『恐怖の終わり』(約41×32cm) 804層
私達が集合意識に持つ恐れについて聞きました。
男性の集合意識にある恐れは、“全滅すること”。
女性の集合意識にある恐れは、“捨てられること”。
人類の集合意識にある最大の恐れは、“ワンネスになること”。
奇跡のコースでは、私達が最も恐れているのは救いであり、愛であると言われています。この場合の恐れている“人”は、自我です。
神とひとつであると、神の元へ戻る=救われると、自分がすべてを手放してしまう、何もいらなくなるのを自我は知っている。救いとは、自我の消滅と感じている。
以前、神の祝福、愛を感じて、涙が止まらなくなり、とても満たされた感覚を味わったことがあります。そして、翌日になると、ものずごい恐怖に襲われました。全身の震えが止まらなくなる程の恐怖で、自分でもなぜこれほどの恐怖を感じているのかわからない。ただただ強烈に怖い。でも、誰がそれを感じている?と問いかけると、全然怖がっていない、怖がっている自分を見ている存在を感じました。怖がっているのはエゴ、自我の自分で、それに何も感じないで淡々と見ているのが本当の自分。
エゴは、愛が、救いが本当に怖いのだなと実感した体験でした。
集合意識にある恐れの話を聞いた時、なぜか恐れの絵を描きたいという衝動がやってきて、この絵を描きました。
描きながら感じたのは、恐れには実態がない、秩序もないということ。
恐れの絵を描いていたけれど、怖くなることも、具合が悪くなるようなことはありませんでした。これって恐れの絵なのかなと思うほどでした。
でも、描き終わって経過の図形を振り返ってみると、やっぱり恐れが描いてあると感じました。
それから、記憶について考えました。生活するのに記憶がないと困る部分はあるけれど、過去の記憶って要らないのかもと思いました。記憶というものは事実とは違って歪んでいるもの。それぞれの見方、感じ方で、時間の経過とともにどんどん変化していく。自分を形成するイメージ、ストーリーの集まり。でも、それって本当の自分じゃない。
記憶がなければ、直線的時間は成り立たない? 過去の自分は、今ここには存在しない。
絵が完成して題名を聞いたら、『恐怖の終わり』でした。描き終えても、恐れは無くなってはいません。でも、絵を見ていると、大丈夫っていう感じと、力が取り戻されてくるのを感じます。何かが確実に変わったようです。
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