朝から畑に行ってましたが、妻が「電話があった」と、私のスマホを持ってきました。ちょうど農作業小屋に戻ったところで、電話を掛け返すと、同じ町内のいとこの連れ合い(亡きいとこの妻)が病院で亡くなったとのことでした。
家に戻るのが午後の1時ごろということで、それまでに予定していた収穫を済ませ、お昼ご飯を食べて、当家に向かいました。
当家は、亡くなったいとこの奥さんと息子、認知症が出始めているおばあさん(私の叔母で月に3週間ほど施設にいます)の3人家族で、神戸で家庭を持っている娘がいます。
家に着くと、ちょうどご遺体が帰宅したところで、息子と葬儀屋さん、聞きつけて来てくれた親族や知り合いと部屋を整え、お寺さんへの連絡(日程調整)をし、2時から檀家の寺で行事(永代経)があるので、葬儀屋さんが枕経の準備をしている途中で帰ってきました。
枕経が5時からだということで、永代経が終わってから再び当家に行き、お寺さんとの打ち合わせ、息子と親戚とで葬儀の日程やお供え物の段取りを打ち合わせしてきました。実質、30前の息子が一人で判断・決定しなければならないので、とにかく周囲が助けてやらないといけません。息子は、3年前に父親(私のいとこ)の葬儀を経験しているので、だいぶ落ち着いていました。
亡くなったいとこの奥さんは、フィリピン出身。その地方では、兄弟姉妹の年上から順に、両親を養うために働き、彼女も上の兄弟姉妹が結婚して別の家庭を持ったので、両親を養うために日本にダンサーとして働きに来ていました。そこで、私の同い年のいとこと知り合い、結婚し、二人の子をもうけ、育て上げました。
たくさんつらいこともあったでしょうが、頑張り屋さんで、周囲の助けもあり、また我が町とその周辺の町にはフィリピン出身者が一定数いるので、その人たちの支えもあって、ここまで無事に暮らしてきました。
しかし、3年前の夫(いとこ)の葬儀の日に腹痛を起こし、膀胱や大腸のガンが判明し、手術と病院通いの日々でした。そのなかで、孫もでき、嬉しいこともありましたが、親族の中に折り合いの悪い人もあって、気苦労の中での療養生活でもありました。
ここ数カ月は、状態が良くないことが多く、病院と自宅を行き来していて、痩せるばかりでしたが、たまに家に行って顔を見ると、愚痴も含めてよく話をする元気はありました。ところが、ひと月ほど前に入院中の病院側から「もう手の施しようがない」と言われ、周囲の人がなくなっていく病院でいるよりは、気がまぎれる自宅で過ごしたい、と自宅に戻っていました。お盆すぎに訪ねた時には、痩せてしまって人相が変わってしまうほどでしたが、「もう生きてるのもつらい」と言いつつ、あれこれと話していました。それが数日前に痛みが強くなり、入院、強い鎮静剤で朦朧とする中で、今朝、電話で孫の声を聞きながら、亡くなったそうです。52歳。若すぎる死です。
今日は、そういう事情で更新をする暇がありませんでした。明日は通夜、明後日は告別式です。