第1次世界大戦で敗れたドイツは1320億金マルクという国家予算の20年分の損害賠償を突き付けられ、パン1個が1兆マルクというハイパーインフレに襲われていた。1929年に世界恐慌が起きた時、ヒトラーは絶好のチャンスととらえた。クーデター未遂事件の首謀者として投獄されていたヒトラーは、刑期を終えて出獄すると直ちに選挙運動を展開し勢力を伸ばしていった。
当時の世界情勢は民主主義国家(米英)と共産主義国家(ソ連)がしのぎを削っていた。そこへファシズムを掲げたヒトラーが割り込んできた。議論ばかりで何も決められない民主主義ではなく、ファシズムこそがドイツを救う。ヒトラーはドイツ国民にこう呼びかけた。ドイツ財界も、共産主義勢力が拡大しロシア革命のようになっては困るという思いがあった。ナチスは共産主義に対抗できる政党とみなされていたのである。
1933年、ヒトラー政権が誕生した。その後、国会放火事件の犯人を共産主義者だと決めつけ共産党をつぶすなど政敵を次々に倒した。そして同年全権委任法が可決された。ナチス以外の政党は禁止され、独裁体制が築かれた。哲学者のハイデガーもこれを支持した。
ヒトラーの国民掌握術は見事である。第一に全長7000㎞にも及ぶ世界最初の本格的な高速道路であるアウトバーンを人海戦術で作り上げ、当時600万人いた失業者をほとんどゼロにした。
第二に、お金持ちの象徴であった自動車を国民に普及させるために、世界最大の自動車会社フォルクス・ワーゲンを作り、国民に夢を抱かせた。第三に、週休2日制、週労働時間を40時間にするなど労働者の待遇を改善した。政権発足後、5年でドイツの鉱工業生産指数は倍になり、税収は3倍になった。こうした圧倒的な経済回復の下で、国民は熱狂的にヒトラーを支持した。
1935年、ヒトラーはユダヤ人の公民権をはく奪し、ドイツ人との結婚を禁止した。ドイツの堕落の原因がユダヤ人によるものだという理由からであった。さらに同年、ヒトラーは再軍備宣言を行い、軍事費を一気に2倍に拡大した。ドイツの再軍備を許した背景には、ドイツを共産主義ソ連の防波堤にしようというイギリスの思惑があった。一方、アメリカにとってもドイツの再軍備は金もうけのビッグチャンスであった。GM、フォード、デュポン、スタンダード石油などがドイツの兵器生産に協力した。米英にとっての「敵」はナチスではなく共産主義国家ソ連だったのである。
1938年、ヒトラーはオーストリアを併合した。オーストリア人はこれを歓迎した。さらに同年には、多民族国家チェコスロバキアの領土のうちドイツ系住民が多いズデーテン地方を併合した。ヒトラーは領土拡大はこれを最後にすると約束し、英仏もこれを了承した(ミュンヘン会談)。
ところがこの後ヒトラーは牙をむく。1939年8月、ヒトラーは独ソ不可侵条約を結ぶと、9月にはポーランドに侵攻した。そこで英仏はドイツに宣戦布告をし、ここに第二次世界大戦がはじまった。ドイツはパリを陥落させ、ヒトラーは自らパリに乗り込みフランスの降伏を見届けた。多くのドイツ人は「戦争はもう終わった」と思った。ドイツ人とフランス人女性の間に生まれた子どもは10万人に及んだ。
一方、アメリカはこのとき中立を保っていた。反ユダヤ主義者のフォードや、次期大統領候補ともいわれたリンドバーグなどナチスの支持者が多くいた。ウォール街にとってもドイツは有力な投資先であり、アメリカとドイツが戦争になれば投資資金を回収できなくなる。そのため米独の対立を望まなかった。
1941年、独ソ戦が開始され、事態は新しい局面を迎える。ヒトラーは独ソ不可侵条約を破り本来の敵である共産主義に牙をむいたのである。戦争準備をしていなかったソ連は総崩れとなる。とりわけレニングラードは900日間にわたって封鎖され100万人が死亡した。8割は餓死だったといわれる。1941年12月には真珠湾攻撃が行われ、ドイツもアメリカに宣戦布告した。それまでナチスを支持していたムードは吹き飛んでしまった。
1943年、イタリアが降伏。ついで1944年6月ノルマンディー上陸作戦が行われ15万人がフランスに上陸。ドイツはフランス側とソ連側の挟み撃ちにあい、ついにヒトラーは1945年にピストル自殺をする。ドイツ降伏後、強制収容所が解放された。そこにはユダヤ人の多くの遺体が転がっていた。連合国はドイツ人に強制収容所で何があったかを自分の眼で確かめることを指示した。のちにユダヤ人虐殺が「捏造だ」と言わせないためであった。