無職婆

この度仕事を辞めて無職になりました
色々と投稿していきたいです

紫式部と清少納言3

2023-12-16 21:12:37 | 日記

で、いよいよ彼らの文学的な力量なんですが、はっきり言いますが、清少納言は天才です

紫式部は努力型の人間です

これは実は意外かもしれません

海外では紫式部の評判は高く、彼女を天才と言っています

でもそれでも天才のほうは清少納言なんですよ

 

ある漫画家が言っていたのですが、「私は絵がうまくないからストーリーで勝負する」と

一応大御所になった漫画家なんですが、漫画に「絵」と「ストーリー」が必要だとすれば清少納言は明らかに絵がうますぎる人です

ピカソ並みにね(ちなみにピカソのデッサンを見れば彼がどれだけ絵がうまいかわかる)

でも紫式部はそれほど絵がうまくない

つまりこの場合の「絵」とは文学そのもの

言葉の使い方、選び方、自分独自の言葉を造るという天才の作業が清少納言は優れているという事です

「春はあけぼの」なんて彼女以外作れない言葉ですよ

この言葉は今でも受け継がれていて

例えば(花は桜)な(男は~)とか

それは強いを表しているかもしれないし、綺麗かもしれないし、華やかなのかもしれない

花が椿なら(~は~)という風に椿の特性を言葉にするのではなく、感性で表す

コマーシャルでありましたよね

山は富士なら酒は白雪って

富士は一番高いと言いたいのか、一番きれいだと言いたいのか、何を表しているのかがそこに想像の域になってくる

 

紫式部が書いたのは物語、つまり小説です

そこには色んな恋愛ドラマも親子のドラマも仏教の教えも様々に書かれていて、その含蓄の深さや哲学、思想などに、その才がみられるわけです

明治になって日本の政府は「源氏物語」を翻訳し、その素晴らしさを海外に広めました

(余談ですが、そうは見えないかもしれないけど、海外で源氏物語に触発された小説家はたくさんいます)

 

これは当たり前の事で、もし枕草子を翻訳しても海外から馬鹿にされていたでしょう

何故なら内容がバカバカしいからです

大したことを書いていないし、ろくでもない

ただの女の愚痴だったりします

じゃあいったいどこに価値があるのかというと、その日本語の使い方に天才的な才があるわけで、それを英語とかフランス語にしてしまったら、その文章の良さみたいなものは壊滅してしまうんです

例えれば、一日経った大福みたいなもので、出来立て食べたらおいしいけど、日が経つと食べれたものではない

つまり彼女の才というものは日本語を知っている人間にしかその凄さは分からないのですよ


紫式部と清少納言2

2023-12-08 18:32:02 | 日記

以前、平安時代の和泉式部を書いた漫画があって、かなりよく調べられていたんですが、その中に藤原の道長が紫式部に手を出そうとして、嫌がる紫式部を自室へ連れて行こうとしたのですが、その時に色恋に長けていた和泉式部が救ったという話があります

もちろんこれは創作ですが、そういう事があってもおかしくありませんね

 

紫式部は実は同性愛者なんじゃないかという声もあります

これはまあむしろ納得するというか、そうなんだという感じです

日本でも西洋でも作家が同性愛者というのは結構あるし、むしろそういう人のほうが恋愛小説が得意だったりします

おそらく、男女の恋愛を客観的に見れるからでしょう

紫式部は宮仕えをしていましたが、彼女は宮仕えしている間、誰とも恋愛をしていません

これは非常に珍しい事で宮仕えというのは男性と顔を合わせる機会が多い職業ですから(この時代女性は基本的に顔を男性とは合わせない)そういった男性からの秋波というか、そういった欲望を何とかかわしたり、あるいは受け止めたりしなければいけない職業で、そういった中で泳いでいかなければならない

その中で誰とも恋仲にならないというのはかなり強固な意志がないとできない

ある青年貴族が「こちらに若紫はいらっしゃるか」と言って紫式部のいる部屋に入ってきたらしい

その時紫式部は「光源氏でもないのにそんなこと言わないでください」と突っぱねている

これは当時非常に珍しい事でそもそも断るにしてもこんなにはっきりと拒絶するのは風情がないし、反発の的になる(男女ともに)

彼女はなぜここまで男性を拒否したのだろうか?

 

もちろん彼女が男嫌いで実は同性愛者の毛があるのも一因だが、それだけではない気がする

つまり彼女は男性と恋愛することによって、他の女房達の嫉妬やうわさ話の的になることを恐れていたのではないだろうか

つまりその辺が歌人として有名だった父を持った清少納言と違い、後ろ盾がない彼女がねたまれずにやっていく処世術だったと思う

つまり宮中における力のなさ加減が清少納言と紫式部の性格の違いとして現れた気がする


紫式部と清少納言1

2023-12-08 18:29:33 | 日記

私はYouTubeが好きでよく見るのですが、「光る君へ」という紫式部の生涯が大河ドラマになるみたいで、色々と出ています

私は自分の持論があるのですが、それをちょっと書いてみたいと思います

 

まず、よく言われるのですが、紫式部と清少納言の関係です

 

まず紫式部の事ですが、最初は「紫式部」では無く、藤式部と言われていました

紫式部の苗字が藤原だったからです

藤原の家と言ってもこの時代は藤原だらけで藤原同士で争っていました

この時期一番勢力があったのは藤原道長であり、これも自分の親戚を追い落として手に入れた権力です

藤式部の家はおそらく貧しく、貴族と言っても良い地位についていないと思います

そういう貴族がこの時期にはたくさんいたのではないでしょうか

日本は一夫一婦制ではなく、天皇は多くの女御を持っていて、いくらでも子供を産めるので、貴族もたくさんいて、勢力争いに負けた貴族は落ちていくしかありませんでした

 

