セノハチの通過に全く支障のなかったはずの最新型電車。。。
しかし。。。
山陽線ってのは大幹線の「山陽本線」のことなんです。
え?
山陽本線に「難所」?
山陽路でしょ?山岳地帯でもないのに。。。
私もここの存在を知った時そう思いました。
それがあるんですね!
山陽本線(広島県)の瀬野駅から八本松駅。
通称「セノハチ」と呼ばれておりまして駅間は10.6Km。
瀬野駅から八本松駅に向かって22.6 ‰(パーミル)の連続急勾配区間となっております。
(※1,000m進んで22.6m上がる)
Wikipediaの説明によりますと・・・
広島市で広島湾に注ぐ瀬野川水系と呉市で瀬戸内海に注ぐ黒瀬川水系の分水嶺を通過する区間のうち、西側の瀬野川の上流域を指す。鉄道としては、約10 ㎞にわたって急勾配が続く難所として知られる。 また、近世山陽道(西国街道)の大山峠に並行する形で軌道が設置されており、この区間は鉄道開設以前からも難所となっていた。鉄道ファンにとっては撮影の名所でもある。
という事なんですね~
この区間は、山陽鉄道により1894年(明治27年)開通するんですが
当初からほぼすべての列車に所謂「後押し」する機関車を連結していたんですよ。
車両の性能がどんどん良くなって後押しが必要な列車は減っていきましたが
いまでも貨物列車は「後押し」してもらってこの難所を越えていくんですよ。
下の画像。一番後ろのシマシマの車両。これが後押し機関車です。
Spaceaero2 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
機関車は現在は最新型に変わっております
後押し機関車は広島駅付近で取り付けて西条駅で切り離しますが
かつては瀬野駅または広島駅で取り付けて、坂を上がりきった八本松駅付近で走行しながら切り離す、、、といった運用がなされておりました。
貴重な走行中開放シーン(お借りしてきたものです)
また1986年(昭和61年)まで補機を駐在させるための瀬野機関区が瀬野駅に隣接して設置されていました。
今回はその「瀬野機関区」で撮影した画像でございます。
ということでここまでをまとめますと・・・
①大幹線である山陽本線にも補機を必要とする急勾配区間がある
②補機は上り(瀬野→八本松)の片側のみ
③補機が付くのは現在は貨物列車のみ
④現在は広島→西条が補機の区間
⑤かつて瀬野機関区が存在した
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205レ 急行「くにさき」大分行
大阪駅発20:44
広島着02:20
よくやってたなぁと思うんですけど・・
深夜2時過ぎに広島駅に到着。始発までホームで過ごす。。。
この時はね、、、雨で寒かったんですよ。
眠い、、寒い。。。戦意喪失の中・・・
いきなりEF61‐3が!
そしてホームには。。。!!
いるじゃありませんか!EF59。
運転士さんに声かけたら・・・
乗っていいよ~って。。。今では絶対無理ですよね。
画角せまっ!!
この時代ワイドで撮れる人は超金持ち。今みたいに便利な機材はなかったんです。
広島駅構内@EF59デッキより
東京からの寝台特急「さくら」
みずほ
はやぶさ
名古屋からの寝台特急「金星」が着く頃には空が少しずつ明るくなって・・・
そして、、、やってきたのが瀬野機関区。
電話番号調べて直接電話したら「見学しても良いですよ」
って許可をもらえました。
当時は許可貰えるのが直電で半々くらいでしたかね。
福知山とか豊橋、敦賀第2とかも許可貰っていきましたね~
再掲載で恐縮ですが、福知山機関区見学の時は腕章まで付けて。。。嬉しさが滲み出てるね。
話を戻しまして・・・今は無き瀬野機関区。
すぐ横が瀬野駅。
ほら!
沢山のEF59に圧倒されてしまいますね。
EF59-23
上り側、下り側で塗装が違うのも特徴でした。
EF61 200番台が登場して間もないころです。
ここにも!
ヤッホー!
200番台トップナンバー
その2
その後、かなりお疲れでしたが・・・原爆ドームは行きました。
復路は普通列車を乗り継いで大阪まで帰ったのですが・・(ようやったわ)
三原駅だったかなぁ(尾道・糸崎・三原、、、その辺り)
なんと山陽本線にはEF15が健在でした。
EF59もびっくりだったけど、このEF15にもびっくりした事を覚えています
倉敷駅とキハ181。。。
そう!特急「やくも」ですね!車内からはこの1枚がやっとでした。
意外と楽しく大阪まで帰ったような気がします。
流石にもうできないけどね😅
はい。今回はここまで。
次回もお楽しみに~