慈恩のぶろぐ

アセンションに向けて、
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不食の人・・・その2

2017-09-22 21:00:00 | アセンション

 

不食シリーズその2です(笑)

 


実は私は、不食を目指してみようと思っています。

もちろん、今すぐ不食になるわけではなく

これから長い時間をかけて、進んでいく予定です。

 

繰り返しますが、食べる食べないというのではなく

食べなくても大丈夫という意識になるということ。

自分の意識の解放のために、チャレンジしてみたいと思ったのです。

 

私は細胞矯正学というのを勉強していた時期があり、

食にはとても敏感でした。色々勉強もしました。

ガン患者さんのカウンセラーをやっていた頃、予防医学の観点から

食事療法もアドバイスしていました。

ガンは遺伝と言われていますが、実は食事が大きく関連しているからです。

 
そして様々な食事療法も試しました。

2年間、米と甘いものを取らないということをしたり

肉をやめたり、発酵玄米食をやったりしました。

どれもそれなりの効果があり、目標は達成しました。

 

特に米を取らなかった時期は、顕著にでました。

体調は良くて、体は軽く、睡眠時間も4時間程度で十分でした。

昼は、麺類やパンを少しだけ食べて、夜は野菜とタンパク質のみ。

しかしながら、とても痩せてしまい、そのスピードが半端なかったので途中断念しました。

 

食事についても、必ず野菜は摂取し、たんぱく質もバランスよくとる。

そんな風にとても気を使っていました。

 

しかし本を読んで、その考えが変わりました。

何を食べてもそう変りないのかもしれないと。

量を食べるほうが問題なのかもしれないなとも。

というのも、私が出会った方の中に、野菜を食べないという人がいて。

でも健康診断で血液検査をしたら、野菜を食べているという状態の

数値だというのです。当時これにはびっくりしました。

体はこれほど賢いのかと。

不足していれば不足していたで、別の形で補う何かをしているのだと。

 

そう考え始めたら、少しだけラクになった気がしました。

毎回食事のメニューを考える時に、常にバランスを気にしていたのが

量が少なくなると、おのずと組み合わせは変わってきます。

 

少量にして、胃腸を休ませる。

そして免疫力を強化する。

そうすることで、体調はよくなり、小食が気にならなくなる。

 

食べることは楽しいことです。

でも最初の二、三口まで。

そうは思いませんか?

食べ過ぎてしまえば、その感動すら消えてしまう気がします。

 

そして過食になるには、ほかの理由もある。

ストレス発散のためにおいしいものを食べたいという欲求。

これは決して体のためではない気がします。

かくいう私も、その一人でした。

食べることだけが楽しみ・・・そんな日々だったのです。

でも、だんだん食べた感動が薄れていってる現実。

 

本当の空腹後に食べるおいしさを味わうと余計に感じます。

そんなことを考えているうちに、不食にたどり着いたのです。

そして、不食とは単に食べないということではなかった。

 

意識の開放のため、本当の自由のため。

不食の奥深さを垣間見た気がしました。

 

どこかで、おいしいものを食べてストレス発散して

またやりたくないことをやるために

気力を養ってるつもりだったのです。

でも体は正直です。そして、心も正直。

だから食べてストレス発散の限界がきた。

 

人は、もっとラクになってもいいと思うのです。

 

食べたければ食べていいし

食べたくなければ食べなくていい。

 

不食で生きている人がいる今

食べなければ生きられないという意識に

縛られる必要はないんだと感じました。

 

食べなきゃ死んじゃう・・・

 

この恐怖からの解放もどれだけすごいことでしょう。

しかし、反面・・・大きなテーマである、餓死。

餓死がなぜ存在するのでしょう。

 

それは次回お話しします。


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