無職婆

この度仕事を辞めて無職になりました
色々と投稿していきたいです

光る君へを見なくなった

2024-07-22 05:31:58 | 日記

始まってしばらくは、「光る君へ」見ていました

でもあまりにもばかばかしくなってみるのを止めました

録画だけはしていますが

 

そもそも紫式部と藤原道長の恋なんてありえない

紫式部はそもそも男嫌いで、同性愛者の傾向すらある

勿論やっていたとは思っていない

でも歌や漢文が分かる年上の女性と文のやり取りくらいはしてた

そういうところを全く書かない

世間的にはそういうのを押しているんじゃないの

少数派だけど、異様に押すよね、今は

なのに一番やりやすい大河ではしない

 

紫式部(まひろ)がまるで朝ドラの主人公のように、明るくいい子なのは何なの

そもそも紫式部は陰キャで、今でいればオタク

だからこそ、光源氏はあり得ないくらいの美男子に書かれていて、つまり紫式部の妄想の中で存在するキャラなのですよ

もし道長と恋仲なり何かがあったなら、その証拠が文書に残っているはずですが、何もないじゃん

いくら身分が低いとはいえ、貴族の娘がほぼふみのやり取りをしたことがない、男性に身を任せないよ

しかもアオカン

昔のアオカンと今のアオカンは違う

その辺の公園と平安時代の森は違う

青大将が出てくるかもしれないし、キツネとかタヌキとかさらに熊だって出てくる可能性があるのに、少なくとも屋根のあるところでするよ

 

細菌とか虫とか着物についてしまえば、どう言い訳するんだ

 

庶民は確かに汚かったかもしれないけどさ

 

それと他にも言えることだが、そもそも資本主義が発達しすぎ

庶民が貴族とほぼ変わらないほどキレイは服を着ている

 

ちょっと江戸時代までさかのぼると、服もまともに来ていない子供が多くいたし、庶民は無視や細菌が潜んでいるかもしれないし、貴族と庶民の違いなんて見た目ですぐにわかるのに、光る君の世界では単に身分というものがあるだけで、見た目とかがほぼ変わらない

其れってよくある王国漫画でも同じで、資本主義発達しすぎなんですよ


今回の地震について

2024-01-09 04:19:18 | 日記
私は思うんですが、石川県知事はどうして豪華客船でも借りて、能登の近くに停泊させないんでしょうか それをすれば避難民はそこに入ることができるはずです そうすれば大抵のものが手に入ります 例えば船なのでどこかの港へ行くことができれば買い物等色んなこともできるはずなので日用品他ほとんどの物が手に入るはずです そうすればすべての避難民を入れることはできないまでも、入れた分だけ避難所は空きます そもそも避難民が多く避難所が足りないという事も聞きました だから避難所でもない公共施設に入っていると聞きます 避難民が多いのはまず正月の時点で実家に帰ってきている人間がいた事 災害が想定以上だったことが挙げられます
一部を表示
 
 
 

紫式部と清少納言3

2023-12-16 21:12:37 | 日記

で、いよいよ彼らの文学的な力量なんですが、はっきり言いますが、清少納言は天才です

紫式部は努力型の人間です

これは実は意外かもしれません

海外では紫式部の評判は高く、彼女を天才と言っています

でもそれでも天才のほうは清少納言なんですよ

 

ある漫画家が言っていたのですが、「私は絵がうまくないからストーリーで勝負する」と

一応大御所になった漫画家なんですが、漫画に「絵」と「ストーリー」が必要だとすれば清少納言は明らかに絵がうますぎる人です

ピカソ並みにね(ちなみにピカソのデッサンを見れば彼がどれだけ絵がうまいかわかる)

でも紫式部はそれほど絵がうまくない

つまりこの場合の「絵」とは文学そのもの

言葉の使い方、選び方、自分独自の言葉を造るという天才の作業が清少納言は優れているという事です

「春はあけぼの」なんて彼女以外作れない言葉ですよ

この言葉は今でも受け継がれていて

例えば(花は桜)な(男は~)とか

それは強いを表しているかもしれないし、綺麗かもしれないし、華やかなのかもしれない

花が椿なら(~は~)という風に椿の特性を言葉にするのではなく、感性で表す

コマーシャルでありましたよね

山は富士なら酒は白雪って

富士は一番高いと言いたいのか、一番きれいだと言いたいのか、何を表しているのかがそこに想像の域になってくる

 

紫式部が書いたのは物語、つまり小説です

そこには色んな恋愛ドラマも親子のドラマも仏教の教えも様々に書かれていて、その含蓄の深さや哲学、思想などに、その才がみられるわけです

明治になって日本の政府は「源氏物語」を翻訳し、その素晴らしさを海外に広めました

(余談ですが、そうは見えないかもしれないけど、海外で源氏物語に触発された小説家はたくさんいます)