藤式部から紫式部替えた経緯は分かりませんが、そういう事です

 

一方清少納言は苗字が「清原」なので、清少納言になったそうです

彼女が仕えた定子がきれいな名前なので付けたそうです

 

清少納言は元々歌人の家に生まれ、お父さんも優れた歌人であったと言います

そんな彼女が中宮の定子に使えるのは当たり前だったのでしょう

清少納言の家もそれほど裕福ではなかったと考えます

 

清少納言も紫式部も大まかに言えば中流貴族だったと思います

ただこれは大まかな分類で裕福さや貧しさという点では同じであったとしても、清少納言には父親の名声もあるし、ある意味中宮に使えるのも、当たり前だったかもしれません

 

しかし紫式部は自身が聡明であったとはいえ、ほとんど自分の能力だけで召し抱えられたのですから宮中において肩身が狭かったと思います

それが二人の性格の違いを決定づけたような気がします


古事記3

2023-12-07 17:21:31 | 古事記解釈

さて、二つの民族があるとすれば、その二つの民族を纏めるにはいろいろとしなければならないことがありますが、神話の統一もその一つです

一つにするには、同じ神話、同じ宗教でないと困ります

 

エジプトはもちろん小国が乱立する戦国時代もありましたが、文化的には下エジプト(ナイル河口付近の北側)と上エジプト(ナイル川上流)に別れていました

そしてそのエジプトが統一されるにあたり、神話も統合されました

上エジプトには何故か隻眼のホルス神(男神)がいましたが下エジプトはオシリスとイシスの夫婦の男女神でした

そこでオシリスとイシスの子がホルス神だと定めたのです

 

つまり、日本を統一した大和民族ももともとの原住民の宗教を取り入れて、一つの神話にしたのではないでしょうか

大和民族の神話はイザナミ・イザナギの夫婦神です

 

さて、ではもともとの原住民の神話ってどんなものだったんでしょうか

 

これは私の完全な憶測ですが、そもそも世界の神話に一番大事なのは自分たちの住んでいる土地(つまり地面ギリシャ神話で言えば大地の女神)と太陽と月の子の三つです

この三つがどういう風にできたのかを説くのが神話となります

 

ではどんな神話だったのでしょうか?

 

昔々最初の始まりに怪物がいました

その怪物は狼藉を働いたりして人々を苦しめていました

しかしある時英雄が現れました

その英雄はその怪物を倒すために立ち上がり刀を持って怪物に立ち向かいます

そして怪物の顔に切りつけました

そうすると怪物の左目は空に飛んでいき太陽になりました

そしてさらに右側に切りつけると怪物の右目は空に飛んでいき月になりました

英雄はさらに怪物の腹に刀を切りつけると、怪物は倒れました

それが大地になりました

怪物から流れた血は川になって腹から流れていきました

 

という神話なんですが、自分なりに出来ていると思うのは地球から見ると月と太陽は同じ大きさだから左右の眼というのはうまくできていると思います

この英雄を自分たちの最初の神(最初の神ではないけれど)である、イザナギに当てはめたのではないですか

更に平和的な神話にしたんじゃないでしょうか

 

この神話が元になっているなら、何故スサノオノミコトは大地の神にならなかったのか?

それは最初に国生み神話で大地はすでに、イザナミが生んでいるので大地の神に出来なかったんではないでしょうか

そもそも太陽の神、月の神に比べてスサノオノミコトはしょぼ過ぎます

これは三貴神というそうですが、二人に比べて同じ地位にあるとは思えない

だったら、月と太陽が産まれて二貴神にすればよかったのに、三貴神にしたのはもともとの神話が三貴神だったから仕方なかったのでしょう

 

だとしたら空にいるのは太陽と月だけなのだから、スサノオノミコトが高天原を追われたのは当たり前という事になります

そして糞尿をしたのも当たり前で、大地の神だからです

特に人間の糞尿は江戸時代まで大事な肥料だったのですし


古事記2

2023-12-07 17:21:31 | 古事記解釈

ずいぶん長い間が空いてしまいました

実は交通事故にあって、入院していました

退院しましたが、まだ骨は完全にくっついていません

 

さて古事記の事ですが、

そもそも古事記で一番おかしいのは

天照大神と月読と須佐之男命が産まれる時です

そもそも神話というものは理不尽なもので理論的なものではないですが、それでも、これっておかしいですよね

イザナギの命が黄泉の国へいた帰りに左目を洗った時に何もない空間から女性の姿をした天照大神が現れました

ちょっと待てよ

という事はそれまで太陽はなかったんかい

而もアマテラスオオミカミは人の姿をしていながら空に輝く太陽なんかい

而もなんか、空気中から黙々と現れたんかい

どう考えてもおかしいだろ

 

で、私の考えを書く前にその後についても書くとその後右目を洗うと月読の命が、そして鼻を洗うとスサノオノミコトが現れたというのです

 

さてこの話はいったいどう解釈すればいいのでしょうか

まず日本列島には様々な民族がいました

これは当たり前の事で、そもそも原始時代は部族で集まっていて、ほかの部族とは交流があるものの人は部族単位だったのです

国という単位は土地で考えても大きいので国として一つにまとまるにはさまざまな部族を一緒にしなければなりません

だから何種類かの民族がいるのは当たり前です

日本はもともと日本に住んでいる原住民がいましたが、海を渡ってさまざまな民族が入り込んできました

中国大陸から(中国大陸は広いから北の方からきたこともあるし大陸の南からきたこともあるでしょう)

また南洋のインドシナ半島からきたこともあるでしょう

で、日本を統一したのは大和民族ですが、そもそも大和民族はどこから来たのは分かりませんが、渡来人(という言い方をすると時代が違ってしまいますが)であることは間違いありません