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南英世の 「くろねこ日記」

スキーの思い出

フランスナショナルチームの指導を受ける筆者(右端) 志賀高原スキー場にて(1982年)



「私のスキー人生」で検索すると、オリンピック選手を差し抑えて私のブログがトップでヒットするから恐れ多い。でも、若いころ狂うように滑った3年間のスキーの思い出は、何にも代えがたい私の財産となっている。

自己流で滑ってへたくそだった頃のこと。金沢アルペンスキークラブに入って、妻と二人で滑りまくった日々。地元金沢のスキー場で、富山県で、赤倉で、志賀高原で、蔵王で、北海道で・・・。フランスのナショナルチームの指導を受けたこともある。

中でも忘れられないのは、立山の春スキーである。バスで頂上付近まで行き、一気に滑り降り、またバスで頂上まで登る。また、乗鞍のヘリコプタースキーも忘れることができない。頂上までヘリコプターで行き、そこからガイドさんと競うように駆けおりたのが印象に残る。

バッジテストを受けるために苦しんだ日々のことも思い出深い。なかなかうまく滑ることができないとき、たまたま金沢アルペンクラブのМ先生に見てもらったすべりが、なぜか非常にうまくできた。そのとき、M先生から「南さんうまくなったね」とほめられた。うれしかった。それが30年以上たった今も忘れられない。

1級バッジを取った後、金沢アルペンクラブの人々と、志賀高原に出かけたことがある。ほとんどが1級またはスキースクールの先生の資格を持っているメンバーである。たまたまゲレンデでバッジテストをやっていたので、リーダーの人が冗談めかして『では、見せつけるように滑りましょうか』といって、20人余りのメンバーがそれはみごとなトレーンをやったのけたのだから楽しかった。でこぼこの急斜面を、ほとんど1メートルほどの間隔で、パラレルで疾走したのだから愉快だった。


八方尾根スキー場(撮影 平井良司デモンストレーター)



スキー技術もどんどん進歩する。カ―ビングスキーが出始めたころ、赤倉ヨーデルスキースクールで、平井良司先生にプライベートレッスンを受けたことがある。教え方が上手だったので、何とか要領を覚えることができた。先生がいいと、生徒の理解も早い。平井先生はその後、全日本スキー連盟のデモンストレーターになり活躍している。今にして思えば、偉い先生に習ったものだと感謝している。

真剣にスキーをやったのは、人生の中のたったの3年間である。でも、その3年間のおかげで人生がいかに光り輝いたことか。そのときの真剣な遊びがあるから、今は365日24時間仕事をしていても持つのだと思う。


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