カイヴァリヤとは、サンスクリット語で「神との合一」という意味です。
『聖なる科学』スワミ・スリ・ユクテスワ著によると、
「人は、その本来の性質を完全に取り戻すと、単なる光を反映するだけでなく、すすんで霊なる神と一体になる。この状態をカイヴァリヤ(神との合一)という」
このスワミ・スリ・ユクテスワさんは、『あるヨギの自叙伝』のパラマンサ・ヨガナンダの先生です。
カイヴァリヤという言葉を知ったのは、Kan.さんのワークショップ「カイヴァリヤ」でした。
この時は言葉の意味も知りません。
ババジから言われてワークショップをすることになったというのを聞いて、興味を持ちました。
ワークショップに参加した友人と話していた時、カイヴァリヤのエネルギーと共鳴し、ワークが始まりました。
私の横に誰かが立っている感じがあって、なぜか解放されていなかったカルマが解放されている感覚がありました。
自然に涙が流れてきました。
ワークが終わった時、訳もわからず「このカイヴァリヤを絵にしたい!」と強烈に思いました。カイヴァリヤが何なのかも知らないかったのにです。
それから、すべて委ねて絵を描き始めました。
降りてくるものをそのまま描いていると、どんどん自分の中にある解放されていなかったものが浮かびあがって来ました。
何度も中断して、泣きながら向き合って解放して。
そうして描き始めて4日目に完成しました。
このカイヴァリヤが完成した日の夕方外出した時、今までにない気づきがやって来ました。
空っぽのエレベーターに乗った瞬間、たばこの残り香がして、「わっ、嫌だ、臭い」って反射的に思いました。でも、すぐに自分が無意識にジャッジしたことに気がついたんです。
自分が何も考えず反射的にジャッジしている瞬間を初めてつかみました。
自分がどれぼどこの世界に在る物事をいつもいつもジャッジしていたのか、実はジャッジするために「これは良い、これは良くない」って作っているのではないかと感じました。
「私はいったい何をしているのだろう、ジャッジしたくてしたくて世界を見てるんだ」、そう感じました。
本当の自分に戻るための、天界のアートの始まりの絵です。
カイヴァリヤの絵は、この後シンボルを貼る形で次々やってきました。
ババジの導きかもしれません。
『聖なる科学』スワミ・スリ・ユクテスワ著によると、
「人は、その本来の性質を完全に取り戻すと、単なる光を反映するだけでなく、すすんで霊なる神と一体になる。この状態をカイヴァリヤ(神との合一)という」
このスワミ・スリ・ユクテスワさんは、『あるヨギの自叙伝』のパラマンサ・ヨガナンダの先生です。
カイヴァリヤという言葉を知ったのは、Kan.さんのワークショップ「カイヴァリヤ」でした。
この時は言葉の意味も知りません。
ババジから言われてワークショップをすることになったというのを聞いて、興味を持ちました。
ワークショップに参加した友人と話していた時、カイヴァリヤのエネルギーと共鳴し、ワークが始まりました。
私の横に誰かが立っている感じがあって、なぜか解放されていなかったカルマが解放されている感覚がありました。
自然に涙が流れてきました。
ワークが終わった時、訳もわからず「このカイヴァリヤを絵にしたい!」と強烈に思いました。カイヴァリヤが何なのかも知らないかったのにです。
それから、すべて委ねて絵を描き始めました。
降りてくるものをそのまま描いていると、どんどん自分の中にある解放されていなかったものが浮かびあがって来ました。
何度も中断して、泣きながら向き合って解放して。
そうして描き始めて4日目に完成しました。
このカイヴァリヤが完成した日の夕方外出した時、今までにない気づきがやって来ました。
空っぽのエレベーターに乗った瞬間、たばこの残り香がして、「わっ、嫌だ、臭い」って反射的に思いました。でも、すぐに自分が無意識にジャッジしたことに気がついたんです。
自分が何も考えず反射的にジャッジしている瞬間を初めてつかみました。
自分がどれぼどこの世界に在る物事をいつもいつもジャッジしていたのか、実はジャッジするために「これは良い、これは良くない」って作っているのではないかと感じました。
「私はいったい何をしているのだろう、ジャッジしたくてしたくて世界を見てるんだ」、そう感じました。
本当の自分に戻るための、天界のアートの始まりの絵です。
カイヴァリヤの絵は、この後シンボルを貼る形で次々やってきました。
ババジの導きかもしれません。
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