転びに転び、七転び八起きで・・転び中。
思えば東日本大震災を期に人の生死を見届けながら、右肩下がりの経済的変化の残酷さと、世の人命への意識の下降を感じる昨今。
私個人も、残酷になってきたと思う。
東日本大震災(3.11)前後にネット上にいた人々は徐々に去り、優れた観察力と洞察によって宇宙的な視野を示して下さっていたあの頃の情報は、そのままでは今は通用しない。
大変申し訳ない言い分になるが、可って万単位で視聴されていた人々の動画が100単位に落ちていたり、見切りを付けたのか去ってしまっている。正直お酒を飲みながら動画配信をしていたと言われる人は数人いたし、優れ者と感じていた人も傲慢な物言いで嫌悪され姿を消した。
何れにしても、短時間の快癒感覚しか得られなかったり、固定される明確な癒しを身に受け取れないと、人々がお金を払う余裕が無い程の経済的不安が巷にある。また、言動による不信感を受け取る側に与える人は生き残りが難しい。
私も嘗て頼みもしないのに「私には解る、ブロックを外しなさい」と間接的にメッセージされ、無反応でいると怒りすらぶつけてきたサロン経営者がいた。
「だから、頼んで無いです。」
私は、この消えていく人々に能力がある事は理解しているが、その「解る」と言う押し付けが何の為に成されているのかが問題だと思う。
生業としての残酷さと世の経済的な下降が、当初の宇宙的招きに応えて得たポジションを自らの力でカバーしようとして苦しんでるいると思う。
そして、そう言い放つ私自身が3.11の頃よりも残酷なっていると最近感じている。
去る者は去る一方で、新たな世代がネットや動画の中に自身の宇宙意識や過去体験の苦痛の整合性の答えを探す為に情報を求めている気がする。
是非、10年を過ぎて自らの知識や体験、癒し、導きを為さる方々には、過去に流した情報をお蔵入りさせるのでは無く、現状に合った手を加え、新たな聞き手に初歩的情報も伝えて頂けたらと・・切に願う。
その情報一つで悩み苦しみから開放される新たな受け取り手に、再度提供して頂ける手段を・・。
18歳を成人とする今後、国は納税者を増やしたい意向なのだろうけど、時間的、経済的余裕を持って情報に接する事の出来る人はまた絞られてしまう。
囲い込みにはそれぞれ意図があり、高度な情報を共有する為には致し方無いとは思うが、フリーで受け取る事の出来る部分は残して頂けたらと思う。
10年前よりも巧みな誤誘導も乱立する中、神々への信仰や宇宙的な愛に導かれる新たな人々が安全である事を願う。
戦いもあるけど。