 

これは当たり前の事で、もし枕草子を翻訳しても海外から馬鹿にされていたでしょう

何故なら内容がバカバカしいからです

大したことを書いていないし、ろくでもない

ただの女の愚痴だったりします

じゃあいったいどこに価値があるのかというと、その日本語の使い方に天才的な才があるわけで、それを英語とかフランス語にしてしまったら、その文章の良さみたいなものは壊滅してしまうんです

例えれば、一日経った大福みたいなもので、出来立て食べたらおいしいけど、日が経つと食べれたものではない

つまり彼女の才というものは日本語を知っている人間にしかその凄さは分からないのですよ


紫式部と清少納言2

2023-12-08 18:32:02 | 日記

以前、平安時代の和泉式部を書いた漫画があって、かなりよく調べられていたんですが、その中に藤原の道長が紫式部に手を出そうとして、嫌がる紫式部を自室へ連れて行こうとしたのですが、その時に色恋に長けていた和泉式部が救ったという話があります

もちろんこれは創作ですが、そういう事があってもおかしくありませんね

 

紫式部は実は同性愛者なんじゃないかという声もあります

これはまあむしろ納得するというか、そうなんだという感じです

日本でも西洋でも作家が同性愛者というのは結構あるし、むしろそういう人のほうが恋愛小説が得意だったりします

おそらく、男女の恋愛を客観的に見れるからでしょう

紫式部は宮仕えをしていましたが、彼女は宮仕えしている間、誰とも恋愛をしていません

これは非常に珍しい事で宮仕えというのは男性と顔を合わせる機会が多い職業ですから(この時代女性は基本的に顔を男性とは合わせない)そういった男性からの秋波というか、そういった欲望を何とかかわしたり、あるいは受け止めたりしなければいけない職業で、そういった中で泳いでいかなければならない

その中で誰とも恋仲にならないというのはかなり強固な意志がないとできない

ある青年貴族が「こちらに若紫はいらっしゃるか」と言って紫式部のいる部屋に入ってきたらしい

その時紫式部は「光源氏でもないのにそんなこと言わないでください」と突っぱねている

これは当時非常に珍しい事でそもそも断るにしてもこんなにはっきりと拒絶するのは風情がないし、反発の的になる(男女ともに)

彼女はなぜここまで男性を拒否したのだろうか?

 

もちろん彼女が男嫌いで実は同性愛者の毛があるのも一因だが、それだけではない気がする

つまり彼女は男性と恋愛することによって、他の女房達の嫉妬やうわさ話の的になることを恐れていたのではないだろうか

つまりその辺が歌人として有名だった父を持った清少納言と違い、後ろ盾がない彼女がねたまれずにやっていく処世術だったと思う

つまり宮中における力のなさ加減が清少納言と紫式部の性格の違いとして現れた気がする


紫式部と清少納言1

2023-12-08 18:29:33 | 日記

私はYouTubeが好きでよく見るのですが、「光る君へ」という紫式部の生涯が大河ドラマになるみたいで、色々と出ています

私は自分の持論があるのですが、それをちょっと書いてみたいと思います

 

まず、よく言われるのですが、紫式部と清少納言の関係です

 

まず紫式部の事ですが、最初は「紫式部」では無く、藤式部と言われていました

紫式部の苗字が藤原だったからです

藤原の家と言ってもこの時代は藤原だらけで藤原同士で争っていました

この時期一番勢力があったのは藤原道長であり、これも自分の親戚を追い落として手に入れた権力です

藤式部の家はおそらく貧しく、貴族と言っても良い地位についていないと思います

そういう貴族がこの時期にはたくさんいたのではないでしょうか

日本は一夫一婦制ではなく、天皇は多くの女御を持っていて、いくらでも子供を産めるので、貴族もたくさんいて、勢力争いに負けた貴族は落ちていくしかありませんでした

 

藤式部から紫式部替えた経緯は分かりませんが、そういう事です

 

一方清少納言は苗字が「清原」なので、清少納言になったそうです

彼女が仕えた定子がきれいな名前なので付けたそうです

 

清少納言は元々歌人の家に生まれ、お父さんも優れた歌人であったと言います

そんな彼女が中宮の定子に使えるのは当たり前だったのでしょう

清少納言の家もそれほど裕福ではなかったと考えます

 

清少納言も紫式部も大まかに言えば中流貴族だったと思います

ただこれは大まかな分類で裕福さや貧しさという点では同じであったとしても、清少納言には父親の名声もあるし、ある意味中宮に使えるのも、当たり前だったかもしれません

 

しかし紫式部は自身が聡明であったとはいえ、ほとんど自分の能力だけで召し抱えられたのですから宮中において肩身が狭かったと思います

それが二人の性格の違いを決定づけたような気がします