのか」、「水を冷やすとどうして氷に変わるのか」、「水を沸騰させると何で泡が出てくるのか」。ちなみに最後の問題は宮城教育大学入試問題である。

学校ではこれを「知識」として教えてきた。中学校のとき、水素の燃焼実験というのを理科の時間に習った。水素と酸素を2対1の割合で混ぜ、これに火をつけると「ボン」という大きな音がして水ができるというあれである。大きな音だけが印象に残っている。

この実験を通して、水は水素と酸素からできていることを教えられたわけだが、物質が元素の集まりによってできているという「不思議さ」に「感動」した覚えは全くない。2H2+O2→2H2O という化学式を知識として暗記しておしまいだった。よく分からなくても、これを覚えていればテストで満点が取れた。

しかし、本当に大切なことは「物質は何によってできているのか」と考える好奇心のはずである。好奇心があれば、知りたいという欲求が自然にわいてくる。木は何でできているのか。なんで燃えるのか。燃えるとなんで黒炭ができるのか。ダイヤモンドはなぜ硬いのか。ダイヤモンドも燃えるのか。

これまでの日本の教育は「知りたい」という心のエンジンに火をつけるのではなく、結論を覚えさせてテストでいい点数を取らせることを優先してきた。だからどうでもいい細かなことをいっぱい教えてきた。とくに力量のない先生ほど、細かな知識に逃げる傾向があった。

最近になってようやくこのことの反省が始まっている。ただし、「好奇心教育」をやろうと思ったら、教員のほうによほどの力量がないとできない。知識を教えるほうがはるかに楽である。また、行政のトップや校長も点数を取らせることに執着している。日本の教育はやっぱり変わらないのかもしれない。

 
 
 
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