またもや、「空気」が支配し始めている。誰も責任を取らない、無責任な組織風土。元都知事は「全体の総意として(豊洲移転を)決裁した」といった。「私が知事に就任したとき、豊洲移転は既定路線だった」。豊洲移転が暗黙の了解だったことをほのめかしている。事の真偽はわからない。要は築地か豊洲かの選択である。築地に問題があるから、豊洲案が浮上したのだろう。しかし豊洲で土壌汚染が明らかになった。で、専門家は盛り土を提案した。が、建屋地下の盛り土は実現しなかった。建屋の地下は管や線が通るから盛り土はなんとなく遠ざけられたのではないか。ここに「空気」が出てくる。誰が盛り土を却下したかはわからない。が、専門家の提言を無視できるのは知事しかいないのではないか。誰かが盛り土に代わる代替案を知事に入れ知恵したのかもしれない。そして地下空間が生まれた。そして小池都知事になってから地下水の汚染が明らかになった。そして百条委員会が設置された。石原元都知事は豊洲は地上と地下が分離されているから安全だと、専門家の意見を紹介した。安全と安心を取り違えてはならないとも言った。建屋と地下を完全分離すれば地下水汚染はクリヤできる。これは理屈である。しかしそれだけで安心はついてこない。なぜなら豊洲ありきで、都が土壌汚染を軽視してきた経緯があるから、これで安心しろと言われても無理である。元知事の土壌汚染対策の不作為が問われている。土壌汚染が出てきた段階で石原都知事は待ったをかけるべきだった。それができなかった。豊洲移転を陣頭指揮していたのが石原さん自身だったから。豊洲移転ありきの「空気」を自ら作ってきたのが石原元都知事だった。石原さんができなかった「まった」を小池都知事がかけた。
要は安心か安全かである。これは二者択一ではないと思う。安全であって初めて安心なのだから。安全でないのに安全だから安心しろというのは安全神話だ。福島原発が証明した。安全が第一である。安心は行政が土壌汚染、地下水汚染対策に万全を尽くすことでしか得られない。それでもどうしても不安な人は豊洲から買わなければよいのだ。絶対安心なんて世の中にないと思う。みな表立っては言わないが、やっぱり築地は安全に問題がある。古くて狭くて危ない。アスベストや不衛生の問題もある。でも築地は信頼されていた。豊洲にはまだ信頼は醸成されていない。でも、これからは豊洲のほうが安全策を講じやすいのではないか。今後の都の地下水汚染対策が肝心だ。それを都が先頭に立って説明し理解を得る。そしてそれが安心の醸成につながれば小池知事が裁可する。空気は無色透明で形がないが日本は何事も空気で決まる国。
山本七平さんの「空気の研究」を読みましょう。