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SINGULA
▫️衝撃のラスト:
脳内でそれまでのシーンが濁流のように打ち寄せる。 今まで視聴者が脳内でふんわりと理解しつつあったそれぞれのAIの名前と番号が全員一斉に自己紹介(もしくは答え合わせ)のように採決の段階になって明かされる。 (1)BRAIN“脳“だと言うことはここまでで判明しているが、改めてそれも含めて映像で確認しつつ、違和感を覚えていたそれぞれの名前が身体の一部分であることが確認できる。よく考えると(考えなくても)この構成が憎いのだが…。今まではあくまで全員がAIであると思って見てきたものが最後の最後で崩されるシーン。(1)BRAIN だけが残った事、まるで人間のような仕草。ここで感覚的に映像から受け止めた“人間のような仕草“と言うことの定義に悩んだんだけれど。だって今まで他のAI にだって人間的個性と言うものを感じてきたから。なのに、最後のシーンで感じた強烈な人間臭さ。“脱ぐ“と言う概念の人間臭さ。不快感や窮屈さを感じて脱ぐこと、解放される感覚と溜息。この表現に感じる『人間』。今まで他のAIに感じてきたものは、あくまで、それぞれのAIにインストールされた人間の個性であって、最後のシーンで感じる強烈な人間臭さはまた別であることでゾックとさせられる。そして(1)BRAINは『先生』だった?“脳“ってそういうこか!となるわけですが。因みに『先生』が『ティーチャー』*教え導く人 ではなく『プロフェッサー』*何かを極めた人、専門家。…であるので、おそらくこの『先生』はAIの開発者なのではないだろうかと推察される。そして、ここまで考えて、ふと、振り返ると(1)BRAINと(15)HART 2体のAIのディベートが始まる前の会話の中で(1)BRAINが服の首をくつろげる仕草があったり(15)HARTが(1)BRAINに対して「すごく人間ぽい」というセリフがあったりしたなと。
▫️15と云う数字 :
ここで15という数字について。12(1ダース)や他の数字ではなくなぜ15人なのか。ディベート、最低3人“肯定側““否定側““ジャッジ“いれば出来るし、陪審員裁判のディベートは12人。ということは妙に多い15人という数字に意味はあるのか?構成される身体のパーツの数が15である事に意味はあるのか?と考えてみたのですが…。身体のパーツの数として考えるというより、『15』が特別な数字である、と考えた方がしっくりくる気がする。 そういえば『15』で完成される…15こそが完成された数字という一つの考え方があったなと。これかな?と思う興味深い話としては、完璧な数字として考えられている15個の石が配置されている龍安寺の石庭。でもどの庭から見ても「14」しか見えない。どれか1つは他の石に重なって見えないように設計されているらしい。『15』で完成される数字、でも『14』しか見えない“不完全さ“最後の一つの石が『先生』で“ジャッジ“の役割であると考えると『14』という数字で数が合う事。龍安寺の石庭には“不完全“であることを認め、見つめなおすというような意味がある…みたいな説があったかとも思います。それって『人間』でもあり、開発途中(あるいは永遠に完成というものがない)『AI』でもあるなととも思ったり。でも『先生』と『AI』でディベートの場が“完成“する。どちらか片方では完成しない。AI と人間の関係性についてというか、共生についてというか、そんなものについて考えさせられる。“足りないもの“を他者との助け合いで補うという考えがAIと人間でありながらとてもまた“人間臭い”のが良い。
▫そもそもAIの特性とは:
AIにおけるディベートの正体、ディベートの内容と結論の正体について考えてみた。 「集合知」という言葉がある。この映画においてAIはそれ、だと思う。様々な知性、意見を集積し、集めて結論を出す場としてのディベートであり、それそのものが一つのAIであると考えられる。ネットの海で情報を収集し学習し質問に対する結論を導き出すAIのシステムそのものをディベートとして描いている。なので、色々な意見や知識を集積するけれど一つの結論を出すようになってることから、ディベートに敗れたAIは機能停止という表現になっている。しかし、先にも述べたように15の身体パーツで出来ていることからもわかるように15体だけれど15体で一つの身体、『AI』である。『集合知』についても、複数の意見を持っている人達が集まっている集団が、まるでより優れた一つの知性のようなものになる、との考え方がある。私はまだ、AIというものがどういうものかいまいちちゃんと分かっていないけれど、分かっていないなりの解釈をさせてもらった。
▫A Iの人選はどう行われたか:
ここで、あの個性的なAI達の元の記憶の持ち主がどういった基準で集められたのかについて考えてみた。先生が、自分が開発したAIに「人類が存続すべきかどうか」と問いかけたとして、そこからAIは情報収集に入るわけですが、そこには先生の意図は混入されいないはず…無作為でなければならない。ならばどうしてあんな強烈な個性の人達の記憶がディベートの場に呼ばれたのか。おそらくネット上のなんらかのSNSログ等から、過去にそういった話題をした記述がある人達が集められていると単純に考えられるのではと。そう考えると、なんとなく繋がってくるというか…。“一度は自分が住む世界や周りの人達に絶望したことがある“というのが人類の存続について考えるきっかけだったのかな、と。そんな人達が存続賛成派と反対派に分かれてディベートしてるのって、改めて考えてみると面白い。 何よりAIの根幹にある『人間』について改めて思った。
▫ SINGULAというタイトル:
何とも言えず凄いタイトル。AIと人間の境界、AIの思考が人間を超えるのか否か……。
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1 Brain 脳2 Diaphragm 横隔膜3 Organs 臓器4 Sacrum 仙骨5 Blood血液6 Pineal 松果体7 Lung 肺8 Navel 臍9 Stomach 胃10 Colon 大腸11 Forehead 額12 Sense 感覚13 Throat 喉14 Coccyx 尾骨15 Hart 心臟************全15役/spi原案脚本/一ノ瀬京介監督/堤幸彦
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