単慕 紀路と覇離頭 蝶の二人は、今日も街行く人々をフレームの中に捕らえながら、観察を続けている。所と時間が果たして、止まってしまうことを赦す程の彼等の思いは強いのか。それ程この時空間は全て押し流す力を持っている。それでも彼等はその力に抗うように全てをフレームに収めようとする。人口も物質も感情も減少して、生きる意義が見出せない世の中になった今。復活の兆しを何処かで、実感したくて、彼等2人はシャッターを下ろし続ける。
この世界には、自然の喜びや悲しみを訴える者が存在しない。
それは、この自然に対する畏怖の念、生き物に対するいたわりの心、存在自体に感謝する心を喪ってから、まだ数年なのに、その事象を振り返り、反省する者は僅かです。
人は創造されたとするならば、対象の存在を確認して互いに全て、そうこの世界全てを分かち合う事に喜びを見いだすことに喜びを感じるように造られている。
その世界を全て破壊した人類に何も喜びは、残っていない。それでも、まだ人々は本能にしがみつきながら、必死に生きようと、残されたほんの小さな社会で生きている。少し前までは、IEで世界が繋がっていました。今は全ての電子器機が使えない。それは、地球自体が太陽の光の中でもがいている、その処方さえ未だ見出せない人類である。
世界は、孤立した。ネットワークは寸断され、通信方法は近所の無線のみ。大気には、電波を遮るイオンが充満し、各国は孤立していて、日本も、せいぜい市区町村程度のエリアをカバー出来る電波しか、飛ばせない。
当然、真空管で出来た無線機だけが、利用可能なのである